2010/02/18

大統領たちの経済

経済学は、有限な資源から、いかに富を生産し配分するかを研究する学問で、究極の課題は貧困撲滅です。最初は、アダム・スミスと、その後継者達による古典派だけが存在していました。ケインズ理論が登場したのは1930年代です。
1929年、NY株式市場での大暴落と、その後の世界大恐慌の時代は、深く歴史に刻み込まれています。1933年3月4日、第32代米大統領に就任したフランクリン・デラノ・ルーズベルト(FDR)はニューディール政策を実施しました。公共事業拡大を中心とした、政府による経済への介入です。しかし、一連のケインズ政策をもってしても失業者は急激に減少せず失業率は高いままで推移しました。効果があまりにも小さすぎたので、不況からの脱出は成功しなかったのです。最終的に経済を救ったのは第二次大戦による財政拡大でした。

世界を巻き込んだ二つの世界大戦が終結した時、主要先進国は戦勝国も敗戦国も、戦禍のために大半の生産力を失っており、戦後世界の復興需要に応えることができたのは、無傷のまま大量生産体制を保持していたアメリカだけでした。結果、アメリカは超貿易黒字国となり、世界最大の対外債権国と同時に、ドルは世界の基軸通貨としての地位を得るのです。当時のアメリカ経済は圧倒的に強く、1960年代はじめまで、アメリカ経済の黄金時代と称されたのです。1963年11月22日に第36代大統領として就任したジョンソンまでの時代です。

1950年の朝鮮戦争を皮切りに、ベトナム戦争他、多くの米ソ代理戦争が繰り広げられます。この広範かつ長期化した戦争特需の恩恵を受けたのが、日本でした。日本は急速に重厚長大産業を成長させ、1970年代には西ドイツとともに、アメリカの国際競争力に勝るとも劣らないほどの経済力を身につけていきます。

経済学の世界では、①固定相場制②自由な資本移動③独立した金融政策のうち、同時に成り立つのは二つだけとするケインズ派が主流でした。通常の経済状況下で発生した景気変動による小規模の景気後退は、ケインズ的な処方が効果を発揮し、景気後退から脱出することは可能でした。ケインズ派の絶頂期です。

1969年1月20日、第37代大統領として就任したリチャード・ミルハウス・ニクソンの時代に世界は転機を迎えます。1971年8月15日、ドル・金の交換制を廃止すると宣言したニクソンショックです。金が裏付けするドルに、他の通貨が固定相場で結びつく「ブレトン・ウッズ体制」は崩壊し、変動相場制に移行するのです。パラダイムの転換です。

変動為替制で、自由な資本移動(グローバル化の大前提)と、金融政策の優位が実現し、財政政策は為替相場の変動により効果が減殺されるようになりました。加えて1970年代の二度の石油危機で、高インフレと高失業率が進行するスタグフレーションに陥り、財政赤字も膨らみます。財政政策を主軸とする伝統的なケインズ政策は、毒薬のごとき効果を発揮して経済を破壊しました。ケインズ派の影響力が薄れ、政府介入を排した自由市場の効用を説く新しい古典派経済学が台頭した背景です。

1981年1月20日、第40代大統領として就任したロナルド・レーガンでアメリカは転機を迎えます。1981年に発表した経済政策-レーガノミックスです。この政策の柱は、①歳出削減を行い、②減税による貯蓄・投資を拡大し、③規制緩和によって小さな政府を実現し、④マネーサプライを管理してインフレの沈静化を図ることでした。「税率引き下げで税収が増える」という特異な理論は外れ財政赤字は膨らみ、その一方で、「強いアメリカ」を標榜し、極端なまでに軍事費を増大させました。結果、貿易赤字と財政赤字の双子の赤字は急拡大しました。しかしながら、1981年における世界経済の状況は、先進国では激しいスタグフレーションに見まわれ、発展途上国では対外債務が激増していた状態でした。アメリカの財政赤字拡大がなければ資本主義経済は崩壊していたかもしれません。

この時期からアメリカは実質金利を引き上げ、海外からお金を呼び込む政策に転換します。内外金利差の拡大による外国資本流入により、経常収支の赤字が拡大しているにもかかわらず、ドル高になるという現象が生じます。ドル高・高金利の継続は、輸出は停滞、輸入が増加し、貿易収支赤字は拡大します。国内製造業の価格競争力は低下し、資本や労働などの生産要素は製造業から非製造業へとシフトせざるをえません。製造業からサービス業への生産構造の転換です。巨大消費国としての性格を加速度的に強めていくのです。

アメリカの過剰流動性増加は、世界各地でバブルを引き起こしていきます。1980年代後半、日本での株と土地の異常な上昇。1994年、メキシコをはじめとする中南米バブル。1997年、アジア通貨危機。1999年、ITバブルなどです。

リスクとは、将来の不確実性であり、結果として起こりうる経済的損失の可能性の追求です。1997年のノーベル経済学賞を受賞した、マイロン・ショールズとロバート・マートンは、株価が幾何ブラウン運動に従うものと仮定し、伊藤清博士が生み出した確率微分の理論を用いて、1970年代はじめにブラック=ショールズ公式を導くことに成功しています。この理論の登場により、金融理論が経済学の枠組みから飛び出し、金融工学という新しい分野を開拓したのです。1980年代の金融技術の利用は、新商品開発により利益を増加させることが中心でした。情報システムの整備はデータ収集を容易にさせ、数理工学の進歩は複雑なコストの最適化問題を可能にしました。ヘッジファンドの影響力が拡大していくのはこの時代です。1990年代の金融技術は、次々と登場する金融商品のリスクを管理する為の金融商品開発が軸足の中心になっていきます。

21世紀のバブルは20世紀のバブルと異なり、金融技術の発展と基軸通貨国の財政赤字膨張で破壊力がさらに拡大しています。現在進行中の世界金融危機と、中国での資産バブルが、通常の方法で解決するとは誰も思っていません。過去最大の規模ゆえに、米国債のデフォルトに伴う新秩序の形成が予測されるのです。過去のバブルから学べる教訓は、国家は形式的には破綻しなくとも、実質的には破綻することがあり、そのしわ寄せは一般の国民に付け回されるということです。この意味で国家は破綻でき、このプロセスを経ることによって、国家は再生できるのです。ただし、犠牲は全て国民に押し付けられるに違いありません。

時代の流れの方向性は、その時代に生きる人間の大半が何を望むかによって決まります。我々は、水素文明を実現できる理想や理念を創造することによって、多くの人々の共感を獲得し、歴史を創る力を持つことが出来るのです。

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