2010/03/04

リーダーの育成 2 自己認識

「汝自身を知れ」とは、デルフォイのアポロン神殿に刻まれていた、ギリシアの七賢人の一人であるスパルタのキロンの言葉です。ソクラテスはデルフォイの神殿においてもたらされた「ソクラテスより賢いものはいない」との神託を聞き、神託を否定するために賢者とされている者のところへ赴きました。そこで彼は、相手が「知らないのに何か知っているように思っている」ことに気づき、自分の方が自らの無知についての知があることを悟りました。

それまでの哲学者は、自然や宇宙といった外部に目を向けていましたが、ソクラテスは人間の内面を覗き込むという点に目を向けました。外部に目を向けている間は、人間性の成長はありません。ここから哲学が始まったといってもよいのです。汝自身を知れは、人間自身のあり方によって世界の見え方が決まるという観点から、人間自身のあり方を問いかけているのです。無知の知とは、自らの無知を自覚することが真の知に至る出発点であるという事であり、自己反省の結果得られるものです。

人間が産まれたときは、動物学上の分類における人類にすぎません。人間は生まれた後に、人間としての格を獲得して初めて人間となるのです。常識で考えるのではなく、常識を考えるという哲学の立場から、「人間」を哲学的な問題意識に転換すると、「人間であるとはどうある事なのか」、「どうなれば人間に成ったといえるのか」という問いが出てきます。この問いは、人間存在における根源的問いです。残念ながら、現代に生きる人々の大半は、この問いに対する答えを見失っています。故に、世界規模で論理観が欠如し、犯罪増加を招いているのです。犯罪が低年齢化するのは、大人たちが人間の生き方を知らないため、子供たちに明確な指針を示せていないからです。「私はこう思う」という答えを持って、初めて教育が出来るのです。答えは、その時々の時代、民族によって異なりますが、この問いは人類が存在する限り変わりません。答えを持つことよりも、問い続けることが大切なのです。

自己認識とは、自分の感情、長所、短所、欲求、衝動を深く理解することです。自己認識の能力が高い人は、必要以上に深刻になることもなければ、楽観的になりすぎることもありません。自己認識に優れた人は、自分の感情が自分自身、他者、自分の仕事の結果にどう影響するかを理解しています。よく自分自身の人間力を上げなければならない、とも言われますが、具体的にはどのようなことかを考え、自分にとって何が足りないのか、どのように高めていけばいいのかを考えて実践していかなければ、自身の成長は望めません。自己認識ができれば、自分自身の価値観や目標が理解できます。自己認識に非常に優れた人は、自分が何を目標にしているのか、なぜ目標にしているのかを理解しているので、その意思決定は価値観と適合しているのです。

自己認識能力を判別するには、どのように考えれば良いだろうか。第一に、自己認識は、正直さと自分を現実的に評価する能力に表れます。自己認識に優れた人は、感情をむき出しにしたり、洗いざらいぶちまけないでも、自分の感情やそれが仕事に与える影響を率直に口にすることができます。自己認識の特徴の一つは、率直に失敗を認め、失敗談で自分を笑い飛ばせるユーモアのセンスとも言えます。自己認識ができるかどうかは、その人の自信からも判断できます。自分の能力を正確に把握している人は、期限が過ぎても仕事を終えられないという類の失敗はあまり犯しません。また、人に助けを求めるべき時も知っており、自分が冒すべきリスクも計算できます。自分一人で処理できない難題を求めることは無く、長所を生かして仕事をすることができます。自分をよく知れば、仕事を活力源と考えることができ、仕事の結果もついてくるのです。

自己認識に優れた人材を登用することが有益であるにもかかわらず、多くのトップは感情を正直に表すことを「軟弱さ」と取り違え、自分の欠点を率直に認める社員を正当に評価していません。そのようなタイプの人材は、人の上に立つのに必要な「強さがない」と決めつけてしまうのです。ところが、実際はその逆です。リーダーは、権限や権力ではなく人間性によって人々に影響を与える存在です。部下は、一般に誠実で何事も首尾一貫していることに感銘や尊敬を感じるのです。多くの人は、「何を言っているかよりも、誰が言っているのか」を重要視します。信頼されていない人が、どんなに正しいことを言っても相手は動きません。さらに、リーダーは、自分自身と他人の能力を公正に評価する判定能力がたえず求められています。自分を正直に評価できる人、つまり自己認識のできる人こそ、組織の能力を正しく評価するのにふさわしいのです。

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