2010/01/31

組織の能力

現在は、環境が継続し不変な時代から、構造が変わり歴史の発展段階が転換しようとしている真っ只中です。エネルギーの分野では、化石燃料から非化石燃料への転換がはじまっています。炭素文明から水素文明への移行です。ブロードバンドは社会・経済・技術において変化を促します。競争ルール、方向性の変化です。

現在の世の中は、すべてが組織で動いているといっても過言ではありません。組織は生き物です。生き物は本能的に生命の持続を図ります。何よりも自らの生命の永続を最優先するのです。

組織の規模が拡大すると、質的転換が発生します。軍隊でいえば、200人までの規模は分隊、小隊や中隊からなる組織で、中小企業の規模です。指揮官は通常、分隊長は軍曹、小隊長が少尉、中隊長が中尉。いずれも一人の長が全員の顔も気心も知って指揮監督できる規模の組織です。1000人までの規模は大隊となり、指揮官は大尉です。中堅企業の規模です。一人の長では目が届かなくなり、管理監督のための組織体系に質が変わります。中隊以下の部隊に足して、具体的な作戦指示や目標を指揮するのです。さらに拡大して3000人を超えると連隊となり、連隊長は大佐と階級の名称が変化します。企業規模でいえば準大企業となり、管理機能の複雑化と監督機能の高度化に対応した組織形態が必要とされます。さらに拡大して数千人規模になると、旅団、師団、軍団となり、指揮官は将校が担います。現場指揮だけでなく遠隔指揮が必要とされます。企業規模は上場企業です。さらに数万単位の規模では、方面軍、総軍となり、総合的な判断状況が重要となり、管理職種も多様化していきます。企業規模でいえば多国籍企業群です。これらの部隊は国家の指揮の下、立案された作戦を遂行するため、広範囲に戦略を実行します。

危機はもちろん、金融から始まっていますが、もはや単なる経済危機のレベルではなくなってきています。環境が変化すること事態はどの分野でもあり、自然なことです。しかし複雑になった環境の中で、多くの分野が次々と経験のない事態に直面し、模範解答のない困難な問題が発生しています。世界の枠組みや、これまで当たり前のごとく思われてきた価値観が崩れ始めているということです。

大規模で破壊的な変化に対応していくには、組織も形態の転換が必要とされます。自然界における成長・発展は変化です。我々が自然に対した時に、何の疑いも無く受け入れるこの事実は、組織では受け入れ難くなります。規模の大きな組織や変化が極めて少なかった業界ほど試練の時代です。大規模な変化や、破壊的イノベーションに対応する場合の最悪のアプローチは、現行組織を抜本的に変えてしまうことかもしれません。組織を変身させるつもりが、自らを支えていた能力を破壊してしまうこともあるのです。

大企業は、「破壊的変化」が迫ってきていることに気付いているはずです。ほとんどの大企業は、有能な人材を持ち、商品の品揃えも豊富で、技術ノウハウも第一級、そのうえ資金にも余裕があります。未曽有の危機に直面した企業に、非正規まで含めたすべての雇用を守る余裕はありませんが、変化に対応するための経営資源は十分あるのです。しかしながら時代の変化に対処できず、新興企業にポジションを奪われてしまう現象がおきています。

優秀なマネジャーの条件の一つは、「適材適所」 の人事を行い、人材育成ができることです。個々の業務に適した人材を配置すればプロジェクトに適した組織になると信じていますが、それは単なる思い込みに過ぎません。有能な人材グループを別々の組織で働かせた場合、能力は同程度であるのに、その成果に大きな差が出る場合は何故でしょうか?「組織自体にも能力がある」ということです。組織の能力は、メンバーの資質やその他の経営資源とは別個のものです。企業を継続的に発展させていくためには、人材評価だけではなく、現在の組織が対応できる変化と、対応できない変化を評価する必要があります。現在の制約要因を明らかにし、自分が切れる手札を認識することです。

2010/01/26

頽廃の拡大再生産

政党は組織であり、共同体です。民主主義の政治は、選挙にお金がかかりすぎます。しかしながら、ある程度お金をかけなければ良い政治ができないのも事実です。日本の政治には、政党交付金という助成金の分配システムがあります。政党に所属しないと選挙で戦えないのです。志のある政治家さえも政党や派閥に支配されており、政党が存在する限り、政治家は単なる頭数になり、個性を奪われてしまいます。今日の政治は、政党が政治家を縛り付け、政治家は政権奪取のため、志を無視した活動を行わざるを得ないのです。

東京地検は小沢幹事長と大手ゼネコン鹿島建設の癒着構造に迫っています。東北地方での談合は鹿島建設が仕切っていました。小沢の「金の成る木」といわれている地元岩手県の胆沢ダムは、共同企業体といいながら実質は鹿島が中心です。

2009年3月の東京地検の捜査では核心に迫りきれませんでした。
「小沢一郎 政治資金規正法違反疑惑」 
この間題のキーパーソンは小沢の側近中の側近であった高橋嘉信氏です。小沢との決別の真相については「墓まで持っていく」と述べており、政治の闇なのです。

2010年1月13日、検察は陸山会、鹿島建設の東京本社、東北支社、元役員の自宅、鹿島建設の下請け各社への家宅捜査を実施しました。東京地検の強気は、世論調査の8割近くが「小沢幹事長は説明していない」と答えている現実です。現実と事実は異なりますが、検察庁は起訴に持ち込まなければ、小沢一郎に敗北したことになります。起訴されると小沢一郎は党籍を離脱することになります。地方議員が少なく地方に影響がない民主党は、小沢が陣頭指揮をとらないと参院選は選挙になりません。

重要なのは、政治資金規正法に違反した政治家がいたという疑惑だけではないのです。鳩山首相は「小沢幹事長どうぞ戦って下さい」と発言し批判を受けて訂正したのに、また「石川知裕容疑者について起訴されないことを望みたい」と発言しました。民主党議員達は、「石川知裕代議士の逮捕を考える会」、「捜査情報漏洩問題対策チーム」、「土地代金4億円不記載をめぐる論点整理勉強会」などを立ち上げ、検察への抗議活動を行っています。鳩山首相は、検察庁をふくめた行政のトップであり、民主党議員は与党の一員です。検察庁を批判することは、政権を批判することであり、政権を担っている自らの存在意義を自己否定することです。倫理の頽廃です。

倫理の頽廃は、頽廃の拡大再生産を引き起こします。組織の気質が頽廃してしまうと、何が正しいことなのか組織全体が判らなくなるのです。組織内では評価・賞賛されるかもしれませんが、合成の誤謬です。

2010/01/25

思想が行動を生みルールを創る

米国、オバマ政権が1月22日、新たな銀行改革案を発表しました。
1.自己資金を用いた証券売買を制限する
2.銀行によるヘッジファンド所有およびヘッジファンドへの投資の禁止
3.銀行が抱える負債規模の制限
この規制が実施されると、ドルキャリートレードは逆転する可能性が高く、新興国や商品に投下されてきた莫大なマネーが回収されることになります。

大衆社会とは、数で決まる社会です。「正しさは力だ。力は数だ。」というのが大衆の言説の原則です。大衆とは有権者という意味です。多数決の決定に逆らえる政治家はいません。
アメリカで貧困層の定義は、年収規模で220万以下です。これは日本の200万円とほぼ一致するラインということになる。アメリカでは、日本以上の市場原理主義の弊害が起こり、日本の「中流」と同じ意味に使われる多くの中間層が貧困層に転落してしまっている。
出典 「ルポ 貧困大国アメリカ」(堤未果著 岩波新書)

2008年の貧困者は39.8万人、貧困率は13.2%です。
年間所得5万ドル未満が80%以上を占めています。
Number in Poverty and Poverty Rate
Detailed Income Tabulations from the CPS
出典 米国勢調査局(Census Bureau)  

日本は、阪神大震災の時でも暴動や略奪は生じませんでした。誰もが社会のシステムによって守られていると感じているからです。米国の下級階層は、社会のシステムによって抑圧されていると感じています。だから一番最初に暴動や略奪に参加するのです。貧困層と失業率の増加は、社会的混乱の源泉です。

ペーパーマネー経済は1971年から始まりました。構造の変革です。為政者は通貨の発行量を恣意的に拡大してきました。現在の金融システムにおいて、金融機関は儲かればボーナスで回収し、損すれば国民の税金で充当させています。通貨量の膨張と金融モラルの常識を逸した行動の結果です。不良債権処理をすればするほど、国家経済は悪化していき、不良債権処理を止めるまで続きます。日本の不良債権処理と構図は同じです。世界は、物質的な裏づけのない通貨でどれだけの経済安定を保ちえるのか。壮大な実験中なのです。
「行動にはつねに動機があり、目的がある。動機が正義であり、目的が善であって、その行動だけが悪だということは、人間にはありえない。行動を生む動機とか目的は、その人間の思想が組み立てるものだ。思想が正しくなければ、正しい行動は生まれない。何をするかより、何を考えているかが重要なのである。行動という刃物が、利器なるか、凶器となるかは、その行動を支える思想あるいは理論が正しいか、正しくないかによって決まるのだと思う」
本田宗一郎氏が語った言葉です。

思想が行動を生みルールを創ります。問題解決は、事を大きくしていかないと解決に向かいません。物事を正常化するのでは解決できないのです。どのような解決策を選ぶかという思考法でなく、どのような結果にするかが大切です。

願望の論理は未来志向です。未来は的確に分析しても的中する保証はありません。必然ではなく偶然が支配する世界だからです。予測と判断が誤ることは避けられません。誤らないのは、予測し判断しない人達です。現実の結果を淡々と受け入れていく受動的な思考と行動の持ち主です。未来の予測は、強烈な論理力を必要とします。

『秋月便り』は当月無料です。橋前勇悟氏が連載する金融経済情勢は、驚愕の情報と未来の予測です。これからの時流は、世界的な不況と物価上昇の同居する、スタグフレーションが進行する不幸な事態になりそうです。購読すれば破壊的イノベーションの過程というものを知ることができ、『遠隔学習御蔵』に参加できます。

橋前勇悟の金融経済に関するラジオ放送

2010/01/23

労働組合という団体ビジネス

労働組合の本来の機能は、弱い立場にある個々の労働者に代って団体交渉をすることです。最近ではストライキを武器にして過激な賃上げ闘争をするような労働組合はほとんど見かけず、毎年5月1日に行なわれる労働者の祭典メーデーへの参加者も減少。組合自体の活動が形骸化し、労働者も経営者(管理職)寄りの視点に変わってきているため、組合本来の機能は低下しています。会社側と対立するのではなくて、良好な関係を保つことで労働者の統率を図ろうとする「御用組合」が増加しているのです。

しかし今でも全国には約5.6万もの労働組合が存在しており、1千万人の労働者が加入しています。全国の労働人口に対して6名に1人は組合員ということです。推定組織率(雇用者数に占める労働組合員数の割合)は18.5%で、産業別の上位は、製造業、卸・小売業、官公の順となり、全体の49%を占めています。
平成21年 労働組合基礎調査

労働組合というのは横と縦の連携がしっかりとできている組織です。しがって、この1千万人が繋がっています。政治家が選挙で戦う上で、労働組合の支持を受けられるか否かで戦況が大きく変わるのはこのためです。

現在の不況のなかにあっては、組合員の減少は必然です。成長している産業で労働組合を作るしか、この組織が生きる道はありません。組織率の低下から、「新成長産業分野」として位置づけられ、労働集約産業である介護・保育の分野で労働組合が拡大していくことが予想されます。なぜなら、介護保険制度の導入で介護市場には急速な拡大が生まれているが、介護サービスを担う介護労働者の雇用や労働条件は不安定な場合が多い。そのため介護労働者を地域横断的に組織し、厚生労働基準を確立する必要性を訴えているからです。労働組合にとっても福祉産業は新成長分野なのです。

労働組合に明確な意志を持って参加(加入)している人というのは少なく、積極的に組合に頼ろうとしない人が大多数です。組合費は、月給とボーナスを含めた年収の約1%前後で、月額で3千~5千円という金額設定です。普段は給料から天引きされているため、その金額の重さはあまり意識されませんが、組合自体の活動が形骸化してきている近年の状況でも、組合費が値下げされることもなく給料から天引きされています。確立された集金システムと、「組合費×組合員の数」による資金力は莫大で、全国で1千万人の労働者が1人あたり平均で3千円/月を給料から天引きされているとすれば、毎月300億円。年間で 3600億円が労働組合の活動費として集金されていることになります。

労働組合費がどのように使われているのかというと、会社側との団体交渉のために専従となっている組合スタッフの人件費、組合員との会議や集会の開催、会報の制作~配布を行なう活動費として使われているのは5割以下に過ぎず、残り半分の組合費は上部団体や関連団体へ送金されているのが実態です。欧米では労働組合が職種・職能別に組織化されていて、各労働者が自分の職種に適した組合へ個人加入する方式になっていますが、日本では企業別に労働組合が設立されていて、正社員であれば加入することが条件になっています。しかし労働問題というのは会社内だけの問題に留まらないという理由から、その上部団体として産業別の労働団体(自動車総連、電機連合、日教組、生保労連など)が組織化されており、さらに各産業を取りまとめる全国中央団体(連合、全労連、全労協)という三階建ての構造になっています。そのため給料から天引きされた組合費は「企業組合→産業別組合→中央団体」と上納されていく上納金システムが完成しています。

中央団体では、この資金を労働者の生活を改善するための法律改正を訴える政治活動に使っています。政治の世界からみると、労働組合というのは格好の集票団体であり、集金団体であることを理解しておかなければなりません。集金システムの役割からすると、労働組合が自発的な解散をしていこうとする流れには向かわないはずです。労働組合は完成された団体ビジネスなのです。

2010/01/22

労働組合の歩みと変遷 3

■企業別労働組合と春闘方式
春闘は1956年(昭和31年)に始まり、この年代から日本は高度成長の時代に入っていきます。高度経済成長時、「松下は松下一家だ」、「東芝は東芝一家だ」という企業一家意識が出てきます。アメリカやヨーロッパの労働組合と日本の労働組合は組織形態が違います。欧米の場合、労働組合は鉄鋼なら鉄鋼、繊維なら繊維ということで、産業別に組織されます。日本の場合は、企業別に労働組合が組織されていきました。GHQが労働組合をつくらせた時に、会社、企業ごとに組合を組織していったことと、企業一家意識が企業別労働組合を結成させたことが背景にあります。

産業別組織の形態は、産業全体の労働者が一丸となって闘うから、闘争力、交渉力が強いのです。企業別労働組合は闘争力、交渉力が弱いので、カバーするためにつくり出されたのが「春闘方式」です。春、賃上げを巡って一斉に闘争するスタイルです。高度経済成長時、「鉄は国家なり」「鉄は産業の米」と言われていたので、富士製鉄、日本製鉄(現在の新日鉄)等、鉄鋼が非常に強くなっていきました。鉄鋼労働組合が、企業別でありながら、産業別に、賃上げ交渉を春に集中的にやるという「春闘方式」をとったのです。次に、当時は「糸偏(いとへん)」景気というのがあり、繊維産業が強かったのですが、「鉄鋼が何%の賃上げを取ったのだから、繊維も上げろ」といって、繊維が次に続くのです。このような形式で、賃上げを戦って行くのが春闘方式です。この方式は、日本の経済がずっと右肩上がりで、平均10%の経済成長をしていたので成功しました。企業側も、賃上げ余力が十分にあったのです。そこで、春闘は二つの「闘争」を組み合わせました。ひとつは「ベースアップ闘争」で、賃金のベースそのものを、全体に引き上げるという方法です。さらに、その上に、「今年はこれだけの業績が上がった」ということで、賃金も上げる「賃上げ闘争」です。この二つを組み合わせて、春闘はかなり大幅な賃上げを獲得していきました。「昔、陸軍、今、総評」と言われた背景には、春闘の力も大きな影響があったのです。

■安保闘争とナショナルセンター
1960(昭和35)年、岸信介が日米安保条約の改定を明言しました。岸信介は、安保条約を単にアメリカ軍に基地を提供するための条約から、日米共同防衛を義務づけたより平等な条約にしたいということで、安保改定を図り、1960年1月19日に日米安全保障条約に調印します。これが大政治問題となります。

社会党はイデオロギーが非常に過剰な政党で、政党が一本になっても内部抗争が絶えませんでした。社会党のドグマ(教条主義)、階級政党に非常に不満を持ったのが、現実主義的な社会民主主義者である西尾末広です。社会党は、「階級政党から国民政党へ」と言う西尾を徹底的に叩きます。社会党を除名された西尾末広は、日米安全保障条約が調印された1960年1月に民主社会党を結成します。

平行して起きたのが、九州の三井三池炭鉱闘争(1960年1月、三井三池争議無期限スト)です。かなり苦しくなってきた労働側は、炭労という最強の労働組合に立てこもり、「炭労で、総資本と総労働の対決をやる」ということで、長期に渡って三井三池闘争をやりました。しかし、これは結局、労働組合側の敗北に終わります。

日米新安全保障条約批准をめぐり、1960年5月19日に衆議院で、自民党が単独で抜き打ち採択して安保改定を成立させたことから「安保闘争」はかってない高まりをみせていきます。「安保反対、岸を倒せ」ということで、学生や労働組合が国会に突入する。そして、全国各地で安保反対運動が起こることになります。しかし、日米安全保障条約の改正は、1960年6月19日を期して参議院の議決がないまま自然成立します。7月に岸内閣が退陣します。権力によって潰されたということで、11月の全学連等の国会構内乱入事件と拡大されていくのです。そして、やがて安保闘争も凄まじかった火が消えるのです。

全労会議は1962(昭和37)年の全日本労働総同盟会議(同盟会議)を経て、1964(昭和39)年に全日本労働総同盟(同盟)を結成します。以降、勢力の順に総評、同盟、中立労連、新産別となり、ここから、「総評」「同盟」という二つの労働組合の全国組織時代が続いていくのです。傾向として、総評は官公労組が多く、同盟には民間労組が多い。政治的には総評が日本社会党を、同盟が民社党を支持していました。

岸政権が倒れて一つの政治の時代が終わり、池田内閣が発足します。池田勇人は、「私は嘘は申しません」ということで、所得倍増計画をスローガンに掲げて高度経済成長路線がスタートしていきます。事実、日本は所得倍増どころか、年率平均で最高13%の経済成長を遂げ、所得は3倍、4倍になっていくのです。1960年代は、アメリカの生活水準の2割です。それが70年代になると、アメリカの生活水準の4割になり、85年のプラザ合意の時には、1ドル240円が120円になったこともあり、ついに日本はアメリカの一人当たりのGDPを追い抜き、世界第一の豊かな国になっていったという経過があります。

■高度経済成長と生産性向上運動(マル生)
高度経済成長に突入した日本では、もはや労使対決主義、階級闘争主義は無意味になってきます。そして、「日本生産性本部」を経営者が作り、「生産性向上運動」(マル生)を実施します。労働組合もだんだん力が弱まってきます。しかも高度経済成長で賃金が上がる、持ち家が増えるということで、日本の労働組合は、「ヨーロッパ並み賃金をよこせ」と要求を変えてくるのです。

その中にあって、総評で跳ね上がったのが、国家公務員、地方公務員等の官公労です。ちょうどI LO(国際労働機関)が、日本は公務員のスト権を奪っていると批判した時代です。I LO条約の批准闘争として、スト権を獲得するためにストをやる「スト権スト」を実施しました。

日本の労働組合はだんだん集約され、1987(昭和62)年には民間の労働組合55単産、5540万人が結集して、全日本民間労働組合連合会が結成されます。1989(平成元年)年には「全日本労働組合総連合」(連合)が結成され、78単産、800万人が結集します。一方、それをよしとしない共産党系の労働組合が「全国労働組合総連合」(全労連)を結成し、これに40万人が加盟しています。社会党左派系は、「全国労働組合連合協議会」(全労協)を結成し、50万人が加盟しています。連合800万、全労連40万、全労協50万という、「1強2弱体制」が生まれたのです。

■現在の労働組合
1991年12月、日本はバブル崩壊。日本の企業風土は、アメリカ型の「能力主義・成果主義・株主主義」に変化していきます。2003年は1956年(昭和31年)に始まった春闘が終わった年となりました。1956年が春闘元年、2003年は春闘御臨終の年です。連結決算で1兆円の利益を上げたトヨタ自動車が、ベースアップも賃上げも実施しなかった年なのです。つまり、春闘方式では賃上げは取れないということです。一昔前までは、春闘というと会社の門に赤い旗が立って、組合の名前が出たりしていましたが、もうあのような姿を見る機会は少なくなったと言えるでしょう。

組合員の意識変化や選挙での集票力が落ちるなど、社会的影響もあり、組織率、組合員数は減少しています。2003年には組織率19.2%となり、戦後初めて組織率が20%を切りました。2009年6月30日における単一労働組合の労働組合数は26,696組合、労働組合員数は1,007万8千人です。推定組織率(雇用者数に占める労働組合員数の割合)は、18.5%となり、2006年から18%台を維持しています。
平成21年労働組合基礎調査結果

現在の日本において、労働争議、ストライキという言葉を聞くことはありません。企業再編の時代において、労働組合における組織率は低く、企業内労使協調路線でしか存続していけないのです。

2010/01/21

労働組合の歩みと変遷 2

■「2・1ゼネスト」計画
1946年(昭和21年)、共産党が支配する労働組合の全国的組織として、産別会議(全日本産業別労働組合会議:産業別に整理統合された労働組合の全国的組織。1958年(昭和33年)、分裂により解散)が結成され、その勢力が急速に強くなっていきます。共産党の組織である産別会議は、昭和21年頃になると反政府運動に転じます。共産主義革命を実行しようと思うようになるのです。共産党主導である産別会議の組合運動に対抗する為、府県別に連合した労働組合の全国組織として日本労働組合総同盟(総同盟)も同年に成立し、反共の立場を明確に出してきます。昭和21~23年にかけて労働組合は急増し、ピークとされる昭和24年の推定組織率は約56%です。当時の労働組合結成の波は凄まじく、いろいろなところに労働組合が作られています。

産別会議は、1947年(昭和22年)2月1日を期して、産別会議を中心とする日本の全労働者が職場放棄する「2・1ゼネスト」を計画します。国家公務員、地方公務員の賃上げ闘争の共闘組織である、全官公庁共同闘争委員会を中心に全国労働組合共同闘争委員会が組織され、600万人の労働者が結集したと言われています。

時を同じくして、ワシントンでは、「戦争が終わればアメリカの主要な敵はソ連だ」という考え方が主流になっていきます。「そのような状況になれば、ソ連とアメリカは最終戦争をやらなければならない。その時、日本は非常に大事な最前線だ」という考え方ですそれを受け、GHQの中では左派の力が次第に弱くなり、「このまま左派に共産主義をやらせてはいけない」ということになっていくのです。

「2・1ゼネスト」共闘会議議長・伊井弥四郎(後の共産党中央執行委員)は、「私はイデオロギーのために闘っているのではありません。労働者のために闘っているのです」と公言していました。昭和22年1月31日、「2・1ゼネスト」の前夜、GHQのは伊井弥四郎をNHKに連れて行き、総司令部の声明を読ませます。伊井弥四郎は、「全国の労働者の皆さん。残念ながら、我々が明日、予定していた2・1ゼネストは、ダグラス・マッカーサー元帥の命令により、中止せざるを得なくなりました。」と演説する。そして、涙を流して、「労働者諸君、一歩後退、二歩前進」という有名な言葉を言って、2・1ゼネストは回避されるのです。2・1ゼネストが決行されていたら、日本は共産主義国家になっていたかもしれません。日本は、共産革命危機前夜まで来ていたのです。

日本政府は労働組合対策を実施するため、1947年(昭和22年)6月10日、厚生省の中にあった労働局を独立させて労働省としています。2001年(平成13年)1月の中央省庁再編で、再び厚生省と労働省が統合されたのは、そのような経緯があった為です。一方、官公労組の中心は、国家公務員、地方公務員、公共企業体の労働者等でした。1948年(昭和23年)、「マッカーサー書簡」により、国家公務員、地方公務員、公共団体等のストライキ権は剥奪されます。

■レッドパージと朝鮮戦争の勃発
冷戦構造の中でGHQは朝鮮戦争を意識するようになります。「北朝鮮が恐らく韓国に攻め込んでくるだろう。アメリカは最前線で戦わなければならない。その時には、最前線の平坦基地として日本は非常に大事である」と。当時のジョン・フォスター・ダレス国務長官は、背後にいるソ連の勢力拡大を食い止めるために、「日本を反共の防波堤」としアメリカの同盟国として強化・隷属するという政策に転換します。これを受け、労働組合も共産党離れが進み、総同盟と産別会議の対立が激化します。

1950年(昭和25年)6月25日、朝鮮戦争が勃発。朝鮮戦争を戦うために、GHQは朝鮮戦争勃発直前に、総司令部の指令で共産党中央委員24名全員を公職から一斉に追放します。いわゆる「レッドパージ」の開始です。日本政府は、朝鮮戦争勃発後も言論界、官界等に共産主義者が多数いるということで、共産党員の排除を続行します。これらを総称して「レッドパージ」といいます。

旧合法的社会主義政党の政治勢力を結集して、1945年に結成された社会党は、サンフランシスコ講和条約の賛否を巡って左右両派が対立し、1950年(昭和25年)10月24日に左派社会党と右派社会党に分裂します。河上丈太郎を中心とする右派社会党は、アメリカ等西側陣営と、とりあえず講和条約を結ぼうという考えでした。ソ連まで入れて講和条約を結ぶのでは、日本はいつまでたっても独立できない。現実路線を右派はとるわけです。鈴木茂三郎を中心とする左派社会党は、ソ連も一緒になって講和条約を結ばないと、本当の独立とはいえないとしたのです。当時、「全面講和」などと紙誌上で論議されましたが、この全面講和とは、ソ連を入れて講和条約を結ぶということです。講和条約が締結できないということは、日本は独立できないということです。

GHQは、労働組合から共産党の影響を排除しようとしていました。共産党支配の産別会議の中で、労働組合を共産党に支配させてはいけないという人達が産別会議の中に民主化同盟を結成します。総同盟に民主化同盟と中立組合を加え、反共民主労組として1950年に結成されたのが日本労働組合総評議会(総評:連合の発足により1989年解散)です。総評はやがて社会党と手を結び、産別会議は共産党へと分かれていきます。

■「55年体制」と日本の政党
総評は昭和25年に結成されてから30年近く、「昔、陸軍、今、総評」といわれるくらい、戦後社会のなかで多大な力を持っていきます。総評は、産別会議に対して、「全国産業別労働組合連合(新産別)」を結成し、反共産党の労働組合の結集が実施されました。ところが、この総評の中に、再び共産党が入り込み、次第に政治闘争に傾斜していき、反基地闘争や反政府闘争を実施するようになっていきます。例えば、炭鉱労働組合は63日間のストを打つ。違法だが、共産党系の組合が電気を停めてしまう停電ストというのも実行されました。当時は、「ニワトリがアヒルへ」という言葉が使われました。共産党から分かれて総評ができたのに、この総評がまた左になったので、ニワトリができたと思ったら、いつの間にか、ピョンピョン飛び跳ねるアヒルになっていたというわけです。

1951年(昭和26年)9月8日、アメリカのサンフランシスコ市において、アメリカを始めとする第二次世界大戦の連合国側49ヶ国との間で、日本国との平和条約(サンフランシスコ講和条約)と同時に日米安全保障条約が締結されます。日本をアメリカの軍事力で守ってもらうということですが、極めて不平等な条約でした。

1953年(昭和28年)、総評は高野実の共産党路線から、太田薫、岩井章の左派が社会党路線へと転換していきます。太田薫と岩井章の二人が経済闘争路線を重視し、反共産党、反高野闘争を実施して、総評を社会党路線に引き戻すのです。総評では左派が主導権を握り、日本社会党と接近しました。これに反発した右派は会派をつくり、後に総評から脱退、総同盟の右派と海員の労働組合、全繊同盟等、社会党路線に飽き足らない、より右の労働組合が1954年(昭和29年)に全日本労働組合会議(全労会議)を組織します。また、地位低下に悩む中立組合は、1956(昭和31)年に中立労働組合連絡会議(中立労連)を組織していきます。

社会党は割れていましたが、1955年(昭和30年)10月、憲法改正阻止・革新陣営結束のもとに右派社会党と左派社会党が再統一されます。これがいわゆる「55年体制」です。同年、保守合同により鳩山民主党と吉田茂の自由党が合併して自由民主党が結成されます。自民党、社会党による、「自社対立時代」の政治の始まりです。

2010/01/20

労働組合の歩みと変遷 1

アメリカの労働組合と違い、日本の政党と労働組合は極めて強い関係にあります。イデオロギーが絶えず労働組合を振り回した歴史を持ち、日本の経済と政治に多大な影響を与えたシステムです。

■戦後の労働運動
日本の労働組合が最初にできたのは、明治20年代です。アメリカには1886年に結成された職業別労働組合で構成された全国的労働組合連合であるアメリカ労働総同盟(AFL:American Federation of Labor)がありました。1886年に渡米した高野房太郎が、アメリカのALA(Alliance for Labor Action アメリカの労働行動同盟)を学習して日本に帰国。日本でもこうした労働組合を作ろうではないかということで、職工義友会を作った。その辺りから、日本の労働組合の歴史が始まりました。

昭和15年、いわゆる戦時体制では、労働組合はすべて大政翼賛会に属していました。日本は昭和20年(1945)8月15日に敗戦し、8月末にダグラス・マッカーサー元帥が、厚木飛行場に降り立った時から、日本の占領が始まります。日本国家の立法権、行政権、司法権はなくなり、マッカーサーの占領軍(GHQ)が日本を支配することになるので、戦前の労働組合と、戦後の労働組合では、全く異なります。

■米軍占領時代
マッカーサーは日本を弱体化するという政策のため、10月11日に、「マッカーサー5原則」(婦人参政権の賦与、労働組合の結成奨励、学校教育の自由主義化、秘密審問制度と組織の撤廃、経済機構の民主化)を打ち出しました。占領軍は、日本に積極的に労働組合を作らせようと考えたのです。ここで、歴史の壮大なパラドックスが発生します。本来、軍人はウルトラ・ライト(超右翼)ですが、マッカーサーの日本占領政策は、極めてレフティ(左翼的)だからです。

第31代大統領フーバーは反共主義者で、ソ連の国家承認を拒み「日本はアジアにおける防共の砦」と常々口にしていました。1929年、ウォール街の株式の大暴落、世界大恐慌が発生。1933年、アメリカ復興を掲げたフランクリン・ルーズベルトが、大統領選挙を制します。ルーズベルト政権は共和党の反対を押しきってソ連を国家承認しました。古典的な自由主義的経済政策は、経済への政府の介入をできるだけ小さくするというものでしたが、ケインズの理論を取り入れ、不況回復のために一時的に政府を大きくする政策を掲げる。これがニューディール政策といわれる恐慌克服策で、有効需要の拡大のため国家資本を投入し、労働者・農民を救済して生産を軌道に乗せようとするものです。つまり、国家に権力と金を集めて、計画経済を一部導入するということで、ライト(右翼)からは社会主義的と言われ、レフティ(左翼)からは資本家擁護と指摘された修正資本主義といえる国家統制経済でした。「ニューディール支持=親ソ容共=民主党」と「ニューディール反対=反ソ反共=共和党」という二大勢力が対立する構図です。この時期のアメリカの労働運動を象徴するものとして、産業別組織会議(CIO:Congress OfIndustrial Organizations)が先のAFL内に発足し、ニューディール期に拡大しました。

1945年、第二次世界大戦が終わる年の4月に、ルーズベルトが死亡した頃から、アメリカの政策は急速に右旋回します。トルーマンが大統領になり、やがて軍人であるアイゼンハワーが大統領になります。

アメリカは日本と異なり、大統領が変われば、政権交代に伴う政策プランナーは全員が交代します。これをPolitical Appointee (ポリティカル・アポインティー 政策任用)といいます。官僚を政治家が任命する雇用機能です。ルーズベルトの死とともに、ルーズベルトに雇われた社会主義的、共産主義的な考えをした人は、皆、失業しました。ニューディール左派の誕生です。

弁護士であるチャールズ・L・ケイディスは、ルーズベルト政権に入るが、ルーズベルトが亡くなってから、日本にやって来ます。米本国では反共の共和党の目が光っているため、「それじゃ、GHQに入って、理想を日本に作ろう」とするのです。その中心になったのが、GS(Government Section 民生局)です。

1945(昭和20年)年10月9日、親米的でアメリカでの知名度も高く、英語力も抜群であった幣原(しではら)内閣が成立。民生局のトップは、コートニー・ホイットニーでしたが、実質上、民生局次長となったケイディスが、マルクス主義の理想を込め、「マッカーサー5原則」を作成しました。10月11日、マッカーサーは幣原喜重郎首相に「5大改革指令」と「憲法改正」を要求。連合軍総司令部(GHQ)は、1946年2月13日に天皇主権を維持する日本政府の憲法改正案を拒否。同日、法律学位者の2人の先任陸軍将校(ミロ・ラウエル陸軍中佐とコートニー・ホイットニーGHQ民政局長)らによって作成された、象徴天皇と戦争放棄を柱とする独自案を日本側に手渡し、「この憲法の諸規定が受け入れられれば、天皇は安泰」と説明しています。2月22日、閣議はGHQ憲法案の受け入れを決定。3月6日、同案に若干の修正を施したうえ、「憲法改正草案要綱」として発表。4月17日には、「要綱」は条文化され「憲法改正草案」となります。4月22日、幣原内閣総辞職。5月22日、第1次吉田茂内閣が誕生。日本政府は11月3日、新憲法を公布しました。

日本国憲法において、第28条に規定された労働基本権は賃金労働者に対して憲法上認められている基本的権利です。ここで保障された権利は、すべての国民に保障された権利とは異なり、賃金労働者という社会的地位にある者に対して特別に保障された権利なのです。労働基本権である、団結権、団体交渉権、団体行動権の「労働三権」、そして労働組合法、労働基準法、労働関係調整法という「労働三法」が、創られていくのです。世界の「労働法」のなかでも、労働者、労働組合に非常に有利な法律が、この時に作成されています。日本の「労働法」は、経営者にとって極めて不利に作られており、労働者、労働組合にとって極めて有利に作られています。これを「プロ・レイバー」といいます。

このような経緯で、労働組合の結成を奨励しよう、労働組合を日本にどんどん作らせないとダメだ、ということになったのです。GHQは当初、「日本共産党は、日本を民主化する大きな中心的勢力だ」と考えていました。1946年、中国の延安から戦後、帰ってきた野坂参三(後の日本共産党元名誉議長)は、「占領軍は、日本を軍国主義、封建主義から民主主義に解放した解放軍だ」と評価しました。奇しくも、その評価がGHQと一致し、戦争中、投獄されていた共産党の幹部達、例えば、網走刑務所に20年近く入っていた徳田球一(後の日本共産党の代表的活動家。戦後初代の書記長)、宮本顕治(後の日本共産党第2代議長)等をどんどん釈放していきます。そして「共産党を積極的に支援せよ」ということになり、占領軍と合法政党として再建された共産党との蜜月時代がスタートするのです。

2010/01/17

バブルによる生存

中国にとって2010年の政治的な大イベントは、3月の全人代、5月から始まる上海万博です。中国中央政府は2008年11月、景気対策として総額4兆元(約57.5兆円)の財政出動を決定し、金融機関が融資を緩和しました。

マスコミはリーマン・ショックを克服し、中国経済は絶好調、世界経済を牽引しているという報道です。しかし、好況だと物価が上昇するはずですが、インフレは起こっていません。そして、好況だと人手不足が起こるはずですが、大卒者の3割が就職できず、ワーキングプアとして仲間と同居する「蟻族」となる学歴デフレが発生しています。
2010年、中国が直面する三つの危機

中国の銀行は預金過剰、融資過少の金余りです。金は資産市場へまわり、住宅価格が高騰しています。実体経済の回復より先に、中国はバブル経済に突入しているのです。バブル無くして8%成長の維持はできません。バブル抑制策は国家的自殺となり、リスクを未来へ先送りするバブルによる生存です。3月の全人代の前には、「政府は人民のために投機を防止しています」という引き締め策が必要なのです。

現在は過去とは異なりますが、過去の積み重ねの上に成り立っています。学問で重要なのは文系・理系にかかわらず先例の研究です。文系は、意見・理論・学説の系譜等が研究課題の中心です。理系は、学説史自体の研究を学ぶことは稀です。不要ではなく研究の中に既に織り込まれているからです。歴史の先例が残してくれた事実には、現在の発見があります。

中国、株価指数先物・空売り・信用取引を原則承認=中国新聞社
2010年 01月 8日 20:01 JST [北京/上海 8日 ロイター]
海外華僑向け通信社の中国新聞社は8日、中国が株価指数先物、空売り、株式信用取引の導入を原則承認したと伝えた。これらはいずれも、投資家にヘッジ手段を与えるものとして長く待ち望まれてきた。中国国務院は2008年に改革を承認していたが、世界的な金融危機の影響で導入が先延ばしになっていた。中国新聞社によると、当初は試験ベースで実施され、導入準備に3カ月かかる可能性があるという。中国の株式市場は08年に65%下落した後、09年には80%上昇するなど変動の激しさで有名で、発展途上期にある証券取引所に高度なリスク管理手段のないことが大きな短所とされてきた。株価指数先物をはじめとするデリバティブ(金融派生商品)導入のため、中国では06年末に中国金融先物取引所が上海に設立されたが、世界的な金融混乱の広がりを受けて導入計画は先送りされていた。

日本は、1988年6月に、大証が日経平均株価オプションを上場し、10月には、東証がTOPIXを対象にオプション取引を開始しました。裁定取引を利用したソロモン・ブラザーズの仕掛けにより、1990年2月から始まった日本株式の大暴落はバブル崩壊を引き起こし、土地・株式等の資産喪失により1100兆円以上を消失しました。

バブル経済は必ず弾けます。その多くは、過去に先例を見い出せます。近くは米国の住宅バブル崩壊、遠くは オランダでのチューリップ・バブルです。物理過程にある日常経験の対象物はその構造も、その構成要素も不変であることによって、そのものとしての存在を維持しています。構成要素が変わる時は、その物理的存在ではなくなり、別の物理的存在になるか、より基本的物理的存在に還元されます。構成要素の変化は、過去と未来では決定的に異なります。江戸時代は、徳川幕府を頂点とする連合国家でした。明治維新は徳川政府から薩長政府に変わりましたが統一国家となりました。国家システムとしては、全く異なるのです。構造の変化です。

21世紀の世界大恐慌は通貨体制を破壊し、戦争は覇権国家を崩壊させます。我々は既に、恐慌経由、超インフレ行きの片道切符を手にしています。新しい経済システム(水素文明)を構築するプロセスを発信する『秋月便り』は、水素文明の乗車券となります。

2010/01/15

小沢疑惑追及、地検検事が上層部を押し切る。

東京地検と小沢一郎の闘いは、1月18日の通常国会開会までの、最終局面に突入しています。マスコミは報道しませんでしたが、「チャンネル桜」では自民党の西田昌司参院議員の質問の全てを報道しました。

1/3【西田昌司】参議院決算委員会質疑[H21/7/4]
2/3【西田昌司】参議院決算委員会質疑[H21/7/4] 
3/3【西田昌司】参議院決算委員会質疑[H21/7/4]

特捜部が絞り込んでいるのは、深沢の土地を取得した際の「4億円の原資」です。石川代議士が、「小沢幹事長が直接紙袋に入れて現金で渡してくれた」という証言でウラがとれ、小沢幹事長の事情聴取決定の決め手となりました。特捜が浮かび上がらせたかったのは、陸山会の「原資」であり、「収入」より「支出」が多い陸山会の実態です。

最高検察庁検事総長 樋渡利秋は、もともと民主党嫌いでしたが、民主党の衆院選大勝により、民主党との融和をはかるため、特捜部の現場に「小沢捜査はもういい」と伝えています。しかし、「証言も証拠もあるのになぜだ!」と現場が猛反発し、特捜部と読売新聞が組んでの情報戦となりました。そのうえ「都内の市民団体」としか表記されない謎の市民団体「世論を正す会」が、小沢一郎の政治団体「陸山会」を検察に刑事告発し、再捜査せざるをえなくなったのです。当時、一般のマスコミが無視するなか、司法記者会は検察を全面的にバックアップしていました。

また「水谷建設関係者が小沢幹事長側に1億円を提供」というスクープは、三重県・津刑務所に面会に行った共同通信と『赤旗』の記者が書いています。

今、世界や国内では何が起きているのでしょうか?現代はますます複雑になり、見えにくくなっています。各国の政府や要人は、秘密交渉、秘密協定を行ない、秘密情報をシェアしています。絶対洩れない秘密というのはありません。極秘文書が解禁されたり、洩れたりするからです。さらに現代の極秘情報は真実も嘘も含み、情報量はとめどなく増殖していきます。インテリジェンスは現代においてますます重要ですが、いかに多くの情報を得られたとしても、その意味が読めなければ何もなりません。私達に見えているのはほんの一部にしかすぎません。歴史はブラックボックスなのです。

2010/01/13

レセプト完全オンライン化とHealth2.0

2008年4月10日、厚生労働省令第111号により省令が改正され、レセプトのオンライン請求義務化が決定しました。原則、平成23年3月31日までにすべての医療機関は病床数などに合わせ、決められた年の4月1日からオンライン請求に移行しなければなりません。レセプトデータの電子化は、医療費のムダを抑制し、医療の効率化を促進する基礎となる施策です。しかし、レセプト電子化に反対した日本医師会、歯科医師会、薬剤師会により、例外規定が設けられ実質骨抜きとなりました。

2007年度の日本のレセコンの市場規模は3,200億円である。現状ではレセコンの普及率は病院・診療所で80%、歯科診療所で70%、調剤薬局で 90%と高い。しかしながら2008年度の推定でも施設数ベースのレセプト電算化率(施設数ベースのオンライン化あるいは電子媒体対応割合)は病院で 30%強、診療所で15%、調剤薬局で65%であり、2013年の完全レセプトオンライン化に向け急速な整備が要求され、市場は急速に成長すると予測される。
出典:株式会社シード・プランニング

コンピューターが技術者のみが扱える専門的機械から、一般人も扱える機械として普及してきたのは1980年代に入ってからです。レセプト電子化の構想が最初に厚生省から発表されたのは、1983年のことです。当時、「レインボーシステム」と銘打って打ち出されたこの構想に、当時の花岡日医会長は「デメリットもあるがメリットもある」と柔軟な姿勢を示し、花岡会長のあとをうけた羽田会長も1985年春から、千葉、栃木の2県で試行的に実施することを合意しました。しかし、実施直前の1985年1月の毎日新聞に、電算処理は審査を強化して不正請求の防止を図るのが狙いという趣旨の記事が出たため、千葉県医師会が反発。日医も厚生省との合意を破棄して、この構想は消滅しました。以後、レインボーシステムは厚生省、日医にとって禁句となり、新たな取り組みを始めるまで3年の年月を要しています。1988年から再度スタートしたレセプト電子化システムはまず、技術上の問題点を検討するため技術評価試験に取り組むことになります。技術評価試験は、次の段階であるパイロットスタディに移行するまでの試行期間であり、当初1年間の予定で始まりましたが、診療報酬改定の際にエラーが多発するなどの問題点が明らかになり、2回にわたって延長され、結局3年間行われることになりました。ちなみに、1990年4月の診療報酬改定では、社保分で9.83%、国保分で19.1%もの高いエラー発生率となり、とても実用に耐えられない状況でした。1991年10月よりパイロットスタディに移行し、パイロットスタディは1997年9月をもって終了、同年10月より本稼働に移行しています。20世紀末は、インターネットの普及とIT技術の急速な進歩がみられた時代であり、21世紀に入ってすぐに高度情報通信ネットワーク社会形成基本法(IT基本法)が制定され、「5年以内に世界最先端のIT国家を目指す」E-Japan戦略が策定されました。

情報化時代にあって、医療保険の請求支払いシステムは最も遅れた分野です。増大する医療保険の請求事務を合理化・効率化し、時代にふさわしいものにしていくには、このシステムなしには考えられません。費用の可視化および透明化は、すべての経済活動の前提基礎です。政府のIT戦略本部が策定した「i-Japan戦略2015」には、日本版EHR(Electronic Health Record)構想が盛り込まれています。医療情報の入口となる医療現場での電子化が遅れるということは、その後に控えるPHR(Personal Health Record)などが滞ることを意味します。「医療費適正化」という大義名分がありますが、レセプト情報のナショナル・データベースを構築・分析することによる医療機関ごとの給付適正化です。これはすでに韓国において実施されています。また、完全移行の平成23年度中に、年金手帳・健康保険証・介護保険証の役割を果たす社会保障カード(仮称)が導入される予定となっています。

PHRは病院のカルテを電子的に保存しておくだけでなく、人間ドッグの結果や既往症の具体的な内容、毎日飲んでいる薬やサプリメントの品目、その他に受けたことがある検査データやレントゲン画像など、自分の体に関する健康情報をすべてオンライン上の一ヶ所に保存しておき、事故や病気の際には担当の医師にその情報を開示して、治療に役立ててもらう仕組みを目指しています。PHRの内容が充実していれば、新しい病院に行く度に検査を受け直したり、自分の体質や病歴について口頭で詳しく説明する必要が省けることから、医療サービスの効率化と医療費の無駄を省くことができます。病院や薬局などの医療現場で管理される患者の医療データはEHRと呼ばれ、従来のEHRが「クライアント&サーバ」システムでプロプライエタリなビジネスモデルであるのに対し、EHR2.0はクラウド・コンピューティングを活用したウェブベースでオープン&相互運用可能なものと想定されています。そのため欧米では、PHRの普及が医療改革の柱として注目されており、IT業界は、医療 + Web2.0 = Health2.0をコンセプトに病院や薬局などの医療現場で管理される患者の医療データ(EHR)と、患者が個人的に管理している健康データ(PHR)を結びつけようとしています。

マイクロソフトの「HealthVault」は、医療機関で記録されたカルテの他にも、保険会社、フィットネスセンター、家庭用の体重計や血圧など健康機器で測定されたデータを自動管理できるように開発されたパーソナルヘルスレコード(PHR)です。病院の医師は診察をする際の患者のデータにアクセスして、最近の健康状態をチェックした上で治療を進めることができます。マイクロソフトでは、体重計、血圧計、心拍計、歩数計、フィットネス機器などを開発する各メーカーに対して「HealthVault」の規格を提供することにより、健康デバイスのデータを保管するヘルスレコード市場の覇権を握る戦略です。
HealthVault 

Googleの「Google Health」はβ版のサービスで、病院などで記録される医療情報は本来、患者個人のものであり、患者自身が保有しておくべきものであるというコンセプトです。本来、PHRはEHRをはじめ他の医療システムの上位に立ち、これらを統合する中心的な医療情報であるべきだという考え方です。ユーザーが取り込める自分の医療情報は、Googleとの間で提携関係を結んでいる一部の病院や診療所に限られていますが、病院で診察を受けている患者が自宅から同サイトにアクセスすると、病院が保有している自分の診療記録を取得することができます。その中では処方されている薬のリストも表示されており、複数の病院に通院しているケース(内科と眼科と歯科など)では薬同士の相互作用やアレルギーの関係が自動的にチェックされる仕組みになっています。Googleは、病院で記録されるカルテの電子化や処方薬の販売においてインターネットとの連携が見込めるため、米国内だけで4兆ドルを超す医療ビジネスに個人医療情報の分野を確立し、世界の医療機関に対して電子カルテ作成のプラットフォームを無料で提供する方法で提携先を増やしていく戦略です。
Google Health(β版) 

Health2.0の流れは、インターネットによる医療革命そのもので、既存の医療業界が確立している利権との闘いになるでしょう。

2010/01/11

競争から共創へ、独創からコラボレーションへ

世界経済の急激な縮小はデフレの津波となり、世界を襲いました。大不況は一つの時代を終わらせ、次世代の科学技術を開花させて新時代の開幕を促す経済の摂理です。パナソニック(旧松下電器産業)を創業した松下幸之助は不況克服の心得十カ条を残しました。古い価値観が崩れる時こそ、挑戦者のリスクや参入障壁が低くなります。変革と挑戦は知的蓄財となり、科学の開花を産み出し、新しい社会に移行していきます。

歴史を振り返ると、過去四回の世界大不況がありました。一回目は米国の鉄道建設バブルが崩壊した1873年恐慌です。軽工業から鉄鋼などの重工業生産が主要な産業となったために生じた不況です。国内で過剰となった資本は海外に向かい、列強が市場と資源を確保しようと争う帝国主義の時代です。軽工業(繊維工業)を中心にしてヘゲモニーを握った大英帝国は没落しました。電話機の発明による通信革命が起こり、機械技術の発明や発見も相次ぎ、近代工業社会が開幕しました。
二回目は反トラスト運動が激化する下での1907年の金融恐慌です。二十世紀最初の恐慌です。1908年に大衆車T型フォードの発売で輸送革命が始まり、大量生産、大量消費の時代に突入しました。
三回目は1929年の大恐慌です。ナイロンや合成樹脂など素材革命が起こりました。37年には米国でコピー機、ポラロイドカメラの原型などが相次ぎ登場し、「発明ラッシュの一年」と呼ばれました。
第二次世界大戦が終了した45年には、米ペンシルベニア大が世界初の大型汎用デジタルコンピュータ「ENIAC」(Electronic Numerical Integrator and Computer)を誕生させています。
四回目は1973年の石油ショックによる世界不況です。その後、ビル・ゲイツらの登場とIT(情報技術)の発展で情報革命が始まり、脱工業化社会が開花しました。

今回の不況で世界はどう変わるのでしょうか。過去一世紀半、近代工業社会が破壊した生活環境を修復し、環境創造の循環型社会に転換するのは必然です。資本主義の発展とともに概念化された大量生産・大量消費のモデルは、今や先進諸国においては崩壊しています。新エネルギーや素材、バイオ、宇宙など先端技術を総動員し、生活を全面的に見直すグリーン革命が始まるでしょう。炭素文明から水素文明への転換です。

変革と挑戦は全体(組織)にとっても部分(個人)にとっても共通のテーマです。変革と挑戦とは、あらゆる領域における量から質への転換です。質を追求するということは、一つのことにどれだけ深く関われるかどうかのプロセスであり、一定のレベルに甘んじることなく自己変革をやり続け、他との良好な関係性を高めていくことによって、成果を約束されるのです。社会環境は多様性への対応も要求しています。そこにネットワーク組織の必然性が存在しています。量を追求すると同業他社とは競合関係になるが、質を求めて動くと協力関係ができます。競争から共創です。自他非分離の考え方が共創を生み出します。

「不況克服の心得十カ条」
第一条 不況といい好況といい人間が作り出したものである。人間それを無くせないはずはない。
第二条 不況は贅肉を取るための注射である。今より健康になるための薬であるからいたずらに怯えてはならない。
第三条 不況は物の価値を知るための得難い経験である。
第四条 不況の時こそ会社発展の千載一遇の好機である。商売は考え方一つ、やりかた一つでどうにでもなるものだ。
第五条 かつてない困難、かつてない不況からはかつてない革新が生まれる。それは技術における革新、製品開発、販売、宣伝、営業における革新である。そしてかつてない革新からはかつてない飛躍が生まれる。
第六条 不況、難局こそ何が正しいかを考える好機である。不況のときこそ事を起こすべし。
第七条 不況の時は素直な心で、お互い不信感を持たず、対処すべき正しい道を求めることである。そのためには一人一人の良心を涵養しなければならない。
第八条 不況のときは何が正しいか考え、訴え、改革せよ。
第九条 不景気になると商品が吟味され、経営が吟味され、経営者が吟味されて、そして事が決せられる。従って非常にいい経営者のもとに人が育っている会社は好況のときは勿論、不況のときにはさらに伸びる。
第十条 不景気になっても志さえしっかりと持っておれば、それは人を育てさらに経営の体質を強化する絶好のチャンスである。

松下幸之助の正しさは歴史が証明しています。

2010/01/10

不安定性の源泉

日本で人口問題といえば少子高齢化ですが、国連は中国の人口が1995年の12億人から2040年に16億人のピークに達すると推計しています。インドはその年に19.6億人となり、さらに人口は伸び続け、2050年には中国は14.1億人となるのに対して、インドは22.0億人に達すると推計。中東の人口は1970年の2億人から現在の5億人に達し、2020年には6億人になると予測しています。世界人口は2005年と比べて2020年代には20%近く増加し、77億人になっているでしょう。

人口問題は様々な不均衡を生み出します。世界人口のうち4分の1を占めるムスリム市民は、2030年代には3分の1に達することになります。イスラム教がキリスト教を超える世界最大の宗教となるのです。アメリカの政治学者サミュエル・P・ハンティントンは、『文明の衝突』において西欧文明とイスラム文明との対立を予見しました。

キリスト教全体としては、性行為は互いにすべてを与え合うオープンな関係を表現する場です。避妊することは、「本当のオープン」ではないということを意味します。子どもが生まれるか否かは、神が決定するという考え方です。ローマ・カトリック教会は、キリスト教全体の考えに同意すると共に、子供は神からの贈りものであり、神の姿に似せて造られたのだから、いかなる場合でも守らなければならないという考え方です。イスラム教の開祖ムハンマドは、結婚を「信仰の半ば」でありイスラムの慣行として強く推奨し、結婚という合法的形態の他に性行為を認めませんでした。イスラム教にとって、神の授ける子どもを拒否する避妊は原理的に歓迎できるものではありません。仏教は禁欲的で恋を奨励しません。しかしながら避妊が苦しみを救うことになるのならそれは良いことだと考えています。宗教倫理の存在と各宗派が勢力維持のため多産を奨励しているのも事実であり、人口抑制政策を妨げている要因になっています。

ドイツの社会経済学者グナル・パインゾーンは、『自爆する若者たち』で「ユース・バルジ」(過剰なまでに多い若い世代)の問題こそが、経済不安にも匹敵する危機として世界の未来を予測しました。ユース・バルジという現象を手がかりに人口数の不均衡から世界の将来を見渡そうとしたのです。人口増加は食料とエネルギーにおいて歪みを生み出します。パインゾーンは、過剰な人口には国外移住、犯罪、国内クーデター、内戦または革命、集団殺害と追放、越境戦争という六つの選択肢があると指摘しました。欧州の人口は、1500年の6千万人から1914年に4億8千万人へ増加しましたが、海外植民や征服戦争を選択し、1918年までに地上面積の10分の9を支配しました。

人口増は不完全雇用という現象も生み出します。世界経済低迷で一段と深刻化する失業や貧富の格差の問題はイスラム圏に象徴的に現れています。中東では人口の6-7割を25歳未満が占めており、これこそが20%台半ばという世界最高の失業率を中東で生む背景です。イスラム圏では膨大な新規学卒者が労働市場に流入し、大部分がそのまま失業者になる状態が継続します。エジプトやシリアでは、仕事のない公務員の過剰採用で失業率を抑えてきたがもはや限界に達しています。移住や就職・就労の機会を得てきた湾岸諸国は、砂上の楼閣だったことが判明しました。今後さらに実質失業率は上昇していきます。

急増する人口を背景に国際社会の中で自己主張する存在感は、国際秩序をますます不安定にする要因です。コーランに於いてジハードという単純で力強い思想は強い喚起力を持っています。異教徒との戦いです。中国に於いても民主化という思想は強い喚起力を持っています。内戦もしくは革命です。分裂・統合の歴史は繰り返すかもしれません。

人口問題は、現代の炭素文明と人口の崩壊を予見しています。炭素文明崩壊の処方箋として水素文明を学習しておきましょう。『水素革命近未来!』は教科書です。

2010/01/09

社会保障制度の崩壊とテレワーカーの養成

通信ネットワークを活用した在宅勤務などの多様な働き方「テレワーク」が大手企業の間で広がり始めています。働く時間や場所を自由に選べるようにすることで業務効率や社員の意欲を高めるのが狙いです。さらには仕事と育児・介護の両立支援にもつなげるなど、ワークライフバランス(仕事と生活の調和)を実現する少子高齢化社会の活性化の手法として浸透しつつあります。

日本政府も民間企業に先駆け、特許庁が在宅勤務の導入を進めているように、世界に向けて遠隔勤務推進派の立場を示そうとしています。日本国内で広義のテレワーカーと呼べる人達は労働者全体の46%に該当しています。そのうち、会社に勤めている「雇用型テレワーカー」が43.0%、会社からは雇われていない「自営型テレワーカー」が66.4%です。「広義テレワーカー」とは、社内の他に、社外からでもITを使える環境にある人のことを指しています。営業セールスに出かける際にはノートパソコンを持ち歩き、外出先からでもネットにアクセスしている人、携帯電話でメールの送受信をしている人も広義のテレワーカーとしてカウントされます。対象を絞り込み、会社以外でITを使って仕事をしている時間数が1週間に8時間以上を超える人を「狭義のテレワーカー」とすると、その割合は全体の15.2%になります。
国土交通省 2008年度 テレワーク人口実態調査の結果について ―「ITを活用した場所や時間にとらわれない働き方」の実態調査―

先進国では、ビジネスのワークスタイルを変えることを、国策として政府主導で推進しています。近い将来にはCO2の削減活動と同様にテレワークについても、政府が企業に対して一定割合の導入を義務付けることも検討されています。

その背景には、様々な社会的背景が絡んでいます。
1つは危機管理の視点です。地球温暖化や交通渋滞の他にも、9.11のテロ事件以降、都市部のオフィスに一極集中した事業のやり方を改めようとする動きです。テロの他にも、大地震や新インフルエンザのような細菌感染などのリスク対策として、社員の中で遠隔勤務者を一定の割合で作っておくことが求められているのです。

2つめは社会保障制度の崩壊です。ビッグスリーは、退職者への過剰な社会保障費の負担で破綻しました。企業で働く従業員に医療費の他に老後の年金まで保障するシステムは、退職者よりも現役社員の数が多いことが収支を成り立たせるための前提です。ほとんどの先進国では、労働者は平等に扱われており、賃金の中から一定率の社会保障費が天引きされるシステムになっています。
しかし実際には、どの先進国も一人の現役が複数の退職者を支える構造へと変化しているため、少子高齢化が進むほど「平等な社会保障制度」の維持は成り立ちません。欧州では現役世代が支払う月額給与からの保険料率が20~40%まで高騰しています。企業と社員とが折半して国に納めているのも日本と同様です。企業はその重い負担が経営の足かせになっており、社員も「給与額×料率」による非常に高い保険料負担が家計の足かせになっています。その資金は、将来の自分のためではなくて、現在の高齢者や失業者のために使われているのです。

■EU諸国における賃金に対する社会保障費の負担状況
・オーストリア 22.8%(企業負担:12.6%+社員負担:10.2%)
・ベルギー   37.9%(企業負担:24.8%+社員負担:13.1%)
・ドイツ         19.5%(企業負担: 9.7%+社員負担: 9.7%)
・イタリア       32.7%(企業負担:23.8%+社員負担: 8.9%)
・イギリス      19.9%(企業負担:10.9%+社員負担: 8.9%)
・ギリシャ      20.0%(企業負担:13.3%+社員負担: 6.7%)
・スペイン     28.3%(企業負担:23.6%+社員負担: 4.7%)
(日本)      15.7%(企業負担: 7.9%+社員負担: 7.9%)
※社会保障費により退職年金、医療保険、失業保険などが賄われている。
※出所:財務省財務総合政策研究所

社会保障制度の機能を維持させるためには構造の変化が必要です。構造を維持しようとして機能を失い、目的を果たせなくなくなるのは本末転倒です。そのため欧米企業では、社員との関係を雇用から委託や請負の関係へと変更することが1995年頃から進んでいます。企業と現役労働者の双方が社会保障費の負担を軽くすることが目的です。雇われていることの利点は最低限の賃金、医療、年金などが保障されていることですが、将来の自分が利用するであろう公的サービスの中身よりも、割高な保険料を支払わなくてはなりません。実力やスキルがあり、独立したスペシャリストは、公的な社会保障から脱退し、自身で各種の保険会社と契約し、自分が積み立てた金額に見合うだけの保障が将来にわたり受けられる人生プランを手に入れることができます。


企業としても高い賃金を払わなくてはいけない社員ほど社会保障費の負担は大きいため、自営業者として独立してもらって、その後も良好な関係を維持していくほうが望ましいのです。社会保障費が高い欧州企業にとっての課題は高度なテレワーカーを育成することなのです。日本政府のテレワーク人口倍増アクションプラン(2007年5月)では2010年度までにテレワーカー率を20%まで引き上げることを目標にしています。 女性や高齢者らの雇用機会を拡大するため、総務省は10年度までに「テレワーク」人口を1300万人に増やす計画です。既にNTT東日本やKDDIなどが在宅勤務制度の試験運用を始めており、インフラが整備されるにつれ中小企業にも導入が広がっていきます。

2010/01/08

自動車がブロードバンドにつながる時代

ICTの波がすべての産業構造において革命を起こします。パソコン、携帯電話に続いて大きな市場を形成するIT分野として自動車があります。自動車においては、今後10年以内に自動車がブロードバンドにつながる時代になるでしょう。

自動車内のIT機器としてカーナビゲーション・システムが普及しており、殆どのカーナビには、FM-VICS(Vehicle Information & Communication System)の受信機が内蔵されています。1996年から2009年9月時点での累計出荷台数は2518万台に達しています。
財団法人 道路交通情報通信システムセンター

平成21年9月末現在の国内自動車保有台数は7915万台。
財団法人 自動車検査登録情報協会

カーナビの普及度合い 450万台。
社団法人 日本自動車工業会
JAMAGAZINE 2008年10月号

通信契約をしたユーザーが250万台程度なので、潜在需要は10倍以上という見方もでき、今後急速な普及が見込まれます。カーナビは単なる「道案内」からマルチな機能に進化し、自動車は「カーコンピューター」へと変化します。「ITS」とは「Intelligent Transport Systems」の略で、IT(情報通信技術)を活用して人・道路・車両の三者をネットワークした交通システムを意味します。交通事故や渋滞等の道路交通問題の解決や安全性や効率の向上、新産業の創出を目的としています。

■ITSの開発分野と予想されるサービス
(1)ナビゲーションの高度化…高度なカーナビシステムの開発、移動情報サービス。
(2)自動料金収受システム…ノンストップ料金徴収システム(ETC)開発、ETCサービス。
(3)安全運転支援…自動運転・危険警告回避システム開発、走行情報サービス。
(4)最適化交通管理 …信号制御システム開発、経路誘導・交通事故対応サービス。
(5)道路管理の効率化 …特殊車輛通行管理システム開発、工事情報サービス、災害対応。
(6)公共交通支援 …公共交通(バス等)運行状況情報サービス。
(7)商用車の効率化 …配車計画、運行管理支援サービス。
(8)歩行者支援 …危険防止システム開発、経路・施設案内サービス。
(9)緊急車両の運行支援…緊急通報システム開発、経路誘導サービス。

国土交通省道路局ITSホームページ

平成11年2月に発表された電気通信技術審議会答申によれば、ITS情報通信関連市場において、2015年までの累積で約60兆円の経済効果、約107万人の雇用を創出とされています。2001年度より開始されたETCサービスが、コア的サービスとして本格的に展開されています。「ETC車載器=自動決済装置」と考えれば、ドライバーに対して極めて自然な形(お金を支払う感覚を強く抱かせない)で、これらの商品や情報を販売することができることになります。PC向けの各種インターネット・サービスは、決済システムが未整備のまま普及してしまったため有料サービスが手掛けにくい状態ですが、ITSについては、ETCが本格導入さえれた後に、各種有料サービスを提供していくことで、PC向けネットサービスと同じ轍を踏むことはありません。ETC車載器の普及が、ITSをビジネスとして成功させるためのキーとなります。自動車内に搭載されたコンピューター(カーナビや ETC機)とワイヤレスによるデータ通信技術は応用範囲が幅広く、自動車メーカーやIT関連メーカー各社では、この大市場でいち早くシェアを奪取するための研究開発が進んでいます。

トヨタのITSへの取り組み
NECのITSへの取り組み
パナソニックのITSへの取り組み

これら大手メーカーが研究~商品開発に取り組んでいるのは、
・有料道路自動料金収受システム(ETC)
・走行支援道路システム(AHS)
・交通管制システム
・道路交通システム
・公共交通支援システム(バス・レンタカー等)
・商用車支援システム(トラック・タクシー等)
・緊急車両支援システム
・ナビゲーションシステムの高度化(車両及び歩行者向け)
といったいわばインフラ整備分野で、コンテンツサービスはこれからの分野です。

トヨタ自動車はKDDIの通信回線を利用してカーナビへの情報配信を手がけています。通信が高速化すればやり取りできるデー夕の量が増加するため、活用の場はまだまだ広がります。一般の携帯電話市場が停滞する中、携帯会社にとっても自動車市場は魅力的な市場です。

自動車に通信端末を搭載。車の走行距離や加速・減速の状況などを記録し、携帯電話回線を用いて定期的に自動車メーカーに送信。メーカーは届いたデータを解析し、部品の交換時期や運転方法の改善を車の持ち主に提案。販売店からはがきやEメールを送るだけの場合に比べて、顧客とのコミュニケーションを強化でき、集まったデータを蓄積して細かく分析すれば、安全性能の向上などにもつなげられる。この通信回線で音楽や動画などを送信することも技術的には可能。NTTドコモは、数年後の実現を思い描き、既に複数の自動車メーカーと実用化に向けた協議を始めています。

整備されたインフラの中で「何に活用するのか」を考えれば、インターネット、携帯電話向けとして考案されたビジネスモデルや、蓄積されているコンテンツの中には、ITS 分野へと応用することによって収益化が可能になるものも少なくありません。PC向けサービスとしては無料でしか成立しなかった地域情報も、移動範囲が広い自動車の中で、現在の位置情報と連動した形でタイムリーに配信されるのであれば有料情報としての価値が生まれます。ただし、携帯電話と同様に、この分野は完全にオープンな市場ではありません。インフラ網を握る大手企業と上手に協力関係を築きながら、一部の権利を獲得することができた企業のみが急成長できる構図になります。

2010/01/04

多様化・多極化時代と相互依存

世界的な金融危機が招いた経済危機は、ウォール街の貪欲さが世界を引き回したことによって起こりました。ある大きな出来事が社会秩序の変化の引き金になるという歴史の転換が再現されます。

金融市場のグローバル化という勢いが弱まると、各地域経済がそれぞれにかかえている独特の課題が鮮明に浮かび上がります。多様化・多極化時代ゆえに、それぞれが世界に背を向けて自己の課題に取り組むわけにはいきません。では多様化・多極化時代の国際的な秩序はどう進化していくのでしょうか。また、多様性からの利益を引き出す為に、各国はどうお互いを補い合っていくのでしょうか。

米国では、バラク・オバマ氏が「チェンジ」をスローガンに、大衆参加の大統領選挙を制したことは、人々が何らかのパラダイム変化の可能性を予感し、求めつつあることを明らかにしました。大きな政府(財政赤字)を受け入れざるを得ないとしても、過剰な消費、外国からの資金供給依存によって支えられてきた経済構造に、パラダイムの変化が生じなければなりません。

中国では、「改革・開放」「和讃(わかい=調和のとれた)社会」という課題を完成させるには、日本の総人口を上回る2億人以上の人口を10年、20年かけて第1次産業から移動させなければなりません。それを可能にする雇用をつくり出すには、少なくとも毎年8%程度の経済成長が必要です。8%成長とは、日本から見れば羨むべき高さですが、中国にとって日本のゼロ%成長にも匹敵する死活水準です。しかしこの成長が維持可能になるには、非効率なエネルギー消費、経済組織や建造物に関する巨大化信仰、流動労働力の搾取、政府の過剰・恣意的な干渉など、パラダイムの変化が必要です。

日本の課題とは、人口、経済社会構造の変化に応じた世代間の関係を、コミュニティとして再構築しえていないことから生じる「不安」の解決です。国民が政治に求めているのはバラマキではなく、各世代がそれぞれ安定した展望を持ち自律的に将来に立ち向かうための社会保障の再設計と実行です。だがそれを明快な言葉で語り、実行しうる政治勢力はまだ結集していません。

米日中の課題に共通するのは、人々の意識や価値観、世代間関係、雇用といった、人間にかかわることです。各論での課題は地域的であり多様な形で存在しています。だが、多様性は相補性の親とも言えます。国際間の多様性そのものが、それぞれの国・地域に固有な課題の解決に、相互に役立つ可能性もあるのです。多様性の時代は相互依存の時代とも言えます。

中国と日本の間には、環境親和的・再生可能エネルギー技術と、持続的に拡張する市場機会との補完性があると指摘されます。今後、数十年のうちに、中国は日本とともに最も老齢化した人口構成の国となり、米国が先進国の間では最も若い国になります。中国のドル資産の蓄積は当面は理にかなったものといえます。米国の外交政策を拘束することになりますが、米国は人権・平等といった価値観への自らのコミットメントを明らかにすることによって、中国の社会構成の進化に道徳的示唆を与えることができます。

日本と米国の間では、自然・気候環境の保全維持に補完的な役割を果たします。米国は大規模なジオ・エンジニアリングや、革新的なクリーン・テクノロジーの開発にリーダシップを取る可能性がある一方、日本は生活や産業に根ざした環境親和的技術に独創性・競争性を発揮できます。

人間的要素にもとづく多様化の時代における市場競争は、量より質の競争になります。機械、機器によっては完全に代替されないという意味で、不可欠とされる人間の認知資産を活用し、環境親和的な技術や社会貢献に積極的な企業が、製品市場や資本・労働市場によってますます評価される傾向にあることが、国際規模で学術的に明らかにされつつあります。

2010/01/03

変化する近所付き合いのスタイルと町内会・自治会の役割

地域や家族などの「つながり」を分析した内閣府の国民生活白書(2007年版)は「地域と深いつながりを持っている人は少ない」と指摘します。全国の約3400人に聞いたところ、近所付き合いの関係は総じて浅く、「生活面で協力しあうご近所さんが一人もいない」と答えた人の割合は65.7%。
地域のつながりが十年前に比べ弱くなっていると考える人は31%に上ります。白書は「つながりによる精神的なやすらぎや充実感を得られなくなれば生活の豊かさを実感できないだろう」と警告しています。
内閣府の国民生活白書

現在の地域活動は各地区の町内会や自治会を中心に行われること(これを地縁活動という)が多いが、住民の家族構成やライフスタイルが変化してくれば、地域活動への関わり方も変化します。
近隣との関係は挨拶程度か、それ未満というのが一般的なようです。都会では「隣に住んでいる人の顔を知らない」ということが珍しくなくなって相当の年月が経っています。

ところが近所付き合いの希望について、「ほとんどもしくは全く付き合いたくない」と考えている人は全体の4%に過ぎません。ご近所の人達と仲良くなりたいという気持ちは、どの人の心の中にもあるようです。昔ならば地域のお祭りや奉仕活動などを機会にしてご近所同士が仲良くなったものだが、現代では各家庭でライフスタイルが違うこともあって、仲良くなるきっかけが掴めないままでいるのでしょう。国民生活白書の中では、これを「地域のサラリーマン化」と分析しています。

《近所付き合いに対する希望》
7.1% とても親しく付き合いたい
39.9% わりと親しく付き合いたい
48.9% 付き合いはするがそれほど親しくなくてよい
4.0% ほとんど付き合いたくない

大半の人は近所付き合いの必要性を何らかの形で感じているようです。この心理を裏付けているのが町内会・自治会への参加率で、加入している世帯は全体の約9割と非常に高いものの、実際の活動に積極的に参加しているのは、その中の1割程度に過ぎません。ほとんどの住民は自治会費だけを払い「あとの活動はすべてお任せします」というスタンスです。

《町内会・自治会への参加率》
51.5% まったく参加していない
35.8% 年に数回程度の参加
9.2% 月に1回程度の参加
1.9% 週に1回程度の参加
1.0% 週に2~3回の参加
0.6% ほぼ毎日

隣人との過剰な付き合い(親しさ)までは好まない層が半数近くいるのが現代の世情を表しています。つながりを求める一方、自らの安住を守るため、ともに暮らしを送る「隣人」すら警戒し、過剰な自衛に走るケースも目立ち始めています。新居を選ぶ際、将来の近隣住民の情報を集めようと、探偵会社に調査依頼が舞い込む。「袋の中まで確認するほどゴミの分別にうるさい住民はいないか?」「物音に過敏な人は?」。都内の業者によると、五年前に比べ依頼件数は倍増。探偵も「ここまでやるか」と驚きを隠せません。

自分に利益がない限り心を開かない人が多くなりました。濃密な付き合いを自任する人もメンタルなつながりは薄いのです。結果として孤独を深めるという皮肉な構図が浮かび上がります。

2010/01/02

有名校は夢託す箱船

2007年、中学受験をする小学生の保護者に「受験校選択で重視すること」を尋ねたところ「有名大学に合格する可能性が高い」と答えた割合は73.8%と1988年調査に比べ14.2%上昇。「世間の評価が高い」も79.3%と17.3%増え「進学」や「評価」を重視する傾向が高まっています。別の調査で受験する層としない層に分けて子供の将来に対する期待を聞いたところ「する層」は「仕事で能力を発揮する人」が42.4%。「しない層」より11.7%高い。一方で「友人を大切にする人」「他人に迷惑をかけない人」といった項目はしない層よりも5%ほど低い。
ベネッセ教育研究開発センター

不況もどこ吹く風の勢いで、中学受験熱は止まりません。中学受験対応の最大手塾、日能研の推計では今年首都圏で受験する小学生は約6万5千人で前年比約6%増え、過去最高となる見通しです。私立中学に通わせるとなると、年間費用はざっと百万円弱。「景気が厳しいからと受験校を絞る妥協はしないでください」と同社の保護者説明会で講師はクギを刺します。

不安時代を漂う親にとって有名中学は箱船のように見えるようです。将来が不安だからこそ早めに我が子にレールを敷こうとしているようです。しかし、中学入学=ゴールではありません。受験前に子供を慰めていた親が合格発表当日には早速大学進学塾を探し出します。今の親は『もっともっと』で際限がなく、中学受験の大半は親が仕向けています。子供が30歳を超えても過干渉の親はいくらでもいます。多くの子供達が、未来へのステップの途中で燃え尽きてしまうのです。

私立中の利点は知的関心の高い子供が集まることです。入学後に何をするかで面白い人間にもつまらない人間にもなります。会社でも「こいつは」と思う若者は高学歴とは限りません。

子供達がいかに優秀であったとしても、現在以上にワーキングプアが急増し、経済の一極集中が顕著になる中、箱船に乗れば将来が保障される可能性は極めて少ないといわざるを得ません。巷に氾濫する20代の失業者を見ればわかります。彼ら全員は力もなく、やる気もないのか。そうではありません。能力のある人もいれば、チャンスさえ与えればバリバリやれる人もいます。彼らが悪いのではありません。彼らは、今という時代が生み出したのです。

2010/01/01

本末転倒の正常化

21世紀は、あらゆるビジネスにおいて「持続可能で循環型であること」がルールになります。世界の誰もが自由競争経済の持続を望んでいます。社会主義の復活ではなく、抑止力の回復です。

問題の本質はウォール街のやり方を単線的に広げた国際金融の強引さであり、世界は成長を続け大不況に陥ることはないと拡大路線をひた走った国際企業の過信でした。実体経済や企業収益と不釣り合いな金融機関の利益を当然視する「金融立国」の論理は破綻しました。実体経済の規模や成長率を大幅に上回る金融資産の肥大や収益率が持続可能なはずありません。金融資本主義とグローバル化の問題です。危機に立つのは資本主義ではなく、グローバリゼーションの有りようです。

米国中心のメカニズムは既に修正が始まっています。互恵・補完関係にある国が集まり、ある程度の「自律的経済ゾーン」を形成しながら、世界不況の回避と成長維持でゾーン同士が連携するでしょう。新しいグローバリゼーションが模索されます。日本はアジアや中東などとも「共生ゾーン」を作り、経済安保の厚みを増さねばなりません。貿易黒字をため込む一方で購買力を実現しない経済大国の国民経済の在り方にも問題があります。世界的な貯蓄・投資の不均衡と赤字国への資金還流を拡大した結果は赤字国だけの責任ではありません。不均衡是正に伴う金融から実体への回帰は正常化の基本です。経済運営の見直しが必至となります。