2010/03/14

リーダーの育成 3 自己規制

私達を感情的にするのは生物学的な衝動です。この衝動を排除することはできませんが、かなりの部分のコントロールは可能です。心のうちの会話とも言うべき自己規制は、感情の虜になることから救ってくれます。自己規制ができる人も、他の人と同じように不機嫌になったり、情緒的な衝動に駆られたりしますが、それらをコントロールする方法や、うまく利用する方法を身につけているのです。

リーダーにとって自己親制は次の2点で重要です。
第一に、自分の感情や衝動がコントロールできる人は、他者と信頼し合える公正な環境をつくり出すことができます。企業内の不正の多くは、衝動的な行動によって発生しています。最初から計画的に、利益の水増し、経費の不正穴埋め、横領、利己的な権力の悪用等が行われるケースは稀です。偶然の機会が訪れたときに、衝動のコントロールができない人が、それに乗ってしまうのです。

言葉は正確に意思と意向を伝える点では優れており、複雑な内容も伝達することができます。その反面、正確、明確さは摩擦を高め、不満を生む欠点もあります。トラブルが起こったとき、人の思考は2つの方向に動きます。問題解決思考と問題解決思考の停止です。問題解決思考の停止が怒りに転換された場合、問題解決思考には戻れません。人は怒るとストレスを感じ、沸き起こった怒りの感情を無理に抑えようとしても、ストレスは増すばかりだからです。怒りを回避するには、トラブルが起きた際、思考を問題解決の方向に動かす習慣をつけることです。問題解決ということを常に考えていれば、何かあった時でも怒りという方向には行かないのです。

自己規制は周囲に浸透する作用です。リーダーが組織の長として行う重要な行動は、人員資源の配分と人事賞罰、情報ルートの選定です。リーダーが何を好み、何を嫌っているかは、この3つによって周囲に受け止められます。孔子が「君主は徳を以て天下を治めよ。君主に徳があれば世の中も自ら不正を排除する」と考えたのは、君主の雰囲気が広く伝播する点に注目したからです。上司がいつも冷静な態度を保っていると、部下も感情に流される人間だと思われるのを嫌います。トップが不機嫌になることが少ないほど、組織全体も不快な気分に支配されなくなるのです。

部下を指導する際に必要なのは叱ることです。部下が社会人としての常識やマナーをわきまえていない事を教える問題解決思考です。怒りと叱るは異なりますが、上司が自分の意思を伝える為に、声を荒げ、興奮している状態は一見同じに見えます。声を荒げる行為は、組織を不快にさせます。指導された部下が、大きな声で怒られたことは覚えているが、その内容は覚えていないとすれば、指導方法に問題があるのです。

第二に、自己規制は競争力にとっても重要です。今日の企業の現場は先行き不透明で変化が激しく、テクノロジーは仕事の内容や働き方をめまぐるしいスピードで変化させます。自分の感情をコントロールする術を持った人は、急激な変化についていくことができます。人間関係で最も大切なことはお互いに信頼し合えるかどうかです。信頼度が高いときには、些細な間違いや多少のコミュニ-ション不足位は許せるだろうし、言葉ひとつで頭にくることはありません。しかし、信頼度が低いときには、ほんの些細な事でも許せないのです。目的を共有できる仲間を無視し合うほど非生産的行為はありません。信頼し合える組織には有能な人材が集まり、簡単には辞めていきません。そのような環境では、政略や内紛が大幅に減り、生産性が高まるのです。

相互依存関係は自然の法則です。この事を強く認識できなければ、自己成長は有り得ません。

組織では、自己規制も自己認識のように正当に評価されにくいのが現実です。自分の感情を自制できる人は、煮え切らない性格だと思われがちです。考え抜いたうえで答えたことを情熱の欠如と受け取られてしまうのです。その反面、激しい気性の人はリーダーの「典型」だと思われがちで、感情を爆発させることがカリスマ性や力強さの表れと取られます。しかし、このタイプの人がトップの座につくと、自身の衝動的な行動に足元をすくわれやすいのです。

2010/03/06

新世界社会秩序に向けて

参考:Prognosis 2012: Towards a New World Social Order

地球上の資源は有限です。したがって、成長に限界があることは必然です。二十世紀は多様な思想と制度を生み出し、技術的進歩を成し遂げました。目指したのは工業型社会ですが、私達が限界に向かう時間を加速させました。工業型社会とは、規格大量生産によって需要を超える物材を供給する、生産を中心とした量産システムです。物材の供給量を増加させる為に、生産をより効率化し、市場を拡大していくのが目的です。産業革命以来、技術的進歩の主流は大型化、大量化、高速化であり、世の中の発展の象徴でした。しかし、ある時点で必ず成長の限界点に達します。

世界は、1970年代にその限界点に達しました。資源多消費型による、工業型社会は規範的崩壊により新しい経済システムへ転換していくのです。1971年の金ドル交換停止と変動為替性の採用により、世界経済の基本が変わりました。人類は史上はじめて、物質的な裏付けの無い完全なペーパーマネーを持つようになりました。アメリカが、基軸通貨発券国として、ペーパーマネー社会の特権を利用していくのは80年代に入ってからです。また、73年と79年の石油危機は、物価体系を根本的に変革しました。従来の工業品有利の物価体系が資源農産物急騰により崩壊し、この修正のためにスタグフレーションが起こりました。

70年代以降の新しい経済システムは、生産を拡大して成長を求めるのではなく、比較的管理された生産によって最適工業社会を目指し、より大きなリターンを得ることが出来る経済システムです。技術開発の主流は、多様化、情報化、省資源化へと移行します。経済システムは、グローバル化、民営化、通貨市場と金融商品によって、成長していくことが可能になりました。グローバル化とは、将来、より大きな利益を提供することが可能な、低成長地域への投資拡大です。民営化とは、国家が投資した公益事業の民間への移転です。公益事業は、あればみんなが助かりますが、公共事業は、なければみんなが困ります。故に、公共事業は不採算事業であり、国家が投資しなければならないのです。通貨市場と金融商品は、現実世界では何も生産もせず、金利により経済成長拡大の幻想を引き起こしました。

70年代までの資本主義は、急速な成長により有効に機能しました。70年代以降は、グローバル化、民営化、通貨市場と金融商品で資本主義は延命されました。そして現在、計画された崩壊が起こり、国家は膨大な国債によって縛られることになりました。国家の支払能力が毀損し、グローバルな金融システムが系統的に解体されていくと、通貨価値が毀損していきます。どんな種類の回復戦略も大失敗の可能性が高く、そのような環境では、成長の必要性によって動かされる経済体制ではなく、社会主義的なコントロールされた経済体制に移行していかざるを得ません。私達は、経済情勢における政府の介入で、既に経済モデルが移行されつつあるのを確認することができます。非成長経済において、生産のメカニズムは劇的に変化します。非成長の経済学は資本主義的な経済学と根本的に異なるのです。

資本主義は、成長によって動かされる経済体制です。資本家のビジネスとは、利益の管理であり、その管理は銀行と仲介会社との間でなされます。投資銀行や証券引受業者が階層構造の最上部を占有しているのは、驚くべきことではありません。そして、事実、ロスチャイルド一族とロックフェラー一族を含む、一握りの銀行家の一族がいます。(これらの一族は、世界の経済、政治を支配するようになりました。秋月便りにて真実のロスチャイルドを連載中)これらの資本家は、資本主義が拡大している間に世界をコントロールする権力を獲得しました。彼らは、資本主義的なシステムは成長の限界点に達するという事実をよく知っています。成長の限界でなされる異なったシステムへの転換は、彼らの権力を今後も維持していくために必要なのです。彼らは、通貨が何であるかを定義することができ、新しい種類の通貨による経済ルールを作ることができます。それが何に変わっていくのかを私達は理解する必要があるのです。

成長の時代には、経済の生産側に主導権がありました。成長経済では、利益は賞品であり、市場と販売チャネルを支配するルールを確立した者が勝利者となりました。ルールは成長の手段を制御することを目的としており、成長のエネルギーは資本需要でした。非成長時代には、経済の消費側に主導権が移ります。非成長経済では、供給および分配のためのルートを安全に確保することができた者が勝利者となります。ルールは生活必需品を制御することが目的とされます。安全なソースのもとで、直接分配を割り当てるのは、非成長経済を管理していく必須の条件です。既に、食物とエネルギーの制御が始まっています。また、このシステムは他の重要な希少鉱物などの資源にも適用されます。人口の増加は生活必需品の要求圧力を増加させるが故に供給の制御が必要になるのです。

地球温暖化とピークオイルのプロパガンダは成功し、世界の環境保護運動は高まりました。現在、農業が食糧生産からバイオ燃料としてエネルギーに変換されている現状は、食品価格がエネルギー価格にリンクされているということです。エネルギー供給チェーンでの崩壊は、食物サプライ・チェーンにおける崩壊となるのです。結果として飢餓の大規模な増加を引き起こします。

危機管理とは最悪を想定した複数の選択肢を持っておくことです。選択肢の発動は今後の経済システムの誘導です。故に崩壊は偶然でなく、制御崩壊となります。炭素収支、および二酸化炭素排出権は、経済の第一の構成要素になるように誘導されています。エネルギーを費やす資格があることで富が測定される社会です。消費、リソース、及び分配のコントロールの焦点は、グローバル資源の減少です。成長の限界が明確になった時、新しいパラダイムの転換が示されます。

2010/03/04

リーダーの育成 2 自己認識

「汝自身を知れ」とは、デルフォイのアポロン神殿に刻まれていた、ギリシアの七賢人の一人であるスパルタのキロンの言葉です。ソクラテスはデルフォイの神殿においてもたらされた「ソクラテスより賢いものはいない」との神託を聞き、神託を否定するために賢者とされている者のところへ赴きました。そこで彼は、相手が「知らないのに何か知っているように思っている」ことに気づき、自分の方が自らの無知についての知があることを悟りました。

それまでの哲学者は、自然や宇宙といった外部に目を向けていましたが、ソクラテスは人間の内面を覗き込むという点に目を向けました。外部に目を向けている間は、人間性の成長はありません。ここから哲学が始まったといってもよいのです。汝自身を知れは、人間自身のあり方によって世界の見え方が決まるという観点から、人間自身のあり方を問いかけているのです。無知の知とは、自らの無知を自覚することが真の知に至る出発点であるという事であり、自己反省の結果得られるものです。

人間が産まれたときは、動物学上の分類における人類にすぎません。人間は生まれた後に、人間としての格を獲得して初めて人間となるのです。常識で考えるのではなく、常識を考えるという哲学の立場から、「人間」を哲学的な問題意識に転換すると、「人間であるとはどうある事なのか」、「どうなれば人間に成ったといえるのか」という問いが出てきます。この問いは、人間存在における根源的問いです。残念ながら、現代に生きる人々の大半は、この問いに対する答えを見失っています。故に、世界規模で論理観が欠如し、犯罪増加を招いているのです。犯罪が低年齢化するのは、大人たちが人間の生き方を知らないため、子供たちに明確な指針を示せていないからです。「私はこう思う」という答えを持って、初めて教育が出来るのです。答えは、その時々の時代、民族によって異なりますが、この問いは人類が存在する限り変わりません。答えを持つことよりも、問い続けることが大切なのです。

自己認識とは、自分の感情、長所、短所、欲求、衝動を深く理解することです。自己認識の能力が高い人は、必要以上に深刻になることもなければ、楽観的になりすぎることもありません。自己認識に優れた人は、自分の感情が自分自身、他者、自分の仕事の結果にどう影響するかを理解しています。よく自分自身の人間力を上げなければならない、とも言われますが、具体的にはどのようなことかを考え、自分にとって何が足りないのか、どのように高めていけばいいのかを考えて実践していかなければ、自身の成長は望めません。自己認識ができれば、自分自身の価値観や目標が理解できます。自己認識に非常に優れた人は、自分が何を目標にしているのか、なぜ目標にしているのかを理解しているので、その意思決定は価値観と適合しているのです。

自己認識能力を判別するには、どのように考えれば良いだろうか。第一に、自己認識は、正直さと自分を現実的に評価する能力に表れます。自己認識に優れた人は、感情をむき出しにしたり、洗いざらいぶちまけないでも、自分の感情やそれが仕事に与える影響を率直に口にすることができます。自己認識の特徴の一つは、率直に失敗を認め、失敗談で自分を笑い飛ばせるユーモアのセンスとも言えます。自己認識ができるかどうかは、その人の自信からも判断できます。自分の能力を正確に把握している人は、期限が過ぎても仕事を終えられないという類の失敗はあまり犯しません。また、人に助けを求めるべき時も知っており、自分が冒すべきリスクも計算できます。自分一人で処理できない難題を求めることは無く、長所を生かして仕事をすることができます。自分をよく知れば、仕事を活力源と考えることができ、仕事の結果もついてくるのです。

自己認識に優れた人材を登用することが有益であるにもかかわらず、多くのトップは感情を正直に表すことを「軟弱さ」と取り違え、自分の欠点を率直に認める社員を正当に評価していません。そのようなタイプの人材は、人の上に立つのに必要な「強さがない」と決めつけてしまうのです。ところが、実際はその逆です。リーダーは、権限や権力ではなく人間性によって人々に影響を与える存在です。部下は、一般に誠実で何事も首尾一貫していることに感銘や尊敬を感じるのです。多くの人は、「何を言っているかよりも、誰が言っているのか」を重要視します。信頼されていない人が、どんなに正しいことを言っても相手は動きません。さらに、リーダーは、自分自身と他人の能力を公正に評価する判定能力がたえず求められています。自分を正直に評価できる人、つまり自己認識のできる人こそ、組織の能力を正しく評価するのにふさわしいのです。

2010/03/03

格差の助長

日本の人口は現在約1億2千万人ですが、今後は減少していきます。企業にとっては、消費者(顧客)の数が現在以上に増加しないことを意味しています。富裕層向けビジネスの企業戦略は、顧客数を増やすことより、客単価の高い優良な顧客だけを選別して質の高いサービスを提供していこうとするものです。富裕層の一般的な定義は、資産から負債を引いた「純金融資産」を1億円以上持つ世帯です。2005年の調査では86.5万世帯だった富裕層は、2007年に90万世帯以上に増加しました。

そこで重要になるのが“優良顧客”の定義です。各企業が手掛ける事業や商品の内容によっても異なりますが、銀行では「1億円以上の資産を持つ人達」と捉えており、メーカーや小売業界では、金融資産が3千万円以上あり、購買意欲が旺盛な人達のことを新富裕層として獲得に力を入れています。数字だけをみれば、日本では2割以上の世帯が富裕層に該当することになりますが、「準富裕層」「新富裕層」という言葉は、物やサービスを売ろうとする企業が生み出したマーケティング用語であり、富裕層に憧れる上位大衆層のことを指しています。本物の富裕層といえる1億円以上の資産家は全体の1.7%に過ぎません。

米国カード業界では利用者の信用ランクを「スーパープライム層」「プライム層」「サブプライム層」という三段階で区別しています。米国での「サブプライム層」は貧困者ではなく、年収2万5千ドル以下の世帯を指しており、米国内で約4割の世帯が該当しています。日本の状況に当てはめると、年収3百万円以下の世帯がサブプライム層ということになります。年収3百万円以下の世帯数は給与所得者の38%(約4割)であり、米国と同水準なのです。所得の分布だけをみれば、大きな格差が付いている状況は、日米共通です。クレジットカード業界は、先進国では国民一人あたりが既に3枚以上のクレジットカードを保有しており、これ以上の発行枚数が見込めないことに加え、カード債権の貸し倒れ率は5%以上と高いことから、信用ランクの低い利用者の勧誘は抑え、優良顧客の獲得に力を入れたいという思惑があります。カード業界に限らず、物やサービスを提供する企業では、信用ランクの低いサブプライム層の顧客よりも、プライム層とスーパープライム層の獲得に力を入れようとする動きが顕著になり、米国企業では、それがサブプライム問題から学んだ解答だという捉え方をしています。日本の消費者信用市場では、貸金業規制法等の改正も含めた市場の変化に伴う信用収縮・返済不能問題等により、年収3百万円以下の人達に対する審査条件はさらに厳格化されていきます。
さらに税制の問題があります。税制は、国家主導で行われる所得の再分配制度であり、格差を縮小するために運用すべきシステムです。しかしながら日米ともに正常に機能していません。

日本は、2000年から漸次行われてきた法整備で、格差が助長されました。
・00年 累進課税の引き下げ〔課税所得5000万円超対象〕  60%→37%
・03年 相続税・贈与税の最高税率引き下げ       70%→50% 
・05年 所得税・住民税の最高税率引き下げ       88%→50%   
・07年 定率減税の廃止〔課税所得200万円未満〕      5%→10%
・その他、租税による不平等度の改善効果   4.2%(86年)→ 0.8%(01年)

米国は、IRS (The Internal Revenue Service アメリカ合衆国内国歳入庁)の統計で状況を確認することができます。
SOI-Tax Stats-Taxpayers with Top 400 Adjusted Gross Income
総国民所得に占める上位400グループの割合は、1992年の0.52%から2007年の1.59%に増加しています。1993年の上位400グループの所得は確定申告書類平均で4600万ドルでした。これらのグループは、2006年と2007年間に所得が31%増加しています。1993年から2007年の間、このグループの平均所得は8倍に増加したのです。このグループの実効税率は、1995年の段階では約29%でした。クリントン政権の末期では22%に低下、ブッシュ大統領の下で実効税率は、2001年から2007年の間でさらに6%低下したのです。

日米ともに税制の法整備は、富裕層の既得権益を保護するための税率変更に他なりません。いったん下流の「負け組」になれば、容易には這い上がることができない税制度が構築されているということです。「構造改革」を標榜した小泉政権は、大衆を没落させ一部の富裕層が優遇される社会を創りました。富を一極に集中させるための制度改革であり、民営化は国富を外資に移行するための政策でした。それが資本主義だと言われればそれまでですが、知らぬ間にデフレ経済で我慢を強いられた挙げ句、中流層以下にあった資産が没収されていったも同然なのです。サブプライム問題と、スーパープライム層を対象とした富裕層ビジネスは裏表の関係なのです。

2010/03/01

リーダーの育成 1

組織は志を達成するための内部体勢の構築であり、組織という目的意識を持った集団のトップがリーダーです。組織活動があってはじめて大きな成果を生み出す事ができます。組織人なら誰でも、次のような話を一度は聞いたことがあると思います。

・知的で熟練した人物が部下を統率すべきポジションに昇進したが、リーダーとしては機能しなかった。
・知的能力も技術的熟練度もそれほどずば抜けているわけではない人物が、同様の地位についたら、とんとん拍子に出世した。

リーダーとして「適切な資質」を持つ人材を発見することは科学より芸術の域に近く、適切なリーダーを見極めるのは非常に難しいのです。

今日、大企業の多くが「コンビテンシー・モデル」(能力モデル)を開発しています。モデルを使って、リーダーシップの候補者を発見し、研修を施し、昇進させるのです。モデル開発の狙いは、企業の中で、どのような個人的能力が業績に貢献したのかを突き止めることです。知性は業績の原動力となり、大局的なものの見方や考え方、長期的なビジョンといった認知能力は、重要な役割を果たします。しかしながら、最高水準の教育を受け、鋭敏で分析力のある頭脳を持ち、気のきいたアイデアを次々と出すことはできても、それだけではリーダーにはなれません。IQ(知能指数)と技術的熟練度は重要だが、「最低限の能力」として重要なのであって、組織幹部という道の入り口に立つときの必要条件にすぎません。組織の構成人員は、様々なバックグラウンドを持つ人員の集合体ゆえに、多くの対人問題を解決していく能力が本質的に要求されるのです。高業績を生む資質として、知的能力、技術的熟練度によるものではなく、対人問題を解決していく能力の差がリーダーシップの有効性の原因になっているのです。組織としての能力を最大限に引き出し、志を達成していくにはマネジメントを実施する人が「人に強くなる」しかありません。

個人の持つ資質は、生まれや、育ち、年齢・性別、経験、考え方や価値観などで形成されていきます。それでは、ある人物の資質がリーダーに向いているかどうかは、どうすれば解るのだろうか。また、自分の水準はどうすればわかるのだろうか。本稿では、こうした疑問と開発の方法を探っていきます。

2010/02/27

隣の友は真の友

日本経済が従来のままでよいと考えている者はまずいません。その意味では、誰もが「改革論者」なのです。90年代の「改革論」から学べるのは、旧来のシステムを打破するという「改革」そのものが経済を混乱に陥れ、結果として経済をさらに悪化させたという点です。倒産、リストラによる失業、不確定性、リスクの増大といった「改革」の産物そのものがマクロ経済の急速な悪化を招き、デフレ圧力を生み出しました。ケインズは、将来の期待や予測の混乱と不確定性の増大が、経済を停滞させる最大の原因だと述べました。90年代後半の改革は、最悪のアプローチにより国家を支えていたシステムを破壊したのです。

サブプライムローン問題が発生する以前から、日本社会は、各層、各組織相互の信頼が失われつつあり、今回の経済危機でさらに鮮明に表面化しました。与党と野党、与党内の各グループ、官僚と政治家、経営と労働、正規社員と非正規社員、富裕層と中間層と貧困層、自治体と中央政府、老年層と若年層、そして国民と国家等々です。さまざまな利害の対立は顕在化した不信の連鎖を生み出しました。それは国民の間に「将来不安」が広がっているからに他なりません。不安は、少子高齢化に伴う制度の遅れの不安、デフレによる不安、システムの転換による不安の三つに大別できます。こうした不安を取り除くのが政府・政治家の仕事ですが、例によって場当たり的に対応しています。

今後世界がどう変化しようとグローバルな構造は変わることはありません。日本は猛烈な勢いで衰退しています。輸出主導の製造業を中心とした国家経済モデルが崩壊するかもしれないのです。コモディティ化が進んでる分野では、コスト競争力の強い国が勝者となります。インドや中国にどんどん仕事がアウトソースされているのです。

今日よりも明日、明日よりも一年後、さらに五年後のほうが、自分の人生はより良いものになっているはずだという思いが希望です。経済的豊かさを実現した成熟社会は、将来的に必ず人生はより良いものになるという思いを持つのが難しい社会です。増幅された不信の連鎖を止めるのは極めて難題なのです。今必要なのは、今回の危機は循環的なものではなく、歴史的な大転換期かもしれないという仮説に立ったシミュレーションと希望を持ちうる将来的ビジョンです。

経済活動を根本で支えるのは信頼であり、将来不安が国民の国家への信頼を失わせ、政治への無関心が常態化しました。不信と無関心の未来は社会不安と暴動です。隣の不幸は蜜の味と考える日本人がこれから増大していきます。性善説から性悪説を前提とした社会システムへの緩やかな移行です。このような社会で戦っていくには、隣の友は真の友と呼べる関係の構築が必要です。関係の構築には積極的な相互理解と相互信頼形成が必要です。大切なことは、「誰かに変えてもらうのを期待する」のではなく、「自ら変わる」覚悟です。希望のないところに未来は無く、行動しない人々に明るい未来は掴めません。毎月開催される「イベント」(詳細は秋月便り参照)に参加することで、真の友を見つけるチャンスは飛躍的に増加するでしょう。

2010/02/21

急増する住宅ローン破綻と金融機関

全米抵当貸付銀行協会(MBA)19日の発表によると、住宅ローン全体に占める返済延滞期間が90日以上のローンの割合は全体の5.09%に増加した。ローンの返済が90日間滞ると、銀行は通常、物件の接収に向けた手続き開始する。差し押さえの対象となったローンの割合は4.58%に増加。
2月19日 ブルームバーグ 米国では差し押さえに直面する可能性のある住宅は2009年10-12月(第4四半期)に過去最高水準に増加した。
格付け会社スタンダード・アンド・プアーズ(S&P)は1日、米商業不動産市場について、空き店舗率が高止まりし、賃貸料が下落する中、最悪期は脱していないとの見方を示し、多額の損失を生み、金融システムを脅かす恐れがあると指摘した。S&Pはリポートで「銀行が抱える商業不動産へのエクスポージャーの影響はまだ完全に表れていない」としている。住宅建設や商業不動産建設セクターでは既に問題が顕在化しているが、金利が低く、債権回収に十分なキャッシュフローがある現状では、商業不動産ローンや多世帯住宅セクターでは影響が認識されていないとの見方。金利が上昇し、賃貸料がさらに落ち込めば、こうしたセクターでも差し押さえが増加し、価格が一段と下落するとの見方を示した。
2月1日 ロイター 米商業不動産市場、一段と悪化の可能性=S&P

2010年の米国銀行破綻は200行以上と予測されています。経済全般の落ち込みは各種統計指標に現れます。経済の弱体化は、失業率の上昇、住宅価格低下とローンのデフォルトとなり、銀行の破綻が加速していくのです。サブプライム・ローン市場の影響はプライム・ローン市場から商業用不動産の分野に波及しようとしています。商業用不動産に波及した場合、今後数年間で数百以上の銀行の倒産が発生すると予想されています。1989年、S&L危機のピーク時の破綻行は534行でした。金融の問題が再び注視されるようになるのは時間の問題であり必然です。

給与カットで住宅ローンが返済できず、マイホームを手放す人が都市部で目立っている。東京、大阪、名古屋の3地裁が2009年度上期(4~9月)に扱った住宅など不動産の競売件数は、07年度下期の約2倍。不動産業界によると、少しでも高く売ろうと「任意売却」を選ぶケースも増えている。不動産鑑定会社「三友システムアプレイザル」(東京)によると、3地裁が09年度上期に扱った土地、建物、土地付き建物、マンションの競売件数は計5271件。08年度の下期より525件多く、2704件だった07年度下期の約2倍に増えている。
1月11日 asahi.com 住宅ローン滞納、増える任意売却 競売よりも傷浅く

日本でも給与所得は減少の一途を辿り、失業率は5%で高止まりしています。収入は今後も減り続けることは避けられず、ボーナスの支給が出来ない企業がさらに増加していくのです。住宅ローン破綻が急増し、競売が急増すれば住宅価格は一層の下落を見せます。住宅ローンの条件変更で先送りしたとしても、民主党がそのような状況に陥る政策を採り続ける限り破綻は避けられません。日本版サブプライムローン問題も進行しているのです。

株価は予想収益の割引現在価値を反映します。企業にとっては収益がただ伸びるだけでは不十分であり、コンスタントに伸び率を維持しなければならないという強迫観念を促します。小さな企業なら食指を動かす規模のビジネスチャンスは、大企業には食い足りなくなります。企業の規模が大きくなったことと引換に、小規模の市場に参入する能力を喪失しているのです。この能力喪失は経営資源の変化ではなく、価値基準の変化です。大手銀行で収益を拡大してきたのも、損失を拡大してきたのも投資銀行部門でした。公的資金の注入を受けた際、投資銀行業務を縮小し、リスクを軽減させ不良債権処理による経営健全化を目指すのが本来の企業の姿です。しかし、大手銀行は規制回避のため公的資金を返済し、再び短期的な収益確保の為にリスクの高い投資銀行業務の拡大を選択をしました。

米国の最大の関心は、米国債を長期・安定的に外国に買わせることにより、財政負担を海外の国に付け替えることにあります。中国が米国債購入額を減少させる政策に転換した現在、米国債の安定消化に向けた政策が採られようとしています。一つはボルカールールを実施し、米銀に米国債を買わせることです。ボルカールールが導入されると、商業銀行は投資銀行業務ができなくなるので、海外のドルを国内に還流させる方向に動きます。89年に採用された手法と同様、余剰資金を長短金利差による長期債購入に充てる方向に誘導させ、金利差益を原資に不良債権を償却していくのです。米国債の大量発行による懸念は、米銀の強力な購入で払拭されます。もう一つは、日本に米国債を買わせることです。日本の年金資金を海外運用に充てる案や郵貯銀行の資金を米国債に充てる案が聞こえています。日本は自国の財政より、米国の財政を優先する選択を自民党政権から継続しているのです。結果、膨大な不良債権が日本経済に蓄積されていきます。

問題は、米国の本質的な問題が噴出し、出口戦略の発動はやっぱりダメだったとなるのがいつになるのかということです。89年の不良債権処理は5年で収束しましたが、今回の危機は当時より破壊力が大きく、まだ序盤です。長期に渡って蓄積されたバブルは数年で縮小するものではなく、アメリカの景気が好転するのは期待できません。時間をかけながら、破綻の影響は他の市場や金融機関に広がり、最後は現行の金融システムが危機的な状態になるところまで進んでいくのです。

2010/02/20

出口戦略の発動


米銀の手元保有する現金は最大1兆2900億ドル、企業向け融資は1兆3200億ドル。米経済における借り手からの資金需要低迷と、当局が金融危機の再来予防を目的に金融機関に一段の手元流動性を要請するとの懸念から、銀行はより多くの現金を保有する状況となっている。
2月16日 ブルームバーグ
米シティとBOA、JPモルガンの現金保有が拡大-利益率低下の恐れ

米連邦準備制度理事会(FRB)の17日終了週のバランスシート(貸借対照表)は、総資産が前週比0.9%増加して2兆 2800億ドルとなった。住宅ローン担保証券(MBS)の保有額が増加し、1兆ドルを突破した。
2月18日 ブルームバーグ
FRB総資産:2.28兆ドルに増加、MBS購入で-週間統計  

急激な物価上昇でなく、わずかな物価上昇なら、ごく当たり前の経済状態です。不況から脱出するためには、高めの物価上昇率が必要なのです。現在、銀行には過剰流動性による資金供給があるものの、金融引き締め策が採られつつある現状では、融資や市場投資にもお金がまわらず、企業は利益が上がらない状態に陥っています。米連邦準備理事会(FRB)は18日、公定歩合を現行の0.50%から0.75%に引き上げると発表しました。FRBの政策は金融市場の安定に向けられており、実体経済への効果よりも過大流動資産の吸収に優先度を置いています。利上げは経済活動を冷やし、財政赤字にはマイナスに働きますが、出口戦略発動が有効と総合的に判断したのです。米国債の購入がFRBによる国債買い入れ停止により外国頼りとなった今、米銀による米国債の購入増加も考慮されているのです。

2月19日日経 日銀総裁、国債下落のリスク警戒 インフレ目標に難色

デフレとは、供給に対して需要が不足している状態であり、インフレはその逆です。需要回復の過程における物価上昇は必然であり、物価上昇のコントロールが中央銀行の使命です。財政改善には、増税による借金返却のためのインフレが必要なのです。景気を冷やし、経済を安定させる為の増税です。しかしインフレが来なければ借金返却のメドが立たず、増税は景気を過度に冷やし、現在以上の不況を進行させます。

ハイパー・インフレは現実に起こりうる問題です。市中に出回るマネーの必要量が何倍もある場合においてのみ発生します。通常であれば物の値段を100倍にしても、誰も買えないので無意味な値付けは無視されます。現在、量的緩和によって流動資金が銀行に滞留していますが、やがてインフレが現実味を帯びてくると国債暴落の可能性が上昇するので、必然的に銀行は国債の購入を止め、現金比率を高めるようになります。ある時点で国民のインフレ期待が不信用から信用に急転した時に、インフレが現実化します。銀行に預金として滞留していた現金は一挙に流出し、インフレスパイラルが急速に進行していく可能性があるのです。逆にいえば、市中に出回る現金の量が増えなければ、インフレにはならないのです。

過去の歴史でハイパー・インフレが発生したのは、その国の経済が根本的に破壊されるような例外的な事態が生じた場合です。例外的とは、地震・資源・戦争・食料等の問題です。一国の経済が破壊された時、暴走するインフレ回避は不可避です。不況であれば、ハイパー・インフレは来ないというのは、妄想にすぎません。

2010/02/18

大統領たちの経済

経済学は、有限な資源から、いかに富を生産し配分するかを研究する学問で、究極の課題は貧困撲滅です。最初は、アダム・スミスと、その後継者達による古典派だけが存在していました。ケインズ理論が登場したのは1930年代です。
1929年、NY株式市場での大暴落と、その後の世界大恐慌の時代は、深く歴史に刻み込まれています。1933年3月4日、第32代米大統領に就任したフランクリン・デラノ・ルーズベルト(FDR)はニューディール政策を実施しました。公共事業拡大を中心とした、政府による経済への介入です。しかし、一連のケインズ政策をもってしても失業者は急激に減少せず失業率は高いままで推移しました。効果があまりにも小さすぎたので、不況からの脱出は成功しなかったのです。最終的に経済を救ったのは第二次大戦による財政拡大でした。

世界を巻き込んだ二つの世界大戦が終結した時、主要先進国は戦勝国も敗戦国も、戦禍のために大半の生産力を失っており、戦後世界の復興需要に応えることができたのは、無傷のまま大量生産体制を保持していたアメリカだけでした。結果、アメリカは超貿易黒字国となり、世界最大の対外債権国と同時に、ドルは世界の基軸通貨としての地位を得るのです。当時のアメリカ経済は圧倒的に強く、1960年代はじめまで、アメリカ経済の黄金時代と称されたのです。1963年11月22日に第36代大統領として就任したジョンソンまでの時代です。

1950年の朝鮮戦争を皮切りに、ベトナム戦争他、多くの米ソ代理戦争が繰り広げられます。この広範かつ長期化した戦争特需の恩恵を受けたのが、日本でした。日本は急速に重厚長大産業を成長させ、1970年代には西ドイツとともに、アメリカの国際競争力に勝るとも劣らないほどの経済力を身につけていきます。

経済学の世界では、①固定相場制②自由な資本移動③独立した金融政策のうち、同時に成り立つのは二つだけとするケインズ派が主流でした。通常の経済状況下で発生した景気変動による小規模の景気後退は、ケインズ的な処方が効果を発揮し、景気後退から脱出することは可能でした。ケインズ派の絶頂期です。

1969年1月20日、第37代大統領として就任したリチャード・ミルハウス・ニクソンの時代に世界は転機を迎えます。1971年8月15日、ドル・金の交換制を廃止すると宣言したニクソンショックです。金が裏付けするドルに、他の通貨が固定相場で結びつく「ブレトン・ウッズ体制」は崩壊し、変動相場制に移行するのです。パラダイムの転換です。

変動為替制で、自由な資本移動(グローバル化の大前提)と、金融政策の優位が実現し、財政政策は為替相場の変動により効果が減殺されるようになりました。加えて1970年代の二度の石油危機で、高インフレと高失業率が進行するスタグフレーションに陥り、財政赤字も膨らみます。財政政策を主軸とする伝統的なケインズ政策は、毒薬のごとき効果を発揮して経済を破壊しました。ケインズ派の影響力が薄れ、政府介入を排した自由市場の効用を説く新しい古典派経済学が台頭した背景です。

1981年1月20日、第40代大統領として就任したロナルド・レーガンでアメリカは転機を迎えます。1981年に発表した経済政策-レーガノミックスです。この政策の柱は、①歳出削減を行い、②減税による貯蓄・投資を拡大し、③規制緩和によって小さな政府を実現し、④マネーサプライを管理してインフレの沈静化を図ることでした。「税率引き下げで税収が増える」という特異な理論は外れ財政赤字は膨らみ、その一方で、「強いアメリカ」を標榜し、極端なまでに軍事費を増大させました。結果、貿易赤字と財政赤字の双子の赤字は急拡大しました。しかしながら、1981年における世界経済の状況は、先進国では激しいスタグフレーションに見まわれ、発展途上国では対外債務が激増していた状態でした。アメリカの財政赤字拡大がなければ資本主義経済は崩壊していたかもしれません。

この時期からアメリカは実質金利を引き上げ、海外からお金を呼び込む政策に転換します。内外金利差の拡大による外国資本流入により、経常収支の赤字が拡大しているにもかかわらず、ドル高になるという現象が生じます。ドル高・高金利の継続は、輸出は停滞、輸入が増加し、貿易収支赤字は拡大します。国内製造業の価格競争力は低下し、資本や労働などの生産要素は製造業から非製造業へとシフトせざるをえません。製造業からサービス業への生産構造の転換です。巨大消費国としての性格を加速度的に強めていくのです。

アメリカの過剰流動性増加は、世界各地でバブルを引き起こしていきます。1980年代後半、日本での株と土地の異常な上昇。1994年、メキシコをはじめとする中南米バブル。1997年、アジア通貨危機。1999年、ITバブルなどです。

リスクとは、将来の不確実性であり、結果として起こりうる経済的損失の可能性の追求です。1997年のノーベル経済学賞を受賞した、マイロン・ショールズとロバート・マートンは、株価が幾何ブラウン運動に従うものと仮定し、伊藤清博士が生み出した確率微分の理論を用いて、1970年代はじめにブラック=ショールズ公式を導くことに成功しています。この理論の登場により、金融理論が経済学の枠組みから飛び出し、金融工学という新しい分野を開拓したのです。1980年代の金融技術の利用は、新商品開発により利益を増加させることが中心でした。情報システムの整備はデータ収集を容易にさせ、数理工学の進歩は複雑なコストの最適化問題を可能にしました。ヘッジファンドの影響力が拡大していくのはこの時代です。1990年代の金融技術は、次々と登場する金融商品のリスクを管理する為の金融商品開発が軸足の中心になっていきます。

21世紀のバブルは20世紀のバブルと異なり、金融技術の発展と基軸通貨国の財政赤字膨張で破壊力がさらに拡大しています。現在進行中の世界金融危機と、中国での資産バブルが、通常の方法で解決するとは誰も思っていません。過去最大の規模ゆえに、米国債のデフォルトに伴う新秩序の形成が予測されるのです。過去のバブルから学べる教訓は、国家は形式的には破綻しなくとも、実質的には破綻することがあり、そのしわ寄せは一般の国民に付け回されるということです。この意味で国家は破綻でき、このプロセスを経ることによって、国家は再生できるのです。ただし、犠牲は全て国民に押し付けられるに違いありません。

時代の流れの方向性は、その時代に生きる人間の大半が何を望むかによって決まります。我々は、水素文明を実現できる理想や理念を創造することによって、多くの人々の共感を獲得し、歴史を創る力を持つことが出来るのです。

2010/02/16

危機に考えるべきことは

サブプライムショックにより、世界各国はいかに自国が米経済に依存していたかを思い知らされ、金融工学が作り出すバーチャルな需要により、無限に金が創造されていたことを知りました。本質的にそこに内在する賭博的な要素が見過ごされていたのです。「規制」はすべからく緩和するのが正しいという結果がアメリカのサブプライム問題であり、わが国の派遣問題でした。

米国の旺盛な国内消費が、製造業を中心とした国の最大の輸出市場となり、世界経済をけん引してきたというのがグローバリゼーションの枠組みです。この構造が崩壊したことにより、各国経済は減速を余儀なくされ、財政支出の拡大で国内景気の立て直しに努力しています。いいかえれば、世界各国で輪転機を回し、国内景気の維持拡大に努めているのです。そのため、現金通貨発行残高は各国で増加しています。
マネタリズムに従えば、量的緩和により貨幣量が増加するので物価が上昇し消費が増加します。しかし、日本ではデフレが進行し、日本経済はどんどん地盤沈下しています。企業の収益が増えても企業の内部留保となり労働者に還元されず滞留しているのです。ゆえに消費が増えず、企業も供給拡大のための投資をしません。奈落の底を脱せず、あえて奈落の底に留まろうとする経済政策の結果です。懸命に汗をかき、まじめに働いている人が、幸せになれないような社会はいい社会とはとてもいえません。われわれは自分の身は自分で守るしかなく、国も企業も頼りにならないということを知らねばなりません。

量的緩和は、世界経済が正常化し均衡状態となった場合には景気の上昇をもたらします。しかし、不均衡状態では、次のいずれかの現象が発生します。
A  貨幣の滞留。
B 貨幣が商品市場に流れ込んだときには、インフレが発生。
C 貨幣が資産市場に流れ込んだときには、資産インフレが発生。
つまり、現金通貨発行残高が巨額なほど、BとCは破壊的な規模になるのです。

2010/02/13

既存の企業文化が変化への対応を阻む

デフレとは、「経済が成長しないこと」ではなく、「経済が縮小していく」ことです。
日本の需給ギャップは30兆円~40兆円といわれています。
出典 今週の指標 国内需要デフレーターは3四半期連続のマイナスに

中小・零細企業において、創業者が与える影響は絶大です。社員はどのように仕事をすべきか、組織の優先事項はどうあるべきか、創業者には明確な持論があります。創業者の判断に誤りがあれば、当然ながら企業が失敗する可能性は高くなります。健全な判断がされれば、創業者の問題解決や意思決定の方法が正しいことを社員は目の当たりにし、その手法を体得することができます。同時に、経営資源、特に人材の影響力は多大です。要となる人材が一人、二人、組織に加わったり離脱しただけで、企業の成否に多大な影響を及ぼします。企業の能力の重心が人材にあるうちは、新たな問題に対応するために能力の入れ替えを行うことは比較的簡単な対処方法なのです。

創業者の考えを反映した判断基準にしたがって経営資源が配分され、企業が財務的にも成功すると、その実績を中心に企業としての価値基準が形成され、組織は拡大します。企業が異なればその価値基準も異なりますが、売上高と収益性はどの企業も共通の価値基準です。組織拡大の過程では、社員の中には創業者と直に話したことのない人も出てきて、リーダーだけでは組織を全て把握するのが不可能になってきます。企業規模が大きく複雑になるほど、組織全体の社員を教育して、戦略方針やビジネスモデルとの整合性をとりながら一人ひとりが重要度を判断できるようにすることが、より大切になってくるのです。数人で始めた企業が数百人以上の社員を擁する規模になると、何をどのように行うべきかについて、社員全員の合意を取り付けるのは、優秀な管理職にとっても至難の技となり、社員に自律的ながらも一貫した行動をとらせることができる管理ツールが必要とされます。管理ツールとは、明確な価値基準と意思決定のプロセスです。プロセスの本質は、社員が常に業務を一貫した方法で成し遂げられるように設定されることです。変更することを前提にしてはいないので、変更する必要が生じても、簡単には変えられない仕組みになっています。ある業務のために設計されたプロセスに従えば、その業務を効率的に行える可能性が高いが、異なる業務に同じプロセスを使うと機能しないのです。組織に一貫性のある明確な価値基準が浸透しているかどうかは、企業経営の優劣を測る重要な尺度でもあります。なぜなら、価値基準には企業のコスト構造あるいはビジネスモデルが反映されているからです。価値基準とは、企業の繁栄のために社員が従う原則なのです。

社員は恒常的な業務をこなすうちに、意思決定のパターンが固まっていき、既存のプロセスと価値基準に従って重要度を判断しはじめ、これらを中心に企業文化が形成されるようになります。出発点は人材を中心とした経営資源ですが、次に定義されたプロセスと価値基準へと重心がシフトし、そして最終的には企業文化へと変容するのです。しかし、企業の能力の重心がプロセスと価値基準に移り、それが企業風土・体質という形で組織に刻み込まれると、組織の能力を変えることはきわめて困難になります。社内に広く浸透した一貫性ある価値基準は、一方で、組織ができることを限定してしまうからです。組織に備わった能力は組織に何ができるかを規定するが、同時に、その組織にはできないことも規定しているということです。企業文化は組織にできることを限定してしまうため、企業が直面する問題が根本的に変化すると、能力の欠如となって現れます。

実体経済の縮小は、経済活動自体の自己崩壊を促します。単に物価が下落していくだけでなく、生産活動そのものが縮小していくのです。(倒産や失業の発生。)デフレ解決には、「需要の拡大」こそが必要であり、それ以外に対処方法は無いのです。経営方針も流動的にならざるを得ない状況下、消費者のニーズを喚起することは困難といえます。デフレの下で企業が存続していくには、必要な経営資源の保有とプロセス・価値基準が変化に対応できるかどうかが鍵になります。

2010/02/11

変化する医師のマジョリティー・パワーと分権型ネットワーク

日本の医療を取り巻く状況では、使命・成果・戦略対応型リーダーなどという聞こえのよいリーダー像に対して、さらにもう1本の補助線を引いてみなければ本当のリーダー像は見えてきません。医師の「マジョリティー・パワー」がその補助線です。

自由開業医体制の現実と医療法、医療行政に通底してきた医療非営利説の虚構の微妙なバランスのうえに成り立ってきた、資本=経営=医療の病医院経営における一体化こそが、世界に冠たる(少なくも成立当初は)国民皆保険制度と、諸外国と比べた場合のマクロ医療経済のパフォーマンスの良さを下支えしてきた下部構造です。このような下部構造を基盤として持つ病医院経営者=医師のリーダーシップは当然、集権的カリスマの性格を帯びやすく、また、それは、混然と一体化された資本=経営=医療を組織原理として持つ病医院においては最も効率の良いリーダーシップ・スタイルでした。このカリスマ型リーダーの類型は、医師のプロフェッショナル・フリーダムと結びつき、なおかつ、医師のマジョリティー・パワーが自由開業医制度のメリットを存分に享受できる時、強固無比のものとなりました。

ところが、その医師のマジョリティー・パワーに大きな変化が表れています。まずは医師の絶対数です。確かに人口10万人当たり150人という必要医師数の設定に問題があり、そもそも医師が足りなかったという説もありますが、新臨床研修制度が引き金になり、医師の偏在化を生じさせたのは否めない事実です。そして、開業よりは勤務医としてのキャリアを選ばざるを得ないような諸々の状況です。医療計画による病床規制もさることながら、都市部では、土地・建物への投資の回収を医業専業で帳尻を合わせていくことは不可能に近い状況です。そもそもも一国一城の診療所や「ビル診」を開設したにせよ、先端高度医療をフォローする設備投資はできないから、行政は供給体制を整備して、専門分化を進めざるをえません。また、都市部の中小病院や診療所は相続・継承条件がネックになり、世代間の継続はますます難しいものになりつつあります。つまり、病医院マネジメントの資本=経営=医療の一体化というシナリオに、必ずしも積極的なメリットを見出しづらい医師が急増しているということです。このマジョリティー・パワーの変化は何を意味するのでしょうか。

まずは、資本、経営、医療をつないでいる鎖が徐々にゆるやかなものとなり、段階的に分離されるようになります。不動産会社等の所有する病医院建物・設備を医療法人や個人医師が賃借するといった「資本」と「経営・医療」の分離は、すでに80年代前半から始まっています。今後は、各種債権の組み合わせなどによる資本調達の多様化や、高度複雑化する組織マネジメントの時代的要請が、いやおうなく職能としての経営と医療をしだいに分離させていくことになります。専門による職能分化です。おのずと医師の医療組織における行動様式は、前述した集権的権威に根ざすものから、診療、医療といった本来の機能組織におけるプロフェッショナリズムに根ざすものへと質的転換が進むことになります。ただし、現行の医療法の医療非営利説と自由開業医制のなかで、スムーズに親世代から医業の継承を図り、オーナー医師として、旧来の集権的カリスマ型パターンを維持できる一部の階層は、今後とも健在です。要は、そのようなカリスマ型リーダーの相対的数が減少し、勤務医に見られるような職能的医師がマジョリティー・パワーとして増加していることです。

集権的権力基盤を持たない勤務医の行動様式は、職能分権型の機動的プロフェッショナリズムを代替的な基盤として位置づけざるを得なくなります。「機動的」とは、組織内部においては、分権型ネットワークでのキー・マンであり、組織外においては、自己の能力、キャリア志向に応じて比較的自由に雇用主を選択できる専門的職業人の性格を指します。

従来のリーダー論は、カリスマ的オーナー医師にみられるような、組織のなかのトップ一人のためのリーダー論がほとんどでした。しかし今日の状況によって求められているのは、医師、看護師、コ・メディカル、事務を問わず、どのような職能であれ、個々の仕事のネットワークのなかで、それぞれがリーダーとなることです。言葉を換えれば、各専門分野でのプロフェッショナルとして、他の専門分野、機能をネットワーク化させることにより、仕事の成果を上げていくことが求められているのです。
このようなリーダーは、固定的なユニットやヒエラルキー組織の組織長といったイメージではなく、主要な課題を中心として臨機応変に結成される「ハブ」のコアメンバーというイメージに近いものです。
医療の現場を振り返ってみれば、「主要な課題」とは、患者一人ひとりのケースであり、そのケースを中心に、医師、看護師、各種コ・メディカル、事務等々の専門職が、機動的に各専門の立場から関与するという仕事のスタイルです。患者を中心にして、仕事を展開する「ハブ」は、関連部門、関連専門職のネットワークを介した、病歴、症状、検査データ、治療、経過、等々のありとあらゆる情報の発信・受信、さらに情報の創造を通して職務を遂行します。その意味で、通常の病医院の組織図には表現されていない、情報をネットワーク型に編集するというのが、情報の流れからみた病医院の仕事の流れといえます。患者中心の機動的なチームづくりの必要性が声高に叫ばれながらも、なかなか「ハブ」が活性化されないのは、本来、情報ネットワークのなかでなされる知的成果志向がきわめて強い専門職の仕事と、職能による固定的なタテ割り組織に呪縛された旧態依然とした病院組織論の大いなる矛盾のためです。

組織図の姿がどうであれ、現場のイノベーションは通常、組織内ネットワークのなかでの相互連鎖的な知的刺激が起爆剤になって起こります。イノベーションと自己変革を目指す組織にとって必要なのは、カリスマ的トップ、組織長ではなく、自律的に動き、関連機能との積極的な情報のやりとりを通して仕事を創造していく、数多くのネットワーク型リーダーの存在なのです。

2010/02/10

医療におけるリーダーシップ

社会保障制度として位置づけられている、医療・介護・福祉業界は制度ビジネスであり、各制度の維持は財源の確保が絶対条件となります。制度ビジネスとは、行政による許認可事業です。したがってルールは行政によって創られます。行政の狙う政策と方向性が合致していれば、極めて健全な運営が可能になります。運営と経営は異なります。経営は成果を上げるためにルールを構築することができますが、運営は既に定められたルールの中で成果を上げることしかできません。なし崩し的に進む医療改革は行政の狙った政策の結果であり、誤った政策による人災です。現在の医療政策には、国家戦略も哲学もないのです。

医療を中心とするサービス組織のリーダーシップにおいて、その状況と状況がリーダーに求めるものをまず整理してみます。

第一に社会保障の機能強化の工程表のもと、政策誘導による医療機関の機能分化は、加速されざるを得なくなってきています。機能の選択にのみ関心が向けられやすいが、機能を云々する前に大切なことは使命です。つまり、安直に「機能」に向かう前に、何が機会で、何がニーズなのかを自問自答し、機会をとらえてニーズに応えていけるだけの能力が備わっているのかを徹底的に洗ってみなければなりません。これらの自問自答の知識成果が信念に裏づけされてはじめて使命(ミッション)たりえます。今日の医療をめぐる状況は機能選択・分化の一大前提条件として、リーダーに明確な使命を求めていると言っても過言ではありません。言い換えれば、時代の兆候を敏感にかぎ分ける知的臭覚と自分なりのコアの部分、すなわち使命を絶えずチェックし、確認しつつも、個別の事態には適宜、柔軟に折り合いをつけていく当事者能力が問われています。

第二に、医療サービス組織も、組織としての成果を問われ、成果により一層注目せざるを得なくなってきています。「機能」は、使命が成果を生み出すための手段として、再定着を迫られています。その意味でリーダーは、経過志向から成果志向にならなければいけません。つまり、「努力や資源の投入に見合った成果を上げたか」、「使命と照らし合わせ公正な成果を上げたか」「限られた人員をどう機能させるか」といったマネジメントの基本を再確認することがリーダーに求められています。

第三に、地域・患者のニーズが変わる、診療報酬制度や医療政策が変わる、疾病構造が変わる、そんな時代の大きな変化のなかで、医療サービス組織も、当然の反応として戦略を持たざるをえなくなってきています。規制のなかでの差異化、独創的な事業展開には体系的な戦略が求められます。事業環境を解読し、組織風土を活性化しつつ、過去・現在の業績に目配りし、使命と機能を通じて成果にリンクさせていく発想の土壌としての戦略の時代に、リーダーは対応しなければなりません。

2010/02/09

リーダーは状況に適合した行動スタイルを持つ

組織論で必ず登場する議論にリーダーシップ論があります。指導力や統率力などと訳されることが多いが、通常、組織全体あるいは組織内の部門のリーダーが発揮する機能、役割というふうに注釈が付けられたりしています。組織は志を達成するための内部体勢の構築です。役割分担として必要なのであり、構成員のためのものではありません。その目的を果たすために混乱が起きて当たり前なのです。組織を上手く機能させ、成果を上げる考え方と行動がマネジメントです。組織という一つの目的意識を持った集団のトップがリーダーならば、組織に変化をもたらすトップの必要性・重要性を追求していくのがリーダーシップ論です。それぞれの技法・手法によって各論は細分化され、融合していきます。

リーダーはさまざまな行動をとります。-将来の方向を定める。配下の部門や部下に指示を与える。教育をする。革新的なアイデアを普及・伝播させる。他の意見を聞く。目標を設定し、フォローする。仕事ぶりを評価し、報酬を与える。褒める。激励する。叱る。組織風土を醸成し、変革させる。危機の到来を予知する。イノベーションを企てる-これら行動のすべてがリーダーシップの発露です。リーダーシップの何たるかについては、組織論、企業行動論によって立つ経営学の枠組みができるはるか以前から、古今東西の賢人により、軍事用兵、哲学、歴史など様々な分野で論じられています。それにもかかわらず、優れたリーダーシップについては、普遍性のある明解な定義が得られていません。「君子危うきに近寄らず」というリーダーシップのとらえ方は、「虎穴に入らずんば虎児を得ず」とするリーダーシップ論とたやすく矛盾してしまいます。また釈尊、キリスト、マホメットのごとく偉大な宗教者によって提示されたリーダーシップと、スターリンや毛沢東やヒットラーによって示されたリーダーシップは根本的に異質です。

さらに、リーダーシップは時代環境によっても影響されます。狩猟期において良きリーダーとは、獲物を狩るグループ活動を上手に調整する人でした。牧畜・農耕期に時代が移ると、野獣を家畜に、野生の穀物を農産物とすることを学んだ人がリーダーとなりました。農耕時代から工業化時代にかけて、富の生産様式が変わり、自身の生存に必要以上の富を造るようになると、専門化と同時に富の分配ルールづくりと管理に長けた人が優れたリーダーとなりました。どの時代においても、平時の生産機能集団と戦時の戦闘機能集団とでは、求めるリーダーシップは違っています。

このようにみてみると、適切なリーダーシップは、リードする集団の特質、集団を取り巻く文化、環境の性質などによっておのずと異り、その普遍的で厳密な定義はないといえます。環境や技術と組織との適合関係は、組織が不確実性にどのように対処するか、という視点から展開されるコンティンジェンシー理論から示唆を受けるものがあるとすれば、「リーダーの行動は状況に適合したスタイルでなければならない」ということに行きつきます。「ケース・バイ・ケース」という、非常に単純明快な命題です。とすると、「状況」が何なのか、が本質的に重要になります。

「適応」と「対応」は異なります。「対応」は「相手に応じて物事をすること」であり、「適応」は「生物が環境に応じて生理的・形態的な特質を変化させること」です。最も大きな相違点は、自らの意思の有無です。「対応」に意思は存在しませんが、「適応」は自らの意思による行為です。時代の変化に「適応」するためには、市場の要請が今どこにあるのか、中長期的な時間軸でウォッチし続けなければなりません。つまり、「適応」はマーケティングの基本といえます。

デフレ現象が続く日本では、漠然とした閉塞感が漂っています。この状況を打破するには、目標を共有することです。何でもいいから、全員が前向きに取り組める目標を作る。何も思い浮かばなければ、何人かで話し合えばいいのです。後は、明るい未来をイメージしてシミュレーションを行い、そのためのプロセスを設計し、目標を具現化していけばいいのです。リーダーのイメージは未来を支配し、行動の積み重ねが組織を変革させていきます。未来に対して前向きなイメージが持てたら、八割方は目標を実現できたも同然です。後は目標に向かって、がんばるだけです。

連山では毎月のイベントが企画されています。イベントは明るい未来への行動であり、メッセージを持っています。イベントへ参加することは、時代の変化に対する適応と生存可能性を高めることになるでしょう。
参考:想月 イベント十二連戦の戦略目標

2010/02/06

デジタル化が促す出版業界再編

日本の出版市場規模は2兆円台割れがいよいよ現実になり始めています。将来の課題ではなく、今日の課題です。2008年の出版市場規模は2兆200億円でした。2009年は雑誌が5%減、書籍が3%減になれば2兆円台を割ります。出版業界は、雑高書低といわれるように雑誌販売の収益で書籍を扱う収益構造です。雑誌は従来から続く販売収入の減少に加え、広告収入は激減、発行する雑誌の半数以上が赤字という出版社も珍しくありません。新聞広告からは上場企業の名が消え、地方新聞にいたっては、一昔前の三流新聞のような広告が紙面を飾っています。来春予定の日本経済新聞の電子新聞版は、出版物の電子化をさらに加速させます。出版業界は、印刷、出版、流通、書店、リサイクルと裾野が広い産業です。メディア環境の変化に対応していくには、異文化と適合せざるをえないのです。

拡大が予想される電子書籍市場で国内での主導権を確保しようと、講談社、小学館、新潮社など国内の出版社21社が、一般社団法人「日本電子書籍出版社協会」(仮称)を2月に発足させる。米国の電子書籍最大手アマゾンから、話題の読書端末「キンドル」日本語版が発売されることを想定した動きだ。携帯電話やパソコン上で読める電子書籍市場で、参加予定の21社が国内で占めるシェアはコミックを除けば9割。大同団結して、デジタル化に向けた規格づくりや著作者・販売サイトとの契約方法のモデル作りなどを進める。

出典 2010年1月13日 電子書籍化へ出版社が大同団結 国内市場の主導権狙い   

情報産業の歴史は4つのステージがあります。最初がアナログのテクノロジーを使った情報の道具です。近代工業では、大量生産が価格を引き下げます。新技術製品は、登場した当初は大量生産ができないので高価格ですが、代替品が無ければ特定の裕福な人々やそれで産業を拡げる企業などが買うので、少しずつ市場は拡大します。それをテコに徐々に生産規模も拡大、価格も低下、これが需要を拡大、一段と大量生産が進むという経路を辿るのが普通です。テレビ、印刷機械、ラジオあるいは電話など、アナログのテクノロジーをベースとした道具が次々に生まれました。次は、この道具を道具として使ってサービスを提供するアナログ情報サービスです。すなわち、一番最初はアナログのテクノロジーを提供する産業、二番目はアナログサービス産業です。三番目にやってきたのがデジタルの道具の産業です。最初にコンピュータを使わないで情報を伝達する道具が生まれて、サービスが生まれました。次にコンピュータを使ったものとしての道具が大いに繁栄する時代がやってきました。いわゆるIT産業です。そして四番目は、現在進行中のこのデジタルの道具を道具として使って、サービスを提供する、デジタル情報サービス産業です。

デジタルビジネスの特徴は、数字で言えば二つの数字で表わせます。一つがゼロです。時間差がゼロ、情報劣化がゼロ、変動比がゼロということであり、さまざまな特徴をゼロで表わすことができます。もう一つは無限大です。無限大のユーザー、無限大の在庫の種類、無限大の情報の深さ・広さ・コミュニティー、無限大のリサーチなどを提供することができます。従来の物理的手法は規模が限られています、従って有限にならざるを得ません。

日本でのケータイ文化を背景に、携帯電話向けの書籍コンテンツの売上が急速に拡大してきました。2007年前後では、ケータイ小説ブームが起こったのは記憶に新しいところです。電子書籍ビジネスは、コミックや写真集が中心となっており、アダルト系のコンテンツが大半を占めています。2008年の市場は推定で464憶円となり、今後も拡大が見込まれる市場です。

出典 離陸する電子書籍ビジネス(4):日本市場の行方

電子書籍は未だ黎明期です。米国でも2008年の時点で 100億円に満たない市場規模です。日本では携帯版の電子書籍が普及している分だけ、米国よりも日本のほうがビジネスの枠組みは出来上がっています。日本の電子書籍ビジネスは出版社との関係を良好に維持した保守的なモデルです。大手の出版社や携帯会社が共同出資をする形で電子書籍会社を立ち上げて、書籍を電子化、コピーができない著作権保護機能などを加えた上で、PC向けの大手ポータルサイトや携帯向けのコンテンツとして有料配信をする業界構造です。世界で最も普及している電子文書のフォーマットは、「PDF(Portable Document Format)」です。PDFは、日本の携帯向け電子書籍として読みやすいページを制作することは不向きであるがゆえ、モバイル端末での閲覧を目的に開発された国産プラットフォームのほうが広く採用されています。国産プラットフォームによる電子書籍の制作環境は、制作ソフトのライセンス料が高額なため、中小の出版社や個人の著者にとっては敷居が高いものになっています。結果として、ケータイ向けの電子書籍ビジネスは大手が有利の構図が出来上がっています。ゆえにガラパゴス化しているのです。

2010/02/05

文化の系譜

検察特捜部は、独特の文化を持っています。2002年に発覚した辻元清美秘書給与流用事件では、辻元清美ら4名は2003年7月18日に逮捕され、2004年2月12日に有罪が確定しました。衆議院選挙で彼女が立候補の動きをみせたことにあると思われても仕方ありません。何故なら彼女とは逆に、立候補を見送った田中眞紀子氏は、不起訴処分となったからです。

2003年4月の統一地方選挙埼玉県議会議員選挙では、「死ぬまで知事をやり続ける」と言っていた土屋義彦・前埼玉県知事が、前日まで「辞めない」と開き直っていたのに、その翌日になって突如として辞任を表明しています。土屋の政治資金管理団体をめぐる問題で土屋の長女市川桃子が逮捕され、土屋氏に逮捕の情報が入ったため、あわてて辞任を決めたと思われます。このような話は数多く存在しています。

アメリカの「司法取引」とは「自白しなければ、刑は5年だが、自白すれば3年半ですむ」というようなものです。議員に対して日本で行われていることは、犯罪そのものを免除してしまうことであり、アメリカの「司法取引」とはまったく意味が違います。辞任すれば犯罪の事実が消えてしまうのは、おかしな話です。

また日本の警察は知事に極めて弱いという事実があります。なぜなら、県警本部は知事の下にあり、知事の裁量で警察の予算が決まるからです。そのため通常、知事を捜査・逮捕するのは検察の役目となっています。

旧大蔵省と検察の癒着も有名です。かって、東京高検検事長の退任が決まると、旧大蔵省から5ヶ所くらい顧問先を紹介してもらえた時代がありました。平成11年、公取委員長には  根來元東京高検検事長、証券取引等監視委員長には水原元名古屋高検検事長、預金保険機構理事長には松田最高検刑事部長、金融監督庁長官には日野前名古屋高検検事長など、天下り先は幅広かったのです。また、金融機関と検察庁幹部が定期的に会食していたことも取り沙汰されています。1998年の接待疑惑をきっかけに、旧大蔵省のスキャンダルが発覚し、旧大蔵省のうち金融部門が独立して金融庁が作られました。その金融監督庁長官には金融のまったく素人である日野前名古屋高検検事長が送り込まれています。

昭和32年の売春汚職事件は、売春防止法を巡り、都宮徳馬氏、福田篤泰、両自民党衆議院議員が、「赤線業者」の組織、全国性病予防自治会(全性)から賄賂を受け取ったと読売新聞が記事にして、両議員から名誉毀損で訴えられた事件です。結局、読売新聞社会部のスター記者、立松和博氏が名誉毀損容疑で逮捕されました。捜査を命じたのは、東京高検検事長岸本義広氏であるが、岸本氏は当時、法務省の事務次官、馬場義続氏と激しく対立していました。そこで、岸本氏は立松記者に情報を流し、馬場事務次官を失脚させようと画策したのです。結局、これは立松記者の誤報であることが明らかになりましたが、その30年後にこの事件の真相が明らかになりました。「ミスター検察」と呼ばれた伊藤栄樹元検事総長が、病死前に事実を告発したのです。読売新聞にリークされる情報が、どれもみな法務省に報告した事項ばかりであったことから、伊藤氏は「ガセネタ」を一つ、法務省に流してみた。すると直ちに読売新聞にこの記事が載った。調べてみると、法務省の「ある人物」が、読売新聞の立松記者に情報を流していることがわかった。その人物こそ、後に東京地検特捜部で「特捜の鬼」といわれた河合信太郎氏といわれています。当時、馬場事務次官の直系で刑事1課長だった河井氏は、岸本東京高検検事長を追い落とすために、読売新聞に情報を流していたということです。

小沢氏の問題では、検察情報を流している現職の検察幹部がいるといわれています。検察は国民を死刑にすることもできる絶対的な立場にあり、検察の公正さは国民の人権にもっとも影響を与えるといっても過言ではありません。その検察の内側に、こうした文化の系譜があると疑われるのは非常に残念なことです。

2010/02/04

書籍市場におけるデジタル・メディアの覇権争い

10数年前、市場の変化の殆どは、ビジネス活動によって推し進められていました。現在は消費者によって推し進められています。IT機器が浸透していくに連 れ、個人の生活と同様に、職場環境も変化していきます。企業は、組織構造とプロセスにIT技術を組み合わせ、生産性を大きく向上させています。ゲームのルー ルを変えてしまうイノベーションが市場の変化にぶつかると、市場の破壊が生じます。市場の変化は、市場がその重要性を認識し、適応する何年も前からすでに 起こっているのです。
米Apple社が2010年1月27日に発表したタブレット型コンピュータ「iPad」は、早くも世界で最も人気のあるタブレット型コンピュータになるといわれているが、果たして本当にそうなのだろうか。従来のタブレット型コンピュータの年間出荷台数は、世界中で200万台未満と見られる、決して大きな市場ではない。ある専門家は、その数は年々減少しているという。一方、電子ブック・リーダーやネットブックの市場はいまだ成長を続けている。

出典 iPadは大ヒットとなるか、中途半端な製品で終わるか 

Amazon、Google、Appleの3社は、それぞれ独自の電子ブック・リーダーや書籍コンテンツを揃えており、デジタル・メディア覇権争いの場は書籍市場にシフトしています。

iPadは装置とサービスのハイブリッドモデルともいえます。アップルが稼ぎ頭としている主力商品は、既にマッキントッシュから携帯端末へと移行しています。音楽のオンライン配信ビジネスでは、iPodを世界中でヒットさせたアップルが音源データの販売市場を掌握しました。携帯プレイヤー「iPod」の普及台数は全世界で1億台を超えており、製品としての売上は鈍化していますが、音楽作品のコンテンツ販売は鈍化を補う形で伸びています。iPodとiTunesのパッケージは、ネットワークベースのサービス・プラットフォームによって成功した優れた事例です。製品を売るだけではなく、電子コンテンツのライセンス料や利用料で稼ぐ方式です。

アマゾンは、電子書籍の分野で世界一の覇権を握る布石としてと、リーダー端末「Kindle」を開発しました。世界で1億人を超す読書家を顧客として抱えていることから、出版社や著者からコンテンツを提供してもらいやすい立場です。「Kindle Store」で購入できる電子書籍のコンテンツは既に30万タイトル以上が揃っています。独自の電子書籍フォーマットを普及させて、その後に電子出版社としての権利を独占する戦略です。Kindle用のコンテンツをiPhoneでも読めるアプリも無料で配布していますが、それでも現在の購読対象者は 100万人前後といわれています。世界のネットユーザーが約10億人いることからすると、電子書籍の市場を掌握しているわけではありません。

電子書籍の形式にはいくつもの種類や規格が存在しています。かってのビデオテープやダウンロード用の音楽ファイル、次世代DVDなど新しい媒体が開発されるたびに複数の規格が登場し、その再生機器を手掛けるメーカーが業界標準の座をかけて熾烈な競争を繰り広げたことが繰り返されています。リーダー端末に拘らないのが、グーグルの電子書籍市場に向けた戦略です。同社が得意とするネット検索の技術を前面に押し出した、「Google Books」です。検索機能を充実させたネットサービスとしての立ち読みです。世界で最も普及している電子文書のフォーマットは、Adobeの「PDF(Portable Document Format)」です。Google Booksは、PDFのプラットフォームをベースにしているので、ローコストで電子化できます。

電子書籍は、「電子書籍より紙書籍のほうが読みやすい」といった論点になることが多かったが、両者の優劣を付けるという考え方は既に古くなっています。これからの電子出版事業は、紙書籍の足りない部分を電子出版が補うという位置付けの元に、紙とデジタルを融合させた出版事業へと変化していくでしょう。音楽や動画の楽しみ方は、IT機器とブロードバンドで大きく変わりました。今度は読書の楽しみ方が大きく変わろうとしています。

2010/02/01

中川一郎、怪死の事実

日本がサハリン資源開発に関わるようになったのは 1973年からです。1973年(昭和48年)10月、田中角栄首相の訪ソをきっかけにして、シベリア資源開発の話が持ち上がります。当時の日本は高度成長期で安定したエネルギーの確保、ソ連は海洋資源開発の資金と技術を望んでおり、両国の思惑が一致したことで、10月10日、日ソ科学技術協力協定調印となりました。日ソ協力事業としてシベリア開発がスタートし、サハリン大陸棚開発はそのひとつとして動き出します。

1973年11月16日、日本政府は石油緊急対策要綱を閣議決定。「総需要抑制策」が執られた結果、日本国内の消費は低迷し、大型公共事業が凍結・縮小された、第一次オイルショックです。中東に大きく依存するエネルギー政策の見直しと、中東地域以外からのエネルギー直接確保が急務となります。

サハリンプロジェクトは、サハリン島北東部の海底での探鉱が進み 77年と79年には2つの鉱床が発見されています(現サハリン1)。採掘へと移行していくはずでしたが、80年代に入ると石油価格は暴落。そのまま90年半ばまで棚上げ状態になってしまいます。

このサハリンの石油に絡んでいたのが、元農林大臣・科学技術庁長官だった中川一郎代議士です。中川氏は総裁選に立候補し、惨敗したあと札幌パークホテルのバスルームで「謎の自殺」を遂げています。これについては、いまだ「他殺説」が絶えません。「新潮45」が2001年3月号より、「中川一郎怪死事件-18年目の真実」という連載を始め、それに鈴木宗男が関わっているのではないかという記事を出した段階で連載が中断されています。一方で、旧ソ連のKGBの対日工作責任者であったイワン・イワノビッチ・コワレンコ氏が、1996年に『対日工作の回想』と題する自伝を発表。その中で、「中川氏を買収して、ソ連のスパイ機関の手先にしたてようとした」「そのため中川氏は、アメリカのCIAに暗殺された」という事実を暴露しています。

今となっては、旧ソ連に近づいた「スパイ中川」をアメリカのCIAが暗殺したかどうかは、もはや歴史の中に封印されているのです。これにはもう一つの説があります。中川氏が三井物産と組み、サハリンの石油利権を得ようとしたことに対し、アメリカのCIA、あるいは石油メジャーの手先が暗殺したのではないか、という説です。いずれにしても、1983年1月9日に亡くなった中川氏の死を、自殺だと信じているものはほとんどいません。

2010/01/31

組織の能力

現在は、環境が継続し不変な時代から、構造が変わり歴史の発展段階が転換しようとしている真っ只中です。エネルギーの分野では、化石燃料から非化石燃料への転換がはじまっています。炭素文明から水素文明への移行です。ブロードバンドは社会・経済・技術において変化を促します。競争ルール、方向性の変化です。

現在の世の中は、すべてが組織で動いているといっても過言ではありません。組織は生き物です。生き物は本能的に生命の持続を図ります。何よりも自らの生命の永続を最優先するのです。

組織の規模が拡大すると、質的転換が発生します。軍隊でいえば、200人までの規模は分隊、小隊や中隊からなる組織で、中小企業の規模です。指揮官は通常、分隊長は軍曹、小隊長が少尉、中隊長が中尉。いずれも一人の長が全員の顔も気心も知って指揮監督できる規模の組織です。1000人までの規模は大隊となり、指揮官は大尉です。中堅企業の規模です。一人の長では目が届かなくなり、管理監督のための組織体系に質が変わります。中隊以下の部隊に足して、具体的な作戦指示や目標を指揮するのです。さらに拡大して3000人を超えると連隊となり、連隊長は大佐と階級の名称が変化します。企業規模でいえば準大企業となり、管理機能の複雑化と監督機能の高度化に対応した組織形態が必要とされます。さらに拡大して数千人規模になると、旅団、師団、軍団となり、指揮官は将校が担います。現場指揮だけでなく遠隔指揮が必要とされます。企業規模は上場企業です。さらに数万単位の規模では、方面軍、総軍となり、総合的な判断状況が重要となり、管理職種も多様化していきます。企業規模でいえば多国籍企業群です。これらの部隊は国家の指揮の下、立案された作戦を遂行するため、広範囲に戦略を実行します。

危機はもちろん、金融から始まっていますが、もはや単なる経済危機のレベルではなくなってきています。環境が変化すること事態はどの分野でもあり、自然なことです。しかし複雑になった環境の中で、多くの分野が次々と経験のない事態に直面し、模範解答のない困難な問題が発生しています。世界の枠組みや、これまで当たり前のごとく思われてきた価値観が崩れ始めているということです。

大規模で破壊的な変化に対応していくには、組織も形態の転換が必要とされます。自然界における成長・発展は変化です。我々が自然に対した時に、何の疑いも無く受け入れるこの事実は、組織では受け入れ難くなります。規模の大きな組織や変化が極めて少なかった業界ほど試練の時代です。大規模な変化や、破壊的イノベーションに対応する場合の最悪のアプローチは、現行組織を抜本的に変えてしまうことかもしれません。組織を変身させるつもりが、自らを支えていた能力を破壊してしまうこともあるのです。

大企業は、「破壊的変化」が迫ってきていることに気付いているはずです。ほとんどの大企業は、有能な人材を持ち、商品の品揃えも豊富で、技術ノウハウも第一級、そのうえ資金にも余裕があります。未曽有の危機に直面した企業に、非正規まで含めたすべての雇用を守る余裕はありませんが、変化に対応するための経営資源は十分あるのです。しかしながら時代の変化に対処できず、新興企業にポジションを奪われてしまう現象がおきています。

優秀なマネジャーの条件の一つは、「適材適所」 の人事を行い、人材育成ができることです。個々の業務に適した人材を配置すればプロジェクトに適した組織になると信じていますが、それは単なる思い込みに過ぎません。有能な人材グループを別々の組織で働かせた場合、能力は同程度であるのに、その成果に大きな差が出る場合は何故でしょうか?「組織自体にも能力がある」ということです。組織の能力は、メンバーの資質やその他の経営資源とは別個のものです。企業を継続的に発展させていくためには、人材評価だけではなく、現在の組織が対応できる変化と、対応できない変化を評価する必要があります。現在の制約要因を明らかにし、自分が切れる手札を認識することです。

2010/01/26

頽廃の拡大再生産

政党は組織であり、共同体です。民主主義の政治は、選挙にお金がかかりすぎます。しかしながら、ある程度お金をかけなければ良い政治ができないのも事実です。日本の政治には、政党交付金という助成金の分配システムがあります。政党に所属しないと選挙で戦えないのです。志のある政治家さえも政党や派閥に支配されており、政党が存在する限り、政治家は単なる頭数になり、個性を奪われてしまいます。今日の政治は、政党が政治家を縛り付け、政治家は政権奪取のため、志を無視した活動を行わざるを得ないのです。

東京地検は小沢幹事長と大手ゼネコン鹿島建設の癒着構造に迫っています。東北地方での談合は鹿島建設が仕切っていました。小沢の「金の成る木」といわれている地元岩手県の胆沢ダムは、共同企業体といいながら実質は鹿島が中心です。

2009年3月の東京地検の捜査では核心に迫りきれませんでした。
「小沢一郎 政治資金規正法違反疑惑」 
この間題のキーパーソンは小沢の側近中の側近であった高橋嘉信氏です。小沢との決別の真相については「墓まで持っていく」と述べており、政治の闇なのです。

2010年1月13日、検察は陸山会、鹿島建設の東京本社、東北支社、元役員の自宅、鹿島建設の下請け各社への家宅捜査を実施しました。東京地検の強気は、世論調査の8割近くが「小沢幹事長は説明していない」と答えている現実です。現実と事実は異なりますが、検察庁は起訴に持ち込まなければ、小沢一郎に敗北したことになります。起訴されると小沢一郎は党籍を離脱することになります。地方議員が少なく地方に影響がない民主党は、小沢が陣頭指揮をとらないと参院選は選挙になりません。

重要なのは、政治資金規正法に違反した政治家がいたという疑惑だけではないのです。鳩山首相は「小沢幹事長どうぞ戦って下さい」と発言し批判を受けて訂正したのに、また「石川知裕容疑者について起訴されないことを望みたい」と発言しました。民主党議員達は、「石川知裕代議士の逮捕を考える会」、「捜査情報漏洩問題対策チーム」、「土地代金4億円不記載をめぐる論点整理勉強会」などを立ち上げ、検察への抗議活動を行っています。鳩山首相は、検察庁をふくめた行政のトップであり、民主党議員は与党の一員です。検察庁を批判することは、政権を批判することであり、政権を担っている自らの存在意義を自己否定することです。倫理の頽廃です。

倫理の頽廃は、頽廃の拡大再生産を引き起こします。組織の気質が頽廃してしまうと、何が正しいことなのか組織全体が判らなくなるのです。組織内では評価・賞賛されるかもしれませんが、合成の誤謬です。

2010/01/25

思想が行動を生みルールを創る

米国、オバマ政権が1月22日、新たな銀行改革案を発表しました。
1.自己資金を用いた証券売買を制限する
2.銀行によるヘッジファンド所有およびヘッジファンドへの投資の禁止
3.銀行が抱える負債規模の制限
この規制が実施されると、ドルキャリートレードは逆転する可能性が高く、新興国や商品に投下されてきた莫大なマネーが回収されることになります。

大衆社会とは、数で決まる社会です。「正しさは力だ。力は数だ。」というのが大衆の言説の原則です。大衆とは有権者という意味です。多数決の決定に逆らえる政治家はいません。
アメリカで貧困層の定義は、年収規模で220万以下です。これは日本の200万円とほぼ一致するラインということになる。アメリカでは、日本以上の市場原理主義の弊害が起こり、日本の「中流」と同じ意味に使われる多くの中間層が貧困層に転落してしまっている。
出典 「ルポ 貧困大国アメリカ」(堤未果著 岩波新書)

2008年の貧困者は39.8万人、貧困率は13.2%です。
年間所得5万ドル未満が80%以上を占めています。
Number in Poverty and Poverty Rate
Detailed Income Tabulations from the CPS
出典 米国勢調査局(Census Bureau)  

日本は、阪神大震災の時でも暴動や略奪は生じませんでした。誰もが社会のシステムによって守られていると感じているからです。米国の下級階層は、社会のシステムによって抑圧されていると感じています。だから一番最初に暴動や略奪に参加するのです。貧困層と失業率の増加は、社会的混乱の源泉です。

ペーパーマネー経済は1971年から始まりました。構造の変革です。為政者は通貨の発行量を恣意的に拡大してきました。現在の金融システムにおいて、金融機関は儲かればボーナスで回収し、損すれば国民の税金で充当させています。通貨量の膨張と金融モラルの常識を逸した行動の結果です。不良債権処理をすればするほど、国家経済は悪化していき、不良債権処理を止めるまで続きます。日本の不良債権処理と構図は同じです。世界は、物質的な裏づけのない通貨でどれだけの経済安定を保ちえるのか。壮大な実験中なのです。
「行動にはつねに動機があり、目的がある。動機が正義であり、目的が善であって、その行動だけが悪だということは、人間にはありえない。行動を生む動機とか目的は、その人間の思想が組み立てるものだ。思想が正しくなければ、正しい行動は生まれない。何をするかより、何を考えているかが重要なのである。行動という刃物が、利器なるか、凶器となるかは、その行動を支える思想あるいは理論が正しいか、正しくないかによって決まるのだと思う」
本田宗一郎氏が語った言葉です。

思想が行動を生みルールを創ります。問題解決は、事を大きくしていかないと解決に向かいません。物事を正常化するのでは解決できないのです。どのような解決策を選ぶかという思考法でなく、どのような結果にするかが大切です。

願望の論理は未来志向です。未来は的確に分析しても的中する保証はありません。必然ではなく偶然が支配する世界だからです。予測と判断が誤ることは避けられません。誤らないのは、予測し判断しない人達です。現実の結果を淡々と受け入れていく受動的な思考と行動の持ち主です。未来の予測は、強烈な論理力を必要とします。

『秋月便り』は当月無料です。橋前勇悟氏が連載する金融経済情勢は、驚愕の情報と未来の予測です。これからの時流は、世界的な不況と物価上昇の同居する、スタグフレーションが進行する不幸な事態になりそうです。購読すれば破壊的イノベーションの過程というものを知ることができ、『遠隔学習御蔵』に参加できます。

橋前勇悟の金融経済に関するラジオ放送

2010/01/23

労働組合という団体ビジネス

労働組合の本来の機能は、弱い立場にある個々の労働者に代って団体交渉をすることです。最近ではストライキを武器にして過激な賃上げ闘争をするような労働組合はほとんど見かけず、毎年5月1日に行なわれる労働者の祭典メーデーへの参加者も減少。組合自体の活動が形骸化し、労働者も経営者(管理職)寄りの視点に変わってきているため、組合本来の機能は低下しています。会社側と対立するのではなくて、良好な関係を保つことで労働者の統率を図ろうとする「御用組合」が増加しているのです。

しかし今でも全国には約5.6万もの労働組合が存在しており、1千万人の労働者が加入しています。全国の労働人口に対して6名に1人は組合員ということです。推定組織率(雇用者数に占める労働組合員数の割合)は18.5%で、産業別の上位は、製造業、卸・小売業、官公の順となり、全体の49%を占めています。
平成21年 労働組合基礎調査

労働組合というのは横と縦の連携がしっかりとできている組織です。しがって、この1千万人が繋がっています。政治家が選挙で戦う上で、労働組合の支持を受けられるか否かで戦況が大きく変わるのはこのためです。

現在の不況のなかにあっては、組合員の減少は必然です。成長している産業で労働組合を作るしか、この組織が生きる道はありません。組織率の低下から、「新成長産業分野」として位置づけられ、労働集約産業である介護・保育の分野で労働組合が拡大していくことが予想されます。なぜなら、介護保険制度の導入で介護市場には急速な拡大が生まれているが、介護サービスを担う介護労働者の雇用や労働条件は不安定な場合が多い。そのため介護労働者を地域横断的に組織し、厚生労働基準を確立する必要性を訴えているからです。労働組合にとっても福祉産業は新成長分野なのです。

労働組合に明確な意志を持って参加(加入)している人というのは少なく、積極的に組合に頼ろうとしない人が大多数です。組合費は、月給とボーナスを含めた年収の約1%前後で、月額で3千~5千円という金額設定です。普段は給料から天引きされているため、その金額の重さはあまり意識されませんが、組合自体の活動が形骸化してきている近年の状況でも、組合費が値下げされることもなく給料から天引きされています。確立された集金システムと、「組合費×組合員の数」による資金力は莫大で、全国で1千万人の労働者が1人あたり平均で3千円/月を給料から天引きされているとすれば、毎月300億円。年間で 3600億円が労働組合の活動費として集金されていることになります。

労働組合費がどのように使われているのかというと、会社側との団体交渉のために専従となっている組合スタッフの人件費、組合員との会議や集会の開催、会報の制作~配布を行なう活動費として使われているのは5割以下に過ぎず、残り半分の組合費は上部団体や関連団体へ送金されているのが実態です。欧米では労働組合が職種・職能別に組織化されていて、各労働者が自分の職種に適した組合へ個人加入する方式になっていますが、日本では企業別に労働組合が設立されていて、正社員であれば加入することが条件になっています。しかし労働問題というのは会社内だけの問題に留まらないという理由から、その上部団体として産業別の労働団体(自動車総連、電機連合、日教組、生保労連など)が組織化されており、さらに各産業を取りまとめる全国中央団体(連合、全労連、全労協)という三階建ての構造になっています。そのため給料から天引きされた組合費は「企業組合→産業別組合→中央団体」と上納されていく上納金システムが完成しています。

中央団体では、この資金を労働者の生活を改善するための法律改正を訴える政治活動に使っています。政治の世界からみると、労働組合というのは格好の集票団体であり、集金団体であることを理解しておかなければなりません。集金システムの役割からすると、労働組合が自発的な解散をしていこうとする流れには向かわないはずです。労働組合は完成された団体ビジネスなのです。

2010/01/22

労働組合の歩みと変遷 3

■企業別労働組合と春闘方式
春闘は1956年(昭和31年)に始まり、この年代から日本は高度成長の時代に入っていきます。高度経済成長時、「松下は松下一家だ」、「東芝は東芝一家だ」という企業一家意識が出てきます。アメリカやヨーロッパの労働組合と日本の労働組合は組織形態が違います。欧米の場合、労働組合は鉄鋼なら鉄鋼、繊維なら繊維ということで、産業別に組織されます。日本の場合は、企業別に労働組合が組織されていきました。GHQが労働組合をつくらせた時に、会社、企業ごとに組合を組織していったことと、企業一家意識が企業別労働組合を結成させたことが背景にあります。

産業別組織の形態は、産業全体の労働者が一丸となって闘うから、闘争力、交渉力が強いのです。企業別労働組合は闘争力、交渉力が弱いので、カバーするためにつくり出されたのが「春闘方式」です。春、賃上げを巡って一斉に闘争するスタイルです。高度経済成長時、「鉄は国家なり」「鉄は産業の米」と言われていたので、富士製鉄、日本製鉄(現在の新日鉄)等、鉄鋼が非常に強くなっていきました。鉄鋼労働組合が、企業別でありながら、産業別に、賃上げ交渉を春に集中的にやるという「春闘方式」をとったのです。次に、当時は「糸偏(いとへん)」景気というのがあり、繊維産業が強かったのですが、「鉄鋼が何%の賃上げを取ったのだから、繊維も上げろ」といって、繊維が次に続くのです。このような形式で、賃上げを戦って行くのが春闘方式です。この方式は、日本の経済がずっと右肩上がりで、平均10%の経済成長をしていたので成功しました。企業側も、賃上げ余力が十分にあったのです。そこで、春闘は二つの「闘争」を組み合わせました。ひとつは「ベースアップ闘争」で、賃金のベースそのものを、全体に引き上げるという方法です。さらに、その上に、「今年はこれだけの業績が上がった」ということで、賃金も上げる「賃上げ闘争」です。この二つを組み合わせて、春闘はかなり大幅な賃上げを獲得していきました。「昔、陸軍、今、総評」と言われた背景には、春闘の力も大きな影響があったのです。

■安保闘争とナショナルセンター
1960(昭和35)年、岸信介が日米安保条約の改定を明言しました。岸信介は、安保条約を単にアメリカ軍に基地を提供するための条約から、日米共同防衛を義務づけたより平等な条約にしたいということで、安保改定を図り、1960年1月19日に日米安全保障条約に調印します。これが大政治問題となります。

社会党はイデオロギーが非常に過剰な政党で、政党が一本になっても内部抗争が絶えませんでした。社会党のドグマ(教条主義)、階級政党に非常に不満を持ったのが、現実主義的な社会民主主義者である西尾末広です。社会党は、「階級政党から国民政党へ」と言う西尾を徹底的に叩きます。社会党を除名された西尾末広は、日米安全保障条約が調印された1960年1月に民主社会党を結成します。

平行して起きたのが、九州の三井三池炭鉱闘争(1960年1月、三井三池争議無期限スト)です。かなり苦しくなってきた労働側は、炭労という最強の労働組合に立てこもり、「炭労で、総資本と総労働の対決をやる」ということで、長期に渡って三井三池闘争をやりました。しかし、これは結局、労働組合側の敗北に終わります。

日米新安全保障条約批准をめぐり、1960年5月19日に衆議院で、自民党が単独で抜き打ち採択して安保改定を成立させたことから「安保闘争」はかってない高まりをみせていきます。「安保反対、岸を倒せ」ということで、学生や労働組合が国会に突入する。そして、全国各地で安保反対運動が起こることになります。しかし、日米安全保障条約の改正は、1960年6月19日を期して参議院の議決がないまま自然成立します。7月に岸内閣が退陣します。権力によって潰されたということで、11月の全学連等の国会構内乱入事件と拡大されていくのです。そして、やがて安保闘争も凄まじかった火が消えるのです。

全労会議は1962(昭和37)年の全日本労働総同盟会議(同盟会議)を経て、1964(昭和39)年に全日本労働総同盟(同盟)を結成します。以降、勢力の順に総評、同盟、中立労連、新産別となり、ここから、「総評」「同盟」という二つの労働組合の全国組織時代が続いていくのです。傾向として、総評は官公労組が多く、同盟には民間労組が多い。政治的には総評が日本社会党を、同盟が民社党を支持していました。

岸政権が倒れて一つの政治の時代が終わり、池田内閣が発足します。池田勇人は、「私は嘘は申しません」ということで、所得倍増計画をスローガンに掲げて高度経済成長路線がスタートしていきます。事実、日本は所得倍増どころか、年率平均で最高13%の経済成長を遂げ、所得は3倍、4倍になっていくのです。1960年代は、アメリカの生活水準の2割です。それが70年代になると、アメリカの生活水準の4割になり、85年のプラザ合意の時には、1ドル240円が120円になったこともあり、ついに日本はアメリカの一人当たりのGDPを追い抜き、世界第一の豊かな国になっていったという経過があります。

■高度経済成長と生産性向上運動(マル生)
高度経済成長に突入した日本では、もはや労使対決主義、階級闘争主義は無意味になってきます。そして、「日本生産性本部」を経営者が作り、「生産性向上運動」(マル生)を実施します。労働組合もだんだん力が弱まってきます。しかも高度経済成長で賃金が上がる、持ち家が増えるということで、日本の労働組合は、「ヨーロッパ並み賃金をよこせ」と要求を変えてくるのです。

その中にあって、総評で跳ね上がったのが、国家公務員、地方公務員等の官公労です。ちょうどI LO(国際労働機関)が、日本は公務員のスト権を奪っていると批判した時代です。I LO条約の批准闘争として、スト権を獲得するためにストをやる「スト権スト」を実施しました。

日本の労働組合はだんだん集約され、1987(昭和62)年には民間の労働組合55単産、5540万人が結集して、全日本民間労働組合連合会が結成されます。1989(平成元年)年には「全日本労働組合総連合」(連合)が結成され、78単産、800万人が結集します。一方、それをよしとしない共産党系の労働組合が「全国労働組合総連合」(全労連)を結成し、これに40万人が加盟しています。社会党左派系は、「全国労働組合連合協議会」(全労協)を結成し、50万人が加盟しています。連合800万、全労連40万、全労協50万という、「1強2弱体制」が生まれたのです。

■現在の労働組合
1991年12月、日本はバブル崩壊。日本の企業風土は、アメリカ型の「能力主義・成果主義・株主主義」に変化していきます。2003年は1956年(昭和31年)に始まった春闘が終わった年となりました。1956年が春闘元年、2003年は春闘御臨終の年です。連結決算で1兆円の利益を上げたトヨタ自動車が、ベースアップも賃上げも実施しなかった年なのです。つまり、春闘方式では賃上げは取れないということです。一昔前までは、春闘というと会社の門に赤い旗が立って、組合の名前が出たりしていましたが、もうあのような姿を見る機会は少なくなったと言えるでしょう。

組合員の意識変化や選挙での集票力が落ちるなど、社会的影響もあり、組織率、組合員数は減少しています。2003年には組織率19.2%となり、戦後初めて組織率が20%を切りました。2009年6月30日における単一労働組合の労働組合数は26,696組合、労働組合員数は1,007万8千人です。推定組織率(雇用者数に占める労働組合員数の割合)は、18.5%となり、2006年から18%台を維持しています。
平成21年労働組合基礎調査結果

現在の日本において、労働争議、ストライキという言葉を聞くことはありません。企業再編の時代において、労働組合における組織率は低く、企業内労使協調路線でしか存続していけないのです。

2010/01/21

労働組合の歩みと変遷 2

■「2・1ゼネスト」計画
1946年(昭和21年)、共産党が支配する労働組合の全国的組織として、産別会議(全日本産業別労働組合会議:産業別に整理統合された労働組合の全国的組織。1958年(昭和33年)、分裂により解散)が結成され、その勢力が急速に強くなっていきます。共産党の組織である産別会議は、昭和21年頃になると反政府運動に転じます。共産主義革命を実行しようと思うようになるのです。共産党主導である産別会議の組合運動に対抗する為、府県別に連合した労働組合の全国組織として日本労働組合総同盟(総同盟)も同年に成立し、反共の立場を明確に出してきます。昭和21~23年にかけて労働組合は急増し、ピークとされる昭和24年の推定組織率は約56%です。当時の労働組合結成の波は凄まじく、いろいろなところに労働組合が作られています。

産別会議は、1947年(昭和22年)2月1日を期して、産別会議を中心とする日本の全労働者が職場放棄する「2・1ゼネスト」を計画します。国家公務員、地方公務員の賃上げ闘争の共闘組織である、全官公庁共同闘争委員会を中心に全国労働組合共同闘争委員会が組織され、600万人の労働者が結集したと言われています。

時を同じくして、ワシントンでは、「戦争が終わればアメリカの主要な敵はソ連だ」という考え方が主流になっていきます。「そのような状況になれば、ソ連とアメリカは最終戦争をやらなければならない。その時、日本は非常に大事な最前線だ」という考え方ですそれを受け、GHQの中では左派の力が次第に弱くなり、「このまま左派に共産主義をやらせてはいけない」ということになっていくのです。

「2・1ゼネスト」共闘会議議長・伊井弥四郎(後の共産党中央執行委員)は、「私はイデオロギーのために闘っているのではありません。労働者のために闘っているのです」と公言していました。昭和22年1月31日、「2・1ゼネスト」の前夜、GHQのは伊井弥四郎をNHKに連れて行き、総司令部の声明を読ませます。伊井弥四郎は、「全国の労働者の皆さん。残念ながら、我々が明日、予定していた2・1ゼネストは、ダグラス・マッカーサー元帥の命令により、中止せざるを得なくなりました。」と演説する。そして、涙を流して、「労働者諸君、一歩後退、二歩前進」という有名な言葉を言って、2・1ゼネストは回避されるのです。2・1ゼネストが決行されていたら、日本は共産主義国家になっていたかもしれません。日本は、共産革命危機前夜まで来ていたのです。

日本政府は労働組合対策を実施するため、1947年(昭和22年)6月10日、厚生省の中にあった労働局を独立させて労働省としています。2001年(平成13年)1月の中央省庁再編で、再び厚生省と労働省が統合されたのは、そのような経緯があった為です。一方、官公労組の中心は、国家公務員、地方公務員、公共企業体の労働者等でした。1948年(昭和23年)、「マッカーサー書簡」により、国家公務員、地方公務員、公共団体等のストライキ権は剥奪されます。

■レッドパージと朝鮮戦争の勃発
冷戦構造の中でGHQは朝鮮戦争を意識するようになります。「北朝鮮が恐らく韓国に攻め込んでくるだろう。アメリカは最前線で戦わなければならない。その時には、最前線の平坦基地として日本は非常に大事である」と。当時のジョン・フォスター・ダレス国務長官は、背後にいるソ連の勢力拡大を食い止めるために、「日本を反共の防波堤」としアメリカの同盟国として強化・隷属するという政策に転換します。これを受け、労働組合も共産党離れが進み、総同盟と産別会議の対立が激化します。

1950年(昭和25年)6月25日、朝鮮戦争が勃発。朝鮮戦争を戦うために、GHQは朝鮮戦争勃発直前に、総司令部の指令で共産党中央委員24名全員を公職から一斉に追放します。いわゆる「レッドパージ」の開始です。日本政府は、朝鮮戦争勃発後も言論界、官界等に共産主義者が多数いるということで、共産党員の排除を続行します。これらを総称して「レッドパージ」といいます。

旧合法的社会主義政党の政治勢力を結集して、1945年に結成された社会党は、サンフランシスコ講和条約の賛否を巡って左右両派が対立し、1950年(昭和25年)10月24日に左派社会党と右派社会党に分裂します。河上丈太郎を中心とする右派社会党は、アメリカ等西側陣営と、とりあえず講和条約を結ぼうという考えでした。ソ連まで入れて講和条約を結ぶのでは、日本はいつまでたっても独立できない。現実路線を右派はとるわけです。鈴木茂三郎を中心とする左派社会党は、ソ連も一緒になって講和条約を結ばないと、本当の独立とはいえないとしたのです。当時、「全面講和」などと紙誌上で論議されましたが、この全面講和とは、ソ連を入れて講和条約を結ぶということです。講和条約が締結できないということは、日本は独立できないということです。

GHQは、労働組合から共産党の影響を排除しようとしていました。共産党支配の産別会議の中で、労働組合を共産党に支配させてはいけないという人達が産別会議の中に民主化同盟を結成します。総同盟に民主化同盟と中立組合を加え、反共民主労組として1950年に結成されたのが日本労働組合総評議会(総評:連合の発足により1989年解散)です。総評はやがて社会党と手を結び、産別会議は共産党へと分かれていきます。

■「55年体制」と日本の政党
総評は昭和25年に結成されてから30年近く、「昔、陸軍、今、総評」といわれるくらい、戦後社会のなかで多大な力を持っていきます。総評は、産別会議に対して、「全国産業別労働組合連合(新産別)」を結成し、反共産党の労働組合の結集が実施されました。ところが、この総評の中に、再び共産党が入り込み、次第に政治闘争に傾斜していき、反基地闘争や反政府闘争を実施するようになっていきます。例えば、炭鉱労働組合は63日間のストを打つ。違法だが、共産党系の組合が電気を停めてしまう停電ストというのも実行されました。当時は、「ニワトリがアヒルへ」という言葉が使われました。共産党から分かれて総評ができたのに、この総評がまた左になったので、ニワトリができたと思ったら、いつの間にか、ピョンピョン飛び跳ねるアヒルになっていたというわけです。

1951年(昭和26年)9月8日、アメリカのサンフランシスコ市において、アメリカを始めとする第二次世界大戦の連合国側49ヶ国との間で、日本国との平和条約(サンフランシスコ講和条約)と同時に日米安全保障条約が締結されます。日本をアメリカの軍事力で守ってもらうということですが、極めて不平等な条約でした。

1953年(昭和28年)、総評は高野実の共産党路線から、太田薫、岩井章の左派が社会党路線へと転換していきます。太田薫と岩井章の二人が経済闘争路線を重視し、反共産党、反高野闘争を実施して、総評を社会党路線に引き戻すのです。総評では左派が主導権を握り、日本社会党と接近しました。これに反発した右派は会派をつくり、後に総評から脱退、総同盟の右派と海員の労働組合、全繊同盟等、社会党路線に飽き足らない、より右の労働組合が1954年(昭和29年)に全日本労働組合会議(全労会議)を組織します。また、地位低下に悩む中立組合は、1956(昭和31)年に中立労働組合連絡会議(中立労連)を組織していきます。

社会党は割れていましたが、1955年(昭和30年)10月、憲法改正阻止・革新陣営結束のもとに右派社会党と左派社会党が再統一されます。これがいわゆる「55年体制」です。同年、保守合同により鳩山民主党と吉田茂の自由党が合併して自由民主党が結成されます。自民党、社会党による、「自社対立時代」の政治の始まりです。

2010/01/20

労働組合の歩みと変遷 1

アメリカの労働組合と違い、日本の政党と労働組合は極めて強い関係にあります。イデオロギーが絶えず労働組合を振り回した歴史を持ち、日本の経済と政治に多大な影響を与えたシステムです。

■戦後の労働運動
日本の労働組合が最初にできたのは、明治20年代です。アメリカには1886年に結成された職業別労働組合で構成された全国的労働組合連合であるアメリカ労働総同盟(AFL:American Federation of Labor)がありました。1886年に渡米した高野房太郎が、アメリカのALA(Alliance for Labor Action アメリカの労働行動同盟)を学習して日本に帰国。日本でもこうした労働組合を作ろうではないかということで、職工義友会を作った。その辺りから、日本の労働組合の歴史が始まりました。

昭和15年、いわゆる戦時体制では、労働組合はすべて大政翼賛会に属していました。日本は昭和20年(1945)8月15日に敗戦し、8月末にダグラス・マッカーサー元帥が、厚木飛行場に降り立った時から、日本の占領が始まります。日本国家の立法権、行政権、司法権はなくなり、マッカーサーの占領軍(GHQ)が日本を支配することになるので、戦前の労働組合と、戦後の労働組合では、全く異なります。

■米軍占領時代
マッカーサーは日本を弱体化するという政策のため、10月11日に、「マッカーサー5原則」(婦人参政権の賦与、労働組合の結成奨励、学校教育の自由主義化、秘密審問制度と組織の撤廃、経済機構の民主化)を打ち出しました。占領軍は、日本に積極的に労働組合を作らせようと考えたのです。ここで、歴史の壮大なパラドックスが発生します。本来、軍人はウルトラ・ライト(超右翼)ですが、マッカーサーの日本占領政策は、極めてレフティ(左翼的)だからです。

第31代大統領フーバーは反共主義者で、ソ連の国家承認を拒み「日本はアジアにおける防共の砦」と常々口にしていました。1929年、ウォール街の株式の大暴落、世界大恐慌が発生。1933年、アメリカ復興を掲げたフランクリン・ルーズベルトが、大統領選挙を制します。ルーズベルト政権は共和党の反対を押しきってソ連を国家承認しました。古典的な自由主義的経済政策は、経済への政府の介入をできるだけ小さくするというものでしたが、ケインズの理論を取り入れ、不況回復のために一時的に政府を大きくする政策を掲げる。これがニューディール政策といわれる恐慌克服策で、有効需要の拡大のため国家資本を投入し、労働者・農民を救済して生産を軌道に乗せようとするものです。つまり、国家に権力と金を集めて、計画経済を一部導入するということで、ライト(右翼)からは社会主義的と言われ、レフティ(左翼)からは資本家擁護と指摘された修正資本主義といえる国家統制経済でした。「ニューディール支持=親ソ容共=民主党」と「ニューディール反対=反ソ反共=共和党」という二大勢力が対立する構図です。この時期のアメリカの労働運動を象徴するものとして、産業別組織会議(CIO:Congress OfIndustrial Organizations)が先のAFL内に発足し、ニューディール期に拡大しました。

1945年、第二次世界大戦が終わる年の4月に、ルーズベルトが死亡した頃から、アメリカの政策は急速に右旋回します。トルーマンが大統領になり、やがて軍人であるアイゼンハワーが大統領になります。

アメリカは日本と異なり、大統領が変われば、政権交代に伴う政策プランナーは全員が交代します。これをPolitical Appointee (ポリティカル・アポインティー 政策任用)といいます。官僚を政治家が任命する雇用機能です。ルーズベルトの死とともに、ルーズベルトに雇われた社会主義的、共産主義的な考えをした人は、皆、失業しました。ニューディール左派の誕生です。

弁護士であるチャールズ・L・ケイディスは、ルーズベルト政権に入るが、ルーズベルトが亡くなってから、日本にやって来ます。米本国では反共の共和党の目が光っているため、「それじゃ、GHQに入って、理想を日本に作ろう」とするのです。その中心になったのが、GS(Government Section 民生局)です。

1945(昭和20年)年10月9日、親米的でアメリカでの知名度も高く、英語力も抜群であった幣原(しではら)内閣が成立。民生局のトップは、コートニー・ホイットニーでしたが、実質上、民生局次長となったケイディスが、マルクス主義の理想を込め、「マッカーサー5原則」を作成しました。10月11日、マッカーサーは幣原喜重郎首相に「5大改革指令」と「憲法改正」を要求。連合軍総司令部(GHQ)は、1946年2月13日に天皇主権を維持する日本政府の憲法改正案を拒否。同日、法律学位者の2人の先任陸軍将校(ミロ・ラウエル陸軍中佐とコートニー・ホイットニーGHQ民政局長)らによって作成された、象徴天皇と戦争放棄を柱とする独自案を日本側に手渡し、「この憲法の諸規定が受け入れられれば、天皇は安泰」と説明しています。2月22日、閣議はGHQ憲法案の受け入れを決定。3月6日、同案に若干の修正を施したうえ、「憲法改正草案要綱」として発表。4月17日には、「要綱」は条文化され「憲法改正草案」となります。4月22日、幣原内閣総辞職。5月22日、第1次吉田茂内閣が誕生。日本政府は11月3日、新憲法を公布しました。

日本国憲法において、第28条に規定された労働基本権は賃金労働者に対して憲法上認められている基本的権利です。ここで保障された権利は、すべての国民に保障された権利とは異なり、賃金労働者という社会的地位にある者に対して特別に保障された権利なのです。労働基本権である、団結権、団体交渉権、団体行動権の「労働三権」、そして労働組合法、労働基準法、労働関係調整法という「労働三法」が、創られていくのです。世界の「労働法」のなかでも、労働者、労働組合に非常に有利な法律が、この時に作成されています。日本の「労働法」は、経営者にとって極めて不利に作られており、労働者、労働組合にとって極めて有利に作られています。これを「プロ・レイバー」といいます。

このような経緯で、労働組合の結成を奨励しよう、労働組合を日本にどんどん作らせないとダメだ、ということになったのです。GHQは当初、「日本共産党は、日本を民主化する大きな中心的勢力だ」と考えていました。1946年、中国の延安から戦後、帰ってきた野坂参三(後の日本共産党元名誉議長)は、「占領軍は、日本を軍国主義、封建主義から民主主義に解放した解放軍だ」と評価しました。奇しくも、その評価がGHQと一致し、戦争中、投獄されていた共産党の幹部達、例えば、網走刑務所に20年近く入っていた徳田球一(後の日本共産党の代表的活動家。戦後初代の書記長)、宮本顕治(後の日本共産党第2代議長)等をどんどん釈放していきます。そして「共産党を積極的に支援せよ」ということになり、占領軍と合法政党として再建された共産党との蜜月時代がスタートするのです。

2010/01/17

バブルによる生存

中国にとって2010年の政治的な大イベントは、3月の全人代、5月から始まる上海万博です。中国中央政府は2008年11月、景気対策として総額4兆元(約57.5兆円)の財政出動を決定し、金融機関が融資を緩和しました。

マスコミはリーマン・ショックを克服し、中国経済は絶好調、世界経済を牽引しているという報道です。しかし、好況だと物価が上昇するはずですが、インフレは起こっていません。そして、好況だと人手不足が起こるはずですが、大卒者の3割が就職できず、ワーキングプアとして仲間と同居する「蟻族」となる学歴デフレが発生しています。
2010年、中国が直面する三つの危機

中国の銀行は預金過剰、融資過少の金余りです。金は資産市場へまわり、住宅価格が高騰しています。実体経済の回復より先に、中国はバブル経済に突入しているのです。バブル無くして8%成長の維持はできません。バブル抑制策は国家的自殺となり、リスクを未来へ先送りするバブルによる生存です。3月の全人代の前には、「政府は人民のために投機を防止しています」という引き締め策が必要なのです。

現在は過去とは異なりますが、過去の積み重ねの上に成り立っています。学問で重要なのは文系・理系にかかわらず先例の研究です。文系は、意見・理論・学説の系譜等が研究課題の中心です。理系は、学説史自体の研究を学ぶことは稀です。不要ではなく研究の中に既に織り込まれているからです。歴史の先例が残してくれた事実には、現在の発見があります。

中国、株価指数先物・空売り・信用取引を原則承認=中国新聞社
2010年 01月 8日 20:01 JST [北京/上海 8日 ロイター]
海外華僑向け通信社の中国新聞社は8日、中国が株価指数先物、空売り、株式信用取引の導入を原則承認したと伝えた。これらはいずれも、投資家にヘッジ手段を与えるものとして長く待ち望まれてきた。中国国務院は2008年に改革を承認していたが、世界的な金融危機の影響で導入が先延ばしになっていた。中国新聞社によると、当初は試験ベースで実施され、導入準備に3カ月かかる可能性があるという。中国の株式市場は08年に65%下落した後、09年には80%上昇するなど変動の激しさで有名で、発展途上期にある証券取引所に高度なリスク管理手段のないことが大きな短所とされてきた。株価指数先物をはじめとするデリバティブ(金融派生商品)導入のため、中国では06年末に中国金融先物取引所が上海に設立されたが、世界的な金融混乱の広がりを受けて導入計画は先送りされていた。

日本は、1988年6月に、大証が日経平均株価オプションを上場し、10月には、東証がTOPIXを対象にオプション取引を開始しました。裁定取引を利用したソロモン・ブラザーズの仕掛けにより、1990年2月から始まった日本株式の大暴落はバブル崩壊を引き起こし、土地・株式等の資産喪失により1100兆円以上を消失しました。

バブル経済は必ず弾けます。その多くは、過去に先例を見い出せます。近くは米国の住宅バブル崩壊、遠くは オランダでのチューリップ・バブルです。物理過程にある日常経験の対象物はその構造も、その構成要素も不変であることによって、そのものとしての存在を維持しています。構成要素が変わる時は、その物理的存在ではなくなり、別の物理的存在になるか、より基本的物理的存在に還元されます。構成要素の変化は、過去と未来では決定的に異なります。江戸時代は、徳川幕府を頂点とする連合国家でした。明治維新は徳川政府から薩長政府に変わりましたが統一国家となりました。国家システムとしては、全く異なるのです。構造の変化です。

21世紀の世界大恐慌は通貨体制を破壊し、戦争は覇権国家を崩壊させます。我々は既に、恐慌経由、超インフレ行きの片道切符を手にしています。新しい経済システム(水素文明)を構築するプロセスを発信する『秋月便り』は、水素文明の乗車券となります。

2010/01/15

小沢疑惑追及、地検検事が上層部を押し切る。

東京地検と小沢一郎の闘いは、1月18日の通常国会開会までの、最終局面に突入しています。マスコミは報道しませんでしたが、「チャンネル桜」では自民党の西田昌司参院議員の質問の全てを報道しました。

1/3【西田昌司】参議院決算委員会質疑[H21/7/4]
2/3【西田昌司】参議院決算委員会質疑[H21/7/4] 
3/3【西田昌司】参議院決算委員会質疑[H21/7/4]

特捜部が絞り込んでいるのは、深沢の土地を取得した際の「4億円の原資」です。石川代議士が、「小沢幹事長が直接紙袋に入れて現金で渡してくれた」という証言でウラがとれ、小沢幹事長の事情聴取決定の決め手となりました。特捜が浮かび上がらせたかったのは、陸山会の「原資」であり、「収入」より「支出」が多い陸山会の実態です。

最高検察庁検事総長 樋渡利秋は、もともと民主党嫌いでしたが、民主党の衆院選大勝により、民主党との融和をはかるため、特捜部の現場に「小沢捜査はもういい」と伝えています。しかし、「証言も証拠もあるのになぜだ!」と現場が猛反発し、特捜部と読売新聞が組んでの情報戦となりました。そのうえ「都内の市民団体」としか表記されない謎の市民団体「世論を正す会」が、小沢一郎の政治団体「陸山会」を検察に刑事告発し、再捜査せざるをえなくなったのです。当時、一般のマスコミが無視するなか、司法記者会は検察を全面的にバックアップしていました。

また「水谷建設関係者が小沢幹事長側に1億円を提供」というスクープは、三重県・津刑務所に面会に行った共同通信と『赤旗』の記者が書いています。

今、世界や国内では何が起きているのでしょうか?現代はますます複雑になり、見えにくくなっています。各国の政府や要人は、秘密交渉、秘密協定を行ない、秘密情報をシェアしています。絶対洩れない秘密というのはありません。極秘文書が解禁されたり、洩れたりするからです。さらに現代の極秘情報は真実も嘘も含み、情報量はとめどなく増殖していきます。インテリジェンスは現代においてますます重要ですが、いかに多くの情報を得られたとしても、その意味が読めなければ何もなりません。私達に見えているのはほんの一部にしかすぎません。歴史はブラックボックスなのです。

2010/01/13

レセプト完全オンライン化とHealth2.0

2008年4月10日、厚生労働省令第111号により省令が改正され、レセプトのオンライン請求義務化が決定しました。原則、平成23年3月31日までにすべての医療機関は病床数などに合わせ、決められた年の4月1日からオンライン請求に移行しなければなりません。レセプトデータの電子化は、医療費のムダを抑制し、医療の効率化を促進する基礎となる施策です。しかし、レセプト電子化に反対した日本医師会、歯科医師会、薬剤師会により、例外規定が設けられ実質骨抜きとなりました。

2007年度の日本のレセコンの市場規模は3,200億円である。現状ではレセコンの普及率は病院・診療所で80%、歯科診療所で70%、調剤薬局で 90%と高い。しかしながら2008年度の推定でも施設数ベースのレセプト電算化率(施設数ベースのオンライン化あるいは電子媒体対応割合)は病院で 30%強、診療所で15%、調剤薬局で65%であり、2013年の完全レセプトオンライン化に向け急速な整備が要求され、市場は急速に成長すると予測される。
出典:株式会社シード・プランニング

コンピューターが技術者のみが扱える専門的機械から、一般人も扱える機械として普及してきたのは1980年代に入ってからです。レセプト電子化の構想が最初に厚生省から発表されたのは、1983年のことです。当時、「レインボーシステム」と銘打って打ち出されたこの構想に、当時の花岡日医会長は「デメリットもあるがメリットもある」と柔軟な姿勢を示し、花岡会長のあとをうけた羽田会長も1985年春から、千葉、栃木の2県で試行的に実施することを合意しました。しかし、実施直前の1985年1月の毎日新聞に、電算処理は審査を強化して不正請求の防止を図るのが狙いという趣旨の記事が出たため、千葉県医師会が反発。日医も厚生省との合意を破棄して、この構想は消滅しました。以後、レインボーシステムは厚生省、日医にとって禁句となり、新たな取り組みを始めるまで3年の年月を要しています。1988年から再度スタートしたレセプト電子化システムはまず、技術上の問題点を検討するため技術評価試験に取り組むことになります。技術評価試験は、次の段階であるパイロットスタディに移行するまでの試行期間であり、当初1年間の予定で始まりましたが、診療報酬改定の際にエラーが多発するなどの問題点が明らかになり、2回にわたって延長され、結局3年間行われることになりました。ちなみに、1990年4月の診療報酬改定では、社保分で9.83%、国保分で19.1%もの高いエラー発生率となり、とても実用に耐えられない状況でした。1991年10月よりパイロットスタディに移行し、パイロットスタディは1997年9月をもって終了、同年10月より本稼働に移行しています。20世紀末は、インターネットの普及とIT技術の急速な進歩がみられた時代であり、21世紀に入ってすぐに高度情報通信ネットワーク社会形成基本法(IT基本法)が制定され、「5年以内に世界最先端のIT国家を目指す」E-Japan戦略が策定されました。

情報化時代にあって、医療保険の請求支払いシステムは最も遅れた分野です。増大する医療保険の請求事務を合理化・効率化し、時代にふさわしいものにしていくには、このシステムなしには考えられません。費用の可視化および透明化は、すべての経済活動の前提基礎です。政府のIT戦略本部が策定した「i-Japan戦略2015」には、日本版EHR(Electronic Health Record)構想が盛り込まれています。医療情報の入口となる医療現場での電子化が遅れるということは、その後に控えるPHR(Personal Health Record)などが滞ることを意味します。「医療費適正化」という大義名分がありますが、レセプト情報のナショナル・データベースを構築・分析することによる医療機関ごとの給付適正化です。これはすでに韓国において実施されています。また、完全移行の平成23年度中に、年金手帳・健康保険証・介護保険証の役割を果たす社会保障カード(仮称)が導入される予定となっています。

PHRは病院のカルテを電子的に保存しておくだけでなく、人間ドッグの結果や既往症の具体的な内容、毎日飲んでいる薬やサプリメントの品目、その他に受けたことがある検査データやレントゲン画像など、自分の体に関する健康情報をすべてオンライン上の一ヶ所に保存しておき、事故や病気の際には担当の医師にその情報を開示して、治療に役立ててもらう仕組みを目指しています。PHRの内容が充実していれば、新しい病院に行く度に検査を受け直したり、自分の体質や病歴について口頭で詳しく説明する必要が省けることから、医療サービスの効率化と医療費の無駄を省くことができます。病院や薬局などの医療現場で管理される患者の医療データはEHRと呼ばれ、従来のEHRが「クライアント&サーバ」システムでプロプライエタリなビジネスモデルであるのに対し、EHR2.0はクラウド・コンピューティングを活用したウェブベースでオープン&相互運用可能なものと想定されています。そのため欧米では、PHRの普及が医療改革の柱として注目されており、IT業界は、医療 + Web2.0 = Health2.0をコンセプトに病院や薬局などの医療現場で管理される患者の医療データ(EHR)と、患者が個人的に管理している健康データ(PHR)を結びつけようとしています。

マイクロソフトの「HealthVault」は、医療機関で記録されたカルテの他にも、保険会社、フィットネスセンター、家庭用の体重計や血圧など健康機器で測定されたデータを自動管理できるように開発されたパーソナルヘルスレコード(PHR)です。病院の医師は診察をする際の患者のデータにアクセスして、最近の健康状態をチェックした上で治療を進めることができます。マイクロソフトでは、体重計、血圧計、心拍計、歩数計、フィットネス機器などを開発する各メーカーに対して「HealthVault」の規格を提供することにより、健康デバイスのデータを保管するヘルスレコード市場の覇権を握る戦略です。
HealthVault 

Googleの「Google Health」はβ版のサービスで、病院などで記録される医療情報は本来、患者個人のものであり、患者自身が保有しておくべきものであるというコンセプトです。本来、PHRはEHRをはじめ他の医療システムの上位に立ち、これらを統合する中心的な医療情報であるべきだという考え方です。ユーザーが取り込める自分の医療情報は、Googleとの間で提携関係を結んでいる一部の病院や診療所に限られていますが、病院で診察を受けている患者が自宅から同サイトにアクセスすると、病院が保有している自分の診療記録を取得することができます。その中では処方されている薬のリストも表示されており、複数の病院に通院しているケース(内科と眼科と歯科など)では薬同士の相互作用やアレルギーの関係が自動的にチェックされる仕組みになっています。Googleは、病院で記録されるカルテの電子化や処方薬の販売においてインターネットとの連携が見込めるため、米国内だけで4兆ドルを超す医療ビジネスに個人医療情報の分野を確立し、世界の医療機関に対して電子カルテ作成のプラットフォームを無料で提供する方法で提携先を増やしていく戦略です。
Google Health(β版) 

Health2.0の流れは、インターネットによる医療革命そのもので、既存の医療業界が確立している利権との闘いになるでしょう。

2010/01/11

競争から共創へ、独創からコラボレーションへ

世界経済の急激な縮小はデフレの津波となり、世界を襲いました。大不況は一つの時代を終わらせ、次世代の科学技術を開花させて新時代の開幕を促す経済の摂理です。パナソニック(旧松下電器産業)を創業した松下幸之助は不況克服の心得十カ条を残しました。古い価値観が崩れる時こそ、挑戦者のリスクや参入障壁が低くなります。変革と挑戦は知的蓄財となり、科学の開花を産み出し、新しい社会に移行していきます。

歴史を振り返ると、過去四回の世界大不況がありました。一回目は米国の鉄道建設バブルが崩壊した1873年恐慌です。軽工業から鉄鋼などの重工業生産が主要な産業となったために生じた不況です。国内で過剰となった資本は海外に向かい、列強が市場と資源を確保しようと争う帝国主義の時代です。軽工業(繊維工業)を中心にしてヘゲモニーを握った大英帝国は没落しました。電話機の発明による通信革命が起こり、機械技術の発明や発見も相次ぎ、近代工業社会が開幕しました。
二回目は反トラスト運動が激化する下での1907年の金融恐慌です。二十世紀最初の恐慌です。1908年に大衆車T型フォードの発売で輸送革命が始まり、大量生産、大量消費の時代に突入しました。
三回目は1929年の大恐慌です。ナイロンや合成樹脂など素材革命が起こりました。37年には米国でコピー機、ポラロイドカメラの原型などが相次ぎ登場し、「発明ラッシュの一年」と呼ばれました。
第二次世界大戦が終了した45年には、米ペンシルベニア大が世界初の大型汎用デジタルコンピュータ「ENIAC」(Electronic Numerical Integrator and Computer)を誕生させています。
四回目は1973年の石油ショックによる世界不況です。その後、ビル・ゲイツらの登場とIT(情報技術)の発展で情報革命が始まり、脱工業化社会が開花しました。

今回の不況で世界はどう変わるのでしょうか。過去一世紀半、近代工業社会が破壊した生活環境を修復し、環境創造の循環型社会に転換するのは必然です。資本主義の発展とともに概念化された大量生産・大量消費のモデルは、今や先進諸国においては崩壊しています。新エネルギーや素材、バイオ、宇宙など先端技術を総動員し、生活を全面的に見直すグリーン革命が始まるでしょう。炭素文明から水素文明への転換です。

変革と挑戦は全体(組織)にとっても部分(個人)にとっても共通のテーマです。変革と挑戦とは、あらゆる領域における量から質への転換です。質を追求するということは、一つのことにどれだけ深く関われるかどうかのプロセスであり、一定のレベルに甘んじることなく自己変革をやり続け、他との良好な関係性を高めていくことによって、成果を約束されるのです。社会環境は多様性への対応も要求しています。そこにネットワーク組織の必然性が存在しています。量を追求すると同業他社とは競合関係になるが、質を求めて動くと協力関係ができます。競争から共創です。自他非分離の考え方が共創を生み出します。

「不況克服の心得十カ条」
第一条 不況といい好況といい人間が作り出したものである。人間それを無くせないはずはない。
第二条 不況は贅肉を取るための注射である。今より健康になるための薬であるからいたずらに怯えてはならない。
第三条 不況は物の価値を知るための得難い経験である。
第四条 不況の時こそ会社発展の千載一遇の好機である。商売は考え方一つ、やりかた一つでどうにでもなるものだ。
第五条 かつてない困難、かつてない不況からはかつてない革新が生まれる。それは技術における革新、製品開発、販売、宣伝、営業における革新である。そしてかつてない革新からはかつてない飛躍が生まれる。
第六条 不況、難局こそ何が正しいかを考える好機である。不況のときこそ事を起こすべし。
第七条 不況の時は素直な心で、お互い不信感を持たず、対処すべき正しい道を求めることである。そのためには一人一人の良心を涵養しなければならない。
第八条 不況のときは何が正しいか考え、訴え、改革せよ。
第九条 不景気になると商品が吟味され、経営が吟味され、経営者が吟味されて、そして事が決せられる。従って非常にいい経営者のもとに人が育っている会社は好況のときは勿論、不況のときにはさらに伸びる。
第十条 不景気になっても志さえしっかりと持っておれば、それは人を育てさらに経営の体質を強化する絶好のチャンスである。

松下幸之助の正しさは歴史が証明しています。

2010/01/10

不安定性の源泉

日本で人口問題といえば少子高齢化ですが、国連は中国の人口が1995年の12億人から2040年に16億人のピークに達すると推計しています。インドはその年に19.6億人となり、さらに人口は伸び続け、2050年には中国は14.1億人となるのに対して、インドは22.0億人に達すると推計。中東の人口は1970年の2億人から現在の5億人に達し、2020年には6億人になると予測しています。世界人口は2005年と比べて2020年代には20%近く増加し、77億人になっているでしょう。

人口問題は様々な不均衡を生み出します。世界人口のうち4分の1を占めるムスリム市民は、2030年代には3分の1に達することになります。イスラム教がキリスト教を超える世界最大の宗教となるのです。アメリカの政治学者サミュエル・P・ハンティントンは、『文明の衝突』において西欧文明とイスラム文明との対立を予見しました。

キリスト教全体としては、性行為は互いにすべてを与え合うオープンな関係を表現する場です。避妊することは、「本当のオープン」ではないということを意味します。子どもが生まれるか否かは、神が決定するという考え方です。ローマ・カトリック教会は、キリスト教全体の考えに同意すると共に、子供は神からの贈りものであり、神の姿に似せて造られたのだから、いかなる場合でも守らなければならないという考え方です。イスラム教の開祖ムハンマドは、結婚を「信仰の半ば」でありイスラムの慣行として強く推奨し、結婚という合法的形態の他に性行為を認めませんでした。イスラム教にとって、神の授ける子どもを拒否する避妊は原理的に歓迎できるものではありません。仏教は禁欲的で恋を奨励しません。しかしながら避妊が苦しみを救うことになるのならそれは良いことだと考えています。宗教倫理の存在と各宗派が勢力維持のため多産を奨励しているのも事実であり、人口抑制政策を妨げている要因になっています。

ドイツの社会経済学者グナル・パインゾーンは、『自爆する若者たち』で「ユース・バルジ」(過剰なまでに多い若い世代)の問題こそが、経済不安にも匹敵する危機として世界の未来を予測しました。ユース・バルジという現象を手がかりに人口数の不均衡から世界の将来を見渡そうとしたのです。人口増加は食料とエネルギーにおいて歪みを生み出します。パインゾーンは、過剰な人口には国外移住、犯罪、国内クーデター、内戦または革命、集団殺害と追放、越境戦争という六つの選択肢があると指摘しました。欧州の人口は、1500年の6千万人から1914年に4億8千万人へ増加しましたが、海外植民や征服戦争を選択し、1918年までに地上面積の10分の9を支配しました。

人口増は不完全雇用という現象も生み出します。世界経済低迷で一段と深刻化する失業や貧富の格差の問題はイスラム圏に象徴的に現れています。中東では人口の6-7割を25歳未満が占めており、これこそが20%台半ばという世界最高の失業率を中東で生む背景です。イスラム圏では膨大な新規学卒者が労働市場に流入し、大部分がそのまま失業者になる状態が継続します。エジプトやシリアでは、仕事のない公務員の過剰採用で失業率を抑えてきたがもはや限界に達しています。移住や就職・就労の機会を得てきた湾岸諸国は、砂上の楼閣だったことが判明しました。今後さらに実質失業率は上昇していきます。

急増する人口を背景に国際社会の中で自己主張する存在感は、国際秩序をますます不安定にする要因です。コーランに於いてジハードという単純で力強い思想は強い喚起力を持っています。異教徒との戦いです。中国に於いても民主化という思想は強い喚起力を持っています。内戦もしくは革命です。分裂・統合の歴史は繰り返すかもしれません。

人口問題は、現代の炭素文明と人口の崩壊を予見しています。炭素文明崩壊の処方箋として水素文明を学習しておきましょう。『水素革命近未来!』は教科書です。

2010/01/09

社会保障制度の崩壊とテレワーカーの養成

通信ネットワークを活用した在宅勤務などの多様な働き方「テレワーク」が大手企業の間で広がり始めています。働く時間や場所を自由に選べるようにすることで業務効率や社員の意欲を高めるのが狙いです。さらには仕事と育児・介護の両立支援にもつなげるなど、ワークライフバランス(仕事と生活の調和)を実現する少子高齢化社会の活性化の手法として浸透しつつあります。

日本政府も民間企業に先駆け、特許庁が在宅勤務の導入を進めているように、世界に向けて遠隔勤務推進派の立場を示そうとしています。日本国内で広義のテレワーカーと呼べる人達は労働者全体の46%に該当しています。そのうち、会社に勤めている「雇用型テレワーカー」が43.0%、会社からは雇われていない「自営型テレワーカー」が66.4%です。「広義テレワーカー」とは、社内の他に、社外からでもITを使える環境にある人のことを指しています。営業セールスに出かける際にはノートパソコンを持ち歩き、外出先からでもネットにアクセスしている人、携帯電話でメールの送受信をしている人も広義のテレワーカーとしてカウントされます。対象を絞り込み、会社以外でITを使って仕事をしている時間数が1週間に8時間以上を超える人を「狭義のテレワーカー」とすると、その割合は全体の15.2%になります。
国土交通省 2008年度 テレワーク人口実態調査の結果について ―「ITを活用した場所や時間にとらわれない働き方」の実態調査―

先進国では、ビジネスのワークスタイルを変えることを、国策として政府主導で推進しています。近い将来にはCO2の削減活動と同様にテレワークについても、政府が企業に対して一定割合の導入を義務付けることも検討されています。

その背景には、様々な社会的背景が絡んでいます。
1つは危機管理の視点です。地球温暖化や交通渋滞の他にも、9.11のテロ事件以降、都市部のオフィスに一極集中した事業のやり方を改めようとする動きです。テロの他にも、大地震や新インフルエンザのような細菌感染などのリスク対策として、社員の中で遠隔勤務者を一定の割合で作っておくことが求められているのです。

2つめは社会保障制度の崩壊です。ビッグスリーは、退職者への過剰な社会保障費の負担で破綻しました。企業で働く従業員に医療費の他に老後の年金まで保障するシステムは、退職者よりも現役社員の数が多いことが収支を成り立たせるための前提です。ほとんどの先進国では、労働者は平等に扱われており、賃金の中から一定率の社会保障費が天引きされるシステムになっています。
しかし実際には、どの先進国も一人の現役が複数の退職者を支える構造へと変化しているため、少子高齢化が進むほど「平等な社会保障制度」の維持は成り立ちません。欧州では現役世代が支払う月額給与からの保険料率が20~40%まで高騰しています。企業と社員とが折半して国に納めているのも日本と同様です。企業はその重い負担が経営の足かせになっており、社員も「給与額×料率」による非常に高い保険料負担が家計の足かせになっています。その資金は、将来の自分のためではなくて、現在の高齢者や失業者のために使われているのです。

■EU諸国における賃金に対する社会保障費の負担状況
・オーストリア 22.8%(企業負担:12.6%+社員負担:10.2%)
・ベルギー   37.9%(企業負担:24.8%+社員負担:13.1%)
・ドイツ         19.5%(企業負担: 9.7%+社員負担: 9.7%)
・イタリア       32.7%(企業負担:23.8%+社員負担: 8.9%)
・イギリス      19.9%(企業負担:10.9%+社員負担: 8.9%)
・ギリシャ      20.0%(企業負担:13.3%+社員負担: 6.7%)
・スペイン     28.3%(企業負担:23.6%+社員負担: 4.7%)
(日本)      15.7%(企業負担: 7.9%+社員負担: 7.9%)
※社会保障費により退職年金、医療保険、失業保険などが賄われている。
※出所:財務省財務総合政策研究所

社会保障制度の機能を維持させるためには構造の変化が必要です。構造を維持しようとして機能を失い、目的を果たせなくなくなるのは本末転倒です。そのため欧米企業では、社員との関係を雇用から委託や請負の関係へと変更することが1995年頃から進んでいます。企業と現役労働者の双方が社会保障費の負担を軽くすることが目的です。雇われていることの利点は最低限の賃金、医療、年金などが保障されていることですが、将来の自分が利用するであろう公的サービスの中身よりも、割高な保険料を支払わなくてはなりません。実力やスキルがあり、独立したスペシャリストは、公的な社会保障から脱退し、自身で各種の保険会社と契約し、自分が積み立てた金額に見合うだけの保障が将来にわたり受けられる人生プランを手に入れることができます。


企業としても高い賃金を払わなくてはいけない社員ほど社会保障費の負担は大きいため、自営業者として独立してもらって、その後も良好な関係を維持していくほうが望ましいのです。社会保障費が高い欧州企業にとっての課題は高度なテレワーカーを育成することなのです。日本政府のテレワーク人口倍増アクションプラン(2007年5月)では2010年度までにテレワーカー率を20%まで引き上げることを目標にしています。 女性や高齢者らの雇用機会を拡大するため、総務省は10年度までに「テレワーク」人口を1300万人に増やす計画です。既にNTT東日本やKDDIなどが在宅勤務制度の試験運用を始めており、インフラが整備されるにつれ中小企業にも導入が広がっていきます。

2010/01/08

自動車がブロードバンドにつながる時代

ICTの波がすべての産業構造において革命を起こします。パソコン、携帯電話に続いて大きな市場を形成するIT分野として自動車があります。自動車においては、今後10年以内に自動車がブロードバンドにつながる時代になるでしょう。

自動車内のIT機器としてカーナビゲーション・システムが普及しており、殆どのカーナビには、FM-VICS(Vehicle Information & Communication System)の受信機が内蔵されています。1996年から2009年9月時点での累計出荷台数は2518万台に達しています。
財団法人 道路交通情報通信システムセンター

平成21年9月末現在の国内自動車保有台数は7915万台。
財団法人 自動車検査登録情報協会

カーナビの普及度合い 450万台。
社団法人 日本自動車工業会
JAMAGAZINE 2008年10月号

通信契約をしたユーザーが250万台程度なので、潜在需要は10倍以上という見方もでき、今後急速な普及が見込まれます。カーナビは単なる「道案内」からマルチな機能に進化し、自動車は「カーコンピューター」へと変化します。「ITS」とは「Intelligent Transport Systems」の略で、IT(情報通信技術)を活用して人・道路・車両の三者をネットワークした交通システムを意味します。交通事故や渋滞等の道路交通問題の解決や安全性や効率の向上、新産業の創出を目的としています。

■ITSの開発分野と予想されるサービス
(1)ナビゲーションの高度化…高度なカーナビシステムの開発、移動情報サービス。
(2)自動料金収受システム…ノンストップ料金徴収システム(ETC)開発、ETCサービス。
(3)安全運転支援…自動運転・危険警告回避システム開発、走行情報サービス。
(4)最適化交通管理 …信号制御システム開発、経路誘導・交通事故対応サービス。
(5)道路管理の効率化 …特殊車輛通行管理システム開発、工事情報サービス、災害対応。
(6)公共交通支援 …公共交通(バス等)運行状況情報サービス。
(7)商用車の効率化 …配車計画、運行管理支援サービス。
(8)歩行者支援 …危険防止システム開発、経路・施設案内サービス。
(9)緊急車両の運行支援…緊急通報システム開発、経路誘導サービス。

国土交通省道路局ITSホームページ

平成11年2月に発表された電気通信技術審議会答申によれば、ITS情報通信関連市場において、2015年までの累積で約60兆円の経済効果、約107万人の雇用を創出とされています。2001年度より開始されたETCサービスが、コア的サービスとして本格的に展開されています。「ETC車載器=自動決済装置」と考えれば、ドライバーに対して極めて自然な形(お金を支払う感覚を強く抱かせない)で、これらの商品や情報を販売することができることになります。PC向けの各種インターネット・サービスは、決済システムが未整備のまま普及してしまったため有料サービスが手掛けにくい状態ですが、ITSについては、ETCが本格導入さえれた後に、各種有料サービスを提供していくことで、PC向けネットサービスと同じ轍を踏むことはありません。ETC車載器の普及が、ITSをビジネスとして成功させるためのキーとなります。自動車内に搭載されたコンピューター(カーナビや ETC機)とワイヤレスによるデータ通信技術は応用範囲が幅広く、自動車メーカーやIT関連メーカー各社では、この大市場でいち早くシェアを奪取するための研究開発が進んでいます。

トヨタのITSへの取り組み
NECのITSへの取り組み
パナソニックのITSへの取り組み

これら大手メーカーが研究~商品開発に取り組んでいるのは、
・有料道路自動料金収受システム(ETC)
・走行支援道路システム(AHS)
・交通管制システム
・道路交通システム
・公共交通支援システム(バス・レンタカー等)
・商用車支援システム(トラック・タクシー等)
・緊急車両支援システム
・ナビゲーションシステムの高度化(車両及び歩行者向け)
といったいわばインフラ整備分野で、コンテンツサービスはこれからの分野です。

トヨタ自動車はKDDIの通信回線を利用してカーナビへの情報配信を手がけています。通信が高速化すればやり取りできるデー夕の量が増加するため、活用の場はまだまだ広がります。一般の携帯電話市場が停滞する中、携帯会社にとっても自動車市場は魅力的な市場です。

自動車に通信端末を搭載。車の走行距離や加速・減速の状況などを記録し、携帯電話回線を用いて定期的に自動車メーカーに送信。メーカーは届いたデータを解析し、部品の交換時期や運転方法の改善を車の持ち主に提案。販売店からはがきやEメールを送るだけの場合に比べて、顧客とのコミュニケーションを強化でき、集まったデータを蓄積して細かく分析すれば、安全性能の向上などにもつなげられる。この通信回線で音楽や動画などを送信することも技術的には可能。NTTドコモは、数年後の実現を思い描き、既に複数の自動車メーカーと実用化に向けた協議を始めています。

整備されたインフラの中で「何に活用するのか」を考えれば、インターネット、携帯電話向けとして考案されたビジネスモデルや、蓄積されているコンテンツの中には、ITS 分野へと応用することによって収益化が可能になるものも少なくありません。PC向けサービスとしては無料でしか成立しなかった地域情報も、移動範囲が広い自動車の中で、現在の位置情報と連動した形でタイムリーに配信されるのであれば有料情報としての価値が生まれます。ただし、携帯電話と同様に、この分野は完全にオープンな市場ではありません。インフラ網を握る大手企業と上手に協力関係を築きながら、一部の権利を獲得することができた企業のみが急成長できる構図になります。

2010/01/04

多様化・多極化時代と相互依存

世界的な金融危機が招いた経済危機は、ウォール街の貪欲さが世界を引き回したことによって起こりました。ある大きな出来事が社会秩序の変化の引き金になるという歴史の転換が再現されます。

金融市場のグローバル化という勢いが弱まると、各地域経済がそれぞれにかかえている独特の課題が鮮明に浮かび上がります。多様化・多極化時代ゆえに、それぞれが世界に背を向けて自己の課題に取り組むわけにはいきません。では多様化・多極化時代の国際的な秩序はどう進化していくのでしょうか。また、多様性からの利益を引き出す為に、各国はどうお互いを補い合っていくのでしょうか。

米国では、バラク・オバマ氏が「チェンジ」をスローガンに、大衆参加の大統領選挙を制したことは、人々が何らかのパラダイム変化の可能性を予感し、求めつつあることを明らかにしました。大きな政府(財政赤字)を受け入れざるを得ないとしても、過剰な消費、外国からの資金供給依存によって支えられてきた経済構造に、パラダイムの変化が生じなければなりません。

中国では、「改革・開放」「和讃(わかい=調和のとれた)社会」という課題を完成させるには、日本の総人口を上回る2億人以上の人口を10年、20年かけて第1次産業から移動させなければなりません。それを可能にする雇用をつくり出すには、少なくとも毎年8%程度の経済成長が必要です。8%成長とは、日本から見れば羨むべき高さですが、中国にとって日本のゼロ%成長にも匹敵する死活水準です。しかしこの成長が維持可能になるには、非効率なエネルギー消費、経済組織や建造物に関する巨大化信仰、流動労働力の搾取、政府の過剰・恣意的な干渉など、パラダイムの変化が必要です。

日本の課題とは、人口、経済社会構造の変化に応じた世代間の関係を、コミュニティとして再構築しえていないことから生じる「不安」の解決です。国民が政治に求めているのはバラマキではなく、各世代がそれぞれ安定した展望を持ち自律的に将来に立ち向かうための社会保障の再設計と実行です。だがそれを明快な言葉で語り、実行しうる政治勢力はまだ結集していません。

米日中の課題に共通するのは、人々の意識や価値観、世代間関係、雇用といった、人間にかかわることです。各論での課題は地域的であり多様な形で存在しています。だが、多様性は相補性の親とも言えます。国際間の多様性そのものが、それぞれの国・地域に固有な課題の解決に、相互に役立つ可能性もあるのです。多様性の時代は相互依存の時代とも言えます。

中国と日本の間には、環境親和的・再生可能エネルギー技術と、持続的に拡張する市場機会との補完性があると指摘されます。今後、数十年のうちに、中国は日本とともに最も老齢化した人口構成の国となり、米国が先進国の間では最も若い国になります。中国のドル資産の蓄積は当面は理にかなったものといえます。米国の外交政策を拘束することになりますが、米国は人権・平等といった価値観への自らのコミットメントを明らかにすることによって、中国の社会構成の進化に道徳的示唆を与えることができます。

日本と米国の間では、自然・気候環境の保全維持に補完的な役割を果たします。米国は大規模なジオ・エンジニアリングや、革新的なクリーン・テクノロジーの開発にリーダシップを取る可能性がある一方、日本は生活や産業に根ざした環境親和的技術に独創性・競争性を発揮できます。

人間的要素にもとづく多様化の時代における市場競争は、量より質の競争になります。機械、機器によっては完全に代替されないという意味で、不可欠とされる人間の認知資産を活用し、環境親和的な技術や社会貢献に積極的な企業が、製品市場や資本・労働市場によってますます評価される傾向にあることが、国際規模で学術的に明らかにされつつあります。

2010/01/03

変化する近所付き合いのスタイルと町内会・自治会の役割

地域や家族などの「つながり」を分析した内閣府の国民生活白書(2007年版)は「地域と深いつながりを持っている人は少ない」と指摘します。全国の約3400人に聞いたところ、近所付き合いの関係は総じて浅く、「生活面で協力しあうご近所さんが一人もいない」と答えた人の割合は65.7%。
地域のつながりが十年前に比べ弱くなっていると考える人は31%に上ります。白書は「つながりによる精神的なやすらぎや充実感を得られなくなれば生活の豊かさを実感できないだろう」と警告しています。
内閣府の国民生活白書

現在の地域活動は各地区の町内会や自治会を中心に行われること(これを地縁活動という)が多いが、住民の家族構成やライフスタイルが変化してくれば、地域活動への関わり方も変化します。
近隣との関係は挨拶程度か、それ未満というのが一般的なようです。都会では「隣に住んでいる人の顔を知らない」ということが珍しくなくなって相当の年月が経っています。

ところが近所付き合いの希望について、「ほとんどもしくは全く付き合いたくない」と考えている人は全体の4%に過ぎません。ご近所の人達と仲良くなりたいという気持ちは、どの人の心の中にもあるようです。昔ならば地域のお祭りや奉仕活動などを機会にしてご近所同士が仲良くなったものだが、現代では各家庭でライフスタイルが違うこともあって、仲良くなるきっかけが掴めないままでいるのでしょう。国民生活白書の中では、これを「地域のサラリーマン化」と分析しています。

《近所付き合いに対する希望》
7.1% とても親しく付き合いたい
39.9% わりと親しく付き合いたい
48.9% 付き合いはするがそれほど親しくなくてよい
4.0% ほとんど付き合いたくない

大半の人は近所付き合いの必要性を何らかの形で感じているようです。この心理を裏付けているのが町内会・自治会への参加率で、加入している世帯は全体の約9割と非常に高いものの、実際の活動に積極的に参加しているのは、その中の1割程度に過ぎません。ほとんどの住民は自治会費だけを払い「あとの活動はすべてお任せします」というスタンスです。

《町内会・自治会への参加率》
51.5% まったく参加していない
35.8% 年に数回程度の参加
9.2% 月に1回程度の参加
1.9% 週に1回程度の参加
1.0% 週に2~3回の参加
0.6% ほぼ毎日

隣人との過剰な付き合い(親しさ)までは好まない層が半数近くいるのが現代の世情を表しています。つながりを求める一方、自らの安住を守るため、ともに暮らしを送る「隣人」すら警戒し、過剰な自衛に走るケースも目立ち始めています。新居を選ぶ際、将来の近隣住民の情報を集めようと、探偵会社に調査依頼が舞い込む。「袋の中まで確認するほどゴミの分別にうるさい住民はいないか?」「物音に過敏な人は?」。都内の業者によると、五年前に比べ依頼件数は倍増。探偵も「ここまでやるか」と驚きを隠せません。

自分に利益がない限り心を開かない人が多くなりました。濃密な付き合いを自任する人もメンタルなつながりは薄いのです。結果として孤独を深めるという皮肉な構図が浮かび上がります。

2010/01/02

有名校は夢託す箱船

2007年、中学受験をする小学生の保護者に「受験校選択で重視すること」を尋ねたところ「有名大学に合格する可能性が高い」と答えた割合は73.8%と1988年調査に比べ14.2%上昇。「世間の評価が高い」も79.3%と17.3%増え「進学」や「評価」を重視する傾向が高まっています。別の調査で受験する層としない層に分けて子供の将来に対する期待を聞いたところ「する層」は「仕事で能力を発揮する人」が42.4%。「しない層」より11.7%高い。一方で「友人を大切にする人」「他人に迷惑をかけない人」といった項目はしない層よりも5%ほど低い。
ベネッセ教育研究開発センター

不況もどこ吹く風の勢いで、中学受験熱は止まりません。中学受験対応の最大手塾、日能研の推計では今年首都圏で受験する小学生は約6万5千人で前年比約6%増え、過去最高となる見通しです。私立中学に通わせるとなると、年間費用はざっと百万円弱。「景気が厳しいからと受験校を絞る妥協はしないでください」と同社の保護者説明会で講師はクギを刺します。

不安時代を漂う親にとって有名中学は箱船のように見えるようです。将来が不安だからこそ早めに我が子にレールを敷こうとしているようです。しかし、中学入学=ゴールではありません。受験前に子供を慰めていた親が合格発表当日には早速大学進学塾を探し出します。今の親は『もっともっと』で際限がなく、中学受験の大半は親が仕向けています。子供が30歳を超えても過干渉の親はいくらでもいます。多くの子供達が、未来へのステップの途中で燃え尽きてしまうのです。

私立中の利点は知的関心の高い子供が集まることです。入学後に何をするかで面白い人間にもつまらない人間にもなります。会社でも「こいつは」と思う若者は高学歴とは限りません。

子供達がいかに優秀であったとしても、現在以上にワーキングプアが急増し、経済の一極集中が顕著になる中、箱船に乗れば将来が保障される可能性は極めて少ないといわざるを得ません。巷に氾濫する20代の失業者を見ればわかります。彼ら全員は力もなく、やる気もないのか。そうではありません。能力のある人もいれば、チャンスさえ与えればバリバリやれる人もいます。彼らが悪いのではありません。彼らは、今という時代が生み出したのです。

2010/01/01

本末転倒の正常化

21世紀は、あらゆるビジネスにおいて「持続可能で循環型であること」がルールになります。世界の誰もが自由競争経済の持続を望んでいます。社会主義の復活ではなく、抑止力の回復です。

問題の本質はウォール街のやり方を単線的に広げた国際金融の強引さであり、世界は成長を続け大不況に陥ることはないと拡大路線をひた走った国際企業の過信でした。実体経済や企業収益と不釣り合いな金融機関の利益を当然視する「金融立国」の論理は破綻しました。実体経済の規模や成長率を大幅に上回る金融資産の肥大や収益率が持続可能なはずありません。金融資本主義とグローバル化の問題です。危機に立つのは資本主義ではなく、グローバリゼーションの有りようです。

米国中心のメカニズムは既に修正が始まっています。互恵・補完関係にある国が集まり、ある程度の「自律的経済ゾーン」を形成しながら、世界不況の回避と成長維持でゾーン同士が連携するでしょう。新しいグローバリゼーションが模索されます。日本はアジアや中東などとも「共生ゾーン」を作り、経済安保の厚みを増さねばなりません。貿易黒字をため込む一方で購買力を実現しない経済大国の国民経済の在り方にも問題があります。世界的な貯蓄・投資の不均衡と赤字国への資金還流を拡大した結果は赤字国だけの責任ではありません。不均衡是正に伴う金融から実体への回帰は正常化の基本です。経済運営の見直しが必至となります。