2010/02/27

隣の友は真の友

日本経済が従来のままでよいと考えている者はまずいません。その意味では、誰もが「改革論者」なのです。90年代の「改革論」から学べるのは、旧来のシステムを打破するという「改革」そのものが経済を混乱に陥れ、結果として経済をさらに悪化させたという点です。倒産、リストラによる失業、不確定性、リスクの増大といった「改革」の産物そのものがマクロ経済の急速な悪化を招き、デフレ圧力を生み出しました。ケインズは、将来の期待や予測の混乱と不確定性の増大が、経済を停滞させる最大の原因だと述べました。90年代後半の改革は、最悪のアプローチにより国家を支えていたシステムを破壊したのです。

サブプライムローン問題が発生する以前から、日本社会は、各層、各組織相互の信頼が失われつつあり、今回の経済危機でさらに鮮明に表面化しました。与党と野党、与党内の各グループ、官僚と政治家、経営と労働、正規社員と非正規社員、富裕層と中間層と貧困層、自治体と中央政府、老年層と若年層、そして国民と国家等々です。さまざまな利害の対立は顕在化した不信の連鎖を生み出しました。それは国民の間に「将来不安」が広がっているからに他なりません。不安は、少子高齢化に伴う制度の遅れの不安、デフレによる不安、システムの転換による不安の三つに大別できます。こうした不安を取り除くのが政府・政治家の仕事ですが、例によって場当たり的に対応しています。

今後世界がどう変化しようとグローバルな構造は変わることはありません。日本は猛烈な勢いで衰退しています。輸出主導の製造業を中心とした国家経済モデルが崩壊するかもしれないのです。コモディティ化が進んでる分野では、コスト競争力の強い国が勝者となります。インドや中国にどんどん仕事がアウトソースされているのです。

今日よりも明日、明日よりも一年後、さらに五年後のほうが、自分の人生はより良いものになっているはずだという思いが希望です。経済的豊かさを実現した成熟社会は、将来的に必ず人生はより良いものになるという思いを持つのが難しい社会です。増幅された不信の連鎖を止めるのは極めて難題なのです。今必要なのは、今回の危機は循環的なものではなく、歴史的な大転換期かもしれないという仮説に立ったシミュレーションと希望を持ちうる将来的ビジョンです。

経済活動を根本で支えるのは信頼であり、将来不安が国民の国家への信頼を失わせ、政治への無関心が常態化しました。不信と無関心の未来は社会不安と暴動です。隣の不幸は蜜の味と考える日本人がこれから増大していきます。性善説から性悪説を前提とした社会システムへの緩やかな移行です。このような社会で戦っていくには、隣の友は真の友と呼べる関係の構築が必要です。関係の構築には積極的な相互理解と相互信頼形成が必要です。大切なことは、「誰かに変えてもらうのを期待する」のではなく、「自ら変わる」覚悟です。希望のないところに未来は無く、行動しない人々に明るい未来は掴めません。毎月開催される「イベント」(詳細は秋月便り参照)に参加することで、真の友を見つけるチャンスは飛躍的に増加するでしょう。

2010/02/21

急増する住宅ローン破綻と金融機関

全米抵当貸付銀行協会(MBA)19日の発表によると、住宅ローン全体に占める返済延滞期間が90日以上のローンの割合は全体の5.09%に増加した。ローンの返済が90日間滞ると、銀行は通常、物件の接収に向けた手続き開始する。差し押さえの対象となったローンの割合は4.58%に増加。
2月19日 ブルームバーグ 米国では差し押さえに直面する可能性のある住宅は2009年10-12月(第4四半期)に過去最高水準に増加した。
格付け会社スタンダード・アンド・プアーズ(S&P)は1日、米商業不動産市場について、空き店舗率が高止まりし、賃貸料が下落する中、最悪期は脱していないとの見方を示し、多額の損失を生み、金融システムを脅かす恐れがあると指摘した。S&Pはリポートで「銀行が抱える商業不動産へのエクスポージャーの影響はまだ完全に表れていない」としている。住宅建設や商業不動産建設セクターでは既に問題が顕在化しているが、金利が低く、債権回収に十分なキャッシュフローがある現状では、商業不動産ローンや多世帯住宅セクターでは影響が認識されていないとの見方。金利が上昇し、賃貸料がさらに落ち込めば、こうしたセクターでも差し押さえが増加し、価格が一段と下落するとの見方を示した。
2月1日 ロイター 米商業不動産市場、一段と悪化の可能性=S&P

2010年の米国銀行破綻は200行以上と予測されています。経済全般の落ち込みは各種統計指標に現れます。経済の弱体化は、失業率の上昇、住宅価格低下とローンのデフォルトとなり、銀行の破綻が加速していくのです。サブプライム・ローン市場の影響はプライム・ローン市場から商業用不動産の分野に波及しようとしています。商業用不動産に波及した場合、今後数年間で数百以上の銀行の倒産が発生すると予想されています。1989年、S&L危機のピーク時の破綻行は534行でした。金融の問題が再び注視されるようになるのは時間の問題であり必然です。

給与カットで住宅ローンが返済できず、マイホームを手放す人が都市部で目立っている。東京、大阪、名古屋の3地裁が2009年度上期(4~9月)に扱った住宅など不動産の競売件数は、07年度下期の約2倍。不動産業界によると、少しでも高く売ろうと「任意売却」を選ぶケースも増えている。不動産鑑定会社「三友システムアプレイザル」(東京)によると、3地裁が09年度上期に扱った土地、建物、土地付き建物、マンションの競売件数は計5271件。08年度の下期より525件多く、2704件だった07年度下期の約2倍に増えている。
1月11日 asahi.com 住宅ローン滞納、増える任意売却 競売よりも傷浅く

日本でも給与所得は減少の一途を辿り、失業率は5%で高止まりしています。収入は今後も減り続けることは避けられず、ボーナスの支給が出来ない企業がさらに増加していくのです。住宅ローン破綻が急増し、競売が急増すれば住宅価格は一層の下落を見せます。住宅ローンの条件変更で先送りしたとしても、民主党がそのような状況に陥る政策を採り続ける限り破綻は避けられません。日本版サブプライムローン問題も進行しているのです。

株価は予想収益の割引現在価値を反映します。企業にとっては収益がただ伸びるだけでは不十分であり、コンスタントに伸び率を維持しなければならないという強迫観念を促します。小さな企業なら食指を動かす規模のビジネスチャンスは、大企業には食い足りなくなります。企業の規模が大きくなったことと引換に、小規模の市場に参入する能力を喪失しているのです。この能力喪失は経営資源の変化ではなく、価値基準の変化です。大手銀行で収益を拡大してきたのも、損失を拡大してきたのも投資銀行部門でした。公的資金の注入を受けた際、投資銀行業務を縮小し、リスクを軽減させ不良債権処理による経営健全化を目指すのが本来の企業の姿です。しかし、大手銀行は規制回避のため公的資金を返済し、再び短期的な収益確保の為にリスクの高い投資銀行業務の拡大を選択をしました。

米国の最大の関心は、米国債を長期・安定的に外国に買わせることにより、財政負担を海外の国に付け替えることにあります。中国が米国債購入額を減少させる政策に転換した現在、米国債の安定消化に向けた政策が採られようとしています。一つはボルカールールを実施し、米銀に米国債を買わせることです。ボルカールールが導入されると、商業銀行は投資銀行業務ができなくなるので、海外のドルを国内に還流させる方向に動きます。89年に採用された手法と同様、余剰資金を長短金利差による長期債購入に充てる方向に誘導させ、金利差益を原資に不良債権を償却していくのです。米国債の大量発行による懸念は、米銀の強力な購入で払拭されます。もう一つは、日本に米国債を買わせることです。日本の年金資金を海外運用に充てる案や郵貯銀行の資金を米国債に充てる案が聞こえています。日本は自国の財政より、米国の財政を優先する選択を自民党政権から継続しているのです。結果、膨大な不良債権が日本経済に蓄積されていきます。

問題は、米国の本質的な問題が噴出し、出口戦略の発動はやっぱりダメだったとなるのがいつになるのかということです。89年の不良債権処理は5年で収束しましたが、今回の危機は当時より破壊力が大きく、まだ序盤です。長期に渡って蓄積されたバブルは数年で縮小するものではなく、アメリカの景気が好転するのは期待できません。時間をかけながら、破綻の影響は他の市場や金融機関に広がり、最後は現行の金融システムが危機的な状態になるところまで進んでいくのです。

2010/02/20

出口戦略の発動


米銀の手元保有する現金は最大1兆2900億ドル、企業向け融資は1兆3200億ドル。米経済における借り手からの資金需要低迷と、当局が金融危機の再来予防を目的に金融機関に一段の手元流動性を要請するとの懸念から、銀行はより多くの現金を保有する状況となっている。
2月16日 ブルームバーグ
米シティとBOA、JPモルガンの現金保有が拡大-利益率低下の恐れ

米連邦準備制度理事会(FRB)の17日終了週のバランスシート(貸借対照表)は、総資産が前週比0.9%増加して2兆 2800億ドルとなった。住宅ローン担保証券(MBS)の保有額が増加し、1兆ドルを突破した。
2月18日 ブルームバーグ
FRB総資産:2.28兆ドルに増加、MBS購入で-週間統計  

急激な物価上昇でなく、わずかな物価上昇なら、ごく当たり前の経済状態です。不況から脱出するためには、高めの物価上昇率が必要なのです。現在、銀行には過剰流動性による資金供給があるものの、金融引き締め策が採られつつある現状では、融資や市場投資にもお金がまわらず、企業は利益が上がらない状態に陥っています。米連邦準備理事会(FRB)は18日、公定歩合を現行の0.50%から0.75%に引き上げると発表しました。FRBの政策は金融市場の安定に向けられており、実体経済への効果よりも過大流動資産の吸収に優先度を置いています。利上げは経済活動を冷やし、財政赤字にはマイナスに働きますが、出口戦略発動が有効と総合的に判断したのです。米国債の購入がFRBによる国債買い入れ停止により外国頼りとなった今、米銀による米国債の購入増加も考慮されているのです。

2月19日日経 日銀総裁、国債下落のリスク警戒 インフレ目標に難色

デフレとは、供給に対して需要が不足している状態であり、インフレはその逆です。需要回復の過程における物価上昇は必然であり、物価上昇のコントロールが中央銀行の使命です。財政改善には、増税による借金返却のためのインフレが必要なのです。景気を冷やし、経済を安定させる為の増税です。しかしインフレが来なければ借金返却のメドが立たず、増税は景気を過度に冷やし、現在以上の不況を進行させます。

ハイパー・インフレは現実に起こりうる問題です。市中に出回るマネーの必要量が何倍もある場合においてのみ発生します。通常であれば物の値段を100倍にしても、誰も買えないので無意味な値付けは無視されます。現在、量的緩和によって流動資金が銀行に滞留していますが、やがてインフレが現実味を帯びてくると国債暴落の可能性が上昇するので、必然的に銀行は国債の購入を止め、現金比率を高めるようになります。ある時点で国民のインフレ期待が不信用から信用に急転した時に、インフレが現実化します。銀行に預金として滞留していた現金は一挙に流出し、インフレスパイラルが急速に進行していく可能性があるのです。逆にいえば、市中に出回る現金の量が増えなければ、インフレにはならないのです。

過去の歴史でハイパー・インフレが発生したのは、その国の経済が根本的に破壊されるような例外的な事態が生じた場合です。例外的とは、地震・資源・戦争・食料等の問題です。一国の経済が破壊された時、暴走するインフレ回避は不可避です。不況であれば、ハイパー・インフレは来ないというのは、妄想にすぎません。

2010/02/18

大統領たちの経済

経済学は、有限な資源から、いかに富を生産し配分するかを研究する学問で、究極の課題は貧困撲滅です。最初は、アダム・スミスと、その後継者達による古典派だけが存在していました。ケインズ理論が登場したのは1930年代です。
1929年、NY株式市場での大暴落と、その後の世界大恐慌の時代は、深く歴史に刻み込まれています。1933年3月4日、第32代米大統領に就任したフランクリン・デラノ・ルーズベルト(FDR)はニューディール政策を実施しました。公共事業拡大を中心とした、政府による経済への介入です。しかし、一連のケインズ政策をもってしても失業者は急激に減少せず失業率は高いままで推移しました。効果があまりにも小さすぎたので、不況からの脱出は成功しなかったのです。最終的に経済を救ったのは第二次大戦による財政拡大でした。

世界を巻き込んだ二つの世界大戦が終結した時、主要先進国は戦勝国も敗戦国も、戦禍のために大半の生産力を失っており、戦後世界の復興需要に応えることができたのは、無傷のまま大量生産体制を保持していたアメリカだけでした。結果、アメリカは超貿易黒字国となり、世界最大の対外債権国と同時に、ドルは世界の基軸通貨としての地位を得るのです。当時のアメリカ経済は圧倒的に強く、1960年代はじめまで、アメリカ経済の黄金時代と称されたのです。1963年11月22日に第36代大統領として就任したジョンソンまでの時代です。

1950年の朝鮮戦争を皮切りに、ベトナム戦争他、多くの米ソ代理戦争が繰り広げられます。この広範かつ長期化した戦争特需の恩恵を受けたのが、日本でした。日本は急速に重厚長大産業を成長させ、1970年代には西ドイツとともに、アメリカの国際競争力に勝るとも劣らないほどの経済力を身につけていきます。

経済学の世界では、①固定相場制②自由な資本移動③独立した金融政策のうち、同時に成り立つのは二つだけとするケインズ派が主流でした。通常の経済状況下で発生した景気変動による小規模の景気後退は、ケインズ的な処方が効果を発揮し、景気後退から脱出することは可能でした。ケインズ派の絶頂期です。

1969年1月20日、第37代大統領として就任したリチャード・ミルハウス・ニクソンの時代に世界は転機を迎えます。1971年8月15日、ドル・金の交換制を廃止すると宣言したニクソンショックです。金が裏付けするドルに、他の通貨が固定相場で結びつく「ブレトン・ウッズ体制」は崩壊し、変動相場制に移行するのです。パラダイムの転換です。

変動為替制で、自由な資本移動(グローバル化の大前提)と、金融政策の優位が実現し、財政政策は為替相場の変動により効果が減殺されるようになりました。加えて1970年代の二度の石油危機で、高インフレと高失業率が進行するスタグフレーションに陥り、財政赤字も膨らみます。財政政策を主軸とする伝統的なケインズ政策は、毒薬のごとき効果を発揮して経済を破壊しました。ケインズ派の影響力が薄れ、政府介入を排した自由市場の効用を説く新しい古典派経済学が台頭した背景です。

1981年1月20日、第40代大統領として就任したロナルド・レーガンでアメリカは転機を迎えます。1981年に発表した経済政策-レーガノミックスです。この政策の柱は、①歳出削減を行い、②減税による貯蓄・投資を拡大し、③規制緩和によって小さな政府を実現し、④マネーサプライを管理してインフレの沈静化を図ることでした。「税率引き下げで税収が増える」という特異な理論は外れ財政赤字は膨らみ、その一方で、「強いアメリカ」を標榜し、極端なまでに軍事費を増大させました。結果、貿易赤字と財政赤字の双子の赤字は急拡大しました。しかしながら、1981年における世界経済の状況は、先進国では激しいスタグフレーションに見まわれ、発展途上国では対外債務が激増していた状態でした。アメリカの財政赤字拡大がなければ資本主義経済は崩壊していたかもしれません。

この時期からアメリカは実質金利を引き上げ、海外からお金を呼び込む政策に転換します。内外金利差の拡大による外国資本流入により、経常収支の赤字が拡大しているにもかかわらず、ドル高になるという現象が生じます。ドル高・高金利の継続は、輸出は停滞、輸入が増加し、貿易収支赤字は拡大します。国内製造業の価格競争力は低下し、資本や労働などの生産要素は製造業から非製造業へとシフトせざるをえません。製造業からサービス業への生産構造の転換です。巨大消費国としての性格を加速度的に強めていくのです。

アメリカの過剰流動性増加は、世界各地でバブルを引き起こしていきます。1980年代後半、日本での株と土地の異常な上昇。1994年、メキシコをはじめとする中南米バブル。1997年、アジア通貨危機。1999年、ITバブルなどです。

リスクとは、将来の不確実性であり、結果として起こりうる経済的損失の可能性の追求です。1997年のノーベル経済学賞を受賞した、マイロン・ショールズとロバート・マートンは、株価が幾何ブラウン運動に従うものと仮定し、伊藤清博士が生み出した確率微分の理論を用いて、1970年代はじめにブラック=ショールズ公式を導くことに成功しています。この理論の登場により、金融理論が経済学の枠組みから飛び出し、金融工学という新しい分野を開拓したのです。1980年代の金融技術の利用は、新商品開発により利益を増加させることが中心でした。情報システムの整備はデータ収集を容易にさせ、数理工学の進歩は複雑なコストの最適化問題を可能にしました。ヘッジファンドの影響力が拡大していくのはこの時代です。1990年代の金融技術は、次々と登場する金融商品のリスクを管理する為の金融商品開発が軸足の中心になっていきます。

21世紀のバブルは20世紀のバブルと異なり、金融技術の発展と基軸通貨国の財政赤字膨張で破壊力がさらに拡大しています。現在進行中の世界金融危機と、中国での資産バブルが、通常の方法で解決するとは誰も思っていません。過去最大の規模ゆえに、米国債のデフォルトに伴う新秩序の形成が予測されるのです。過去のバブルから学べる教訓は、国家は形式的には破綻しなくとも、実質的には破綻することがあり、そのしわ寄せは一般の国民に付け回されるということです。この意味で国家は破綻でき、このプロセスを経ることによって、国家は再生できるのです。ただし、犠牲は全て国民に押し付けられるに違いありません。

時代の流れの方向性は、その時代に生きる人間の大半が何を望むかによって決まります。我々は、水素文明を実現できる理想や理念を創造することによって、多くの人々の共感を獲得し、歴史を創る力を持つことが出来るのです。

2010/02/16

危機に考えるべきことは

サブプライムショックにより、世界各国はいかに自国が米経済に依存していたかを思い知らされ、金融工学が作り出すバーチャルな需要により、無限に金が創造されていたことを知りました。本質的にそこに内在する賭博的な要素が見過ごされていたのです。「規制」はすべからく緩和するのが正しいという結果がアメリカのサブプライム問題であり、わが国の派遣問題でした。

米国の旺盛な国内消費が、製造業を中心とした国の最大の輸出市場となり、世界経済をけん引してきたというのがグローバリゼーションの枠組みです。この構造が崩壊したことにより、各国経済は減速を余儀なくされ、財政支出の拡大で国内景気の立て直しに努力しています。いいかえれば、世界各国で輪転機を回し、国内景気の維持拡大に努めているのです。そのため、現金通貨発行残高は各国で増加しています。
マネタリズムに従えば、量的緩和により貨幣量が増加するので物価が上昇し消費が増加します。しかし、日本ではデフレが進行し、日本経済はどんどん地盤沈下しています。企業の収益が増えても企業の内部留保となり労働者に還元されず滞留しているのです。ゆえに消費が増えず、企業も供給拡大のための投資をしません。奈落の底を脱せず、あえて奈落の底に留まろうとする経済政策の結果です。懸命に汗をかき、まじめに働いている人が、幸せになれないような社会はいい社会とはとてもいえません。われわれは自分の身は自分で守るしかなく、国も企業も頼りにならないということを知らねばなりません。

量的緩和は、世界経済が正常化し均衡状態となった場合には景気の上昇をもたらします。しかし、不均衡状態では、次のいずれかの現象が発生します。
A  貨幣の滞留。
B 貨幣が商品市場に流れ込んだときには、インフレが発生。
C 貨幣が資産市場に流れ込んだときには、資産インフレが発生。
つまり、現金通貨発行残高が巨額なほど、BとCは破壊的な規模になるのです。

2010/02/13

既存の企業文化が変化への対応を阻む

デフレとは、「経済が成長しないこと」ではなく、「経済が縮小していく」ことです。
日本の需給ギャップは30兆円~40兆円といわれています。
出典 今週の指標 国内需要デフレーターは3四半期連続のマイナスに

中小・零細企業において、創業者が与える影響は絶大です。社員はどのように仕事をすべきか、組織の優先事項はどうあるべきか、創業者には明確な持論があります。創業者の判断に誤りがあれば、当然ながら企業が失敗する可能性は高くなります。健全な判断がされれば、創業者の問題解決や意思決定の方法が正しいことを社員は目の当たりにし、その手法を体得することができます。同時に、経営資源、特に人材の影響力は多大です。要となる人材が一人、二人、組織に加わったり離脱しただけで、企業の成否に多大な影響を及ぼします。企業の能力の重心が人材にあるうちは、新たな問題に対応するために能力の入れ替えを行うことは比較的簡単な対処方法なのです。

創業者の考えを反映した判断基準にしたがって経営資源が配分され、企業が財務的にも成功すると、その実績を中心に企業としての価値基準が形成され、組織は拡大します。企業が異なればその価値基準も異なりますが、売上高と収益性はどの企業も共通の価値基準です。組織拡大の過程では、社員の中には創業者と直に話したことのない人も出てきて、リーダーだけでは組織を全て把握するのが不可能になってきます。企業規模が大きく複雑になるほど、組織全体の社員を教育して、戦略方針やビジネスモデルとの整合性をとりながら一人ひとりが重要度を判断できるようにすることが、より大切になってくるのです。数人で始めた企業が数百人以上の社員を擁する規模になると、何をどのように行うべきかについて、社員全員の合意を取り付けるのは、優秀な管理職にとっても至難の技となり、社員に自律的ながらも一貫した行動をとらせることができる管理ツールが必要とされます。管理ツールとは、明確な価値基準と意思決定のプロセスです。プロセスの本質は、社員が常に業務を一貫した方法で成し遂げられるように設定されることです。変更することを前提にしてはいないので、変更する必要が生じても、簡単には変えられない仕組みになっています。ある業務のために設計されたプロセスに従えば、その業務を効率的に行える可能性が高いが、異なる業務に同じプロセスを使うと機能しないのです。組織に一貫性のある明確な価値基準が浸透しているかどうかは、企業経営の優劣を測る重要な尺度でもあります。なぜなら、価値基準には企業のコスト構造あるいはビジネスモデルが反映されているからです。価値基準とは、企業の繁栄のために社員が従う原則なのです。

社員は恒常的な業務をこなすうちに、意思決定のパターンが固まっていき、既存のプロセスと価値基準に従って重要度を判断しはじめ、これらを中心に企業文化が形成されるようになります。出発点は人材を中心とした経営資源ですが、次に定義されたプロセスと価値基準へと重心がシフトし、そして最終的には企業文化へと変容するのです。しかし、企業の能力の重心がプロセスと価値基準に移り、それが企業風土・体質という形で組織に刻み込まれると、組織の能力を変えることはきわめて困難になります。社内に広く浸透した一貫性ある価値基準は、一方で、組織ができることを限定してしまうからです。組織に備わった能力は組織に何ができるかを規定するが、同時に、その組織にはできないことも規定しているということです。企業文化は組織にできることを限定してしまうため、企業が直面する問題が根本的に変化すると、能力の欠如となって現れます。

実体経済の縮小は、経済活動自体の自己崩壊を促します。単に物価が下落していくだけでなく、生産活動そのものが縮小していくのです。(倒産や失業の発生。)デフレ解決には、「需要の拡大」こそが必要であり、それ以外に対処方法は無いのです。経営方針も流動的にならざるを得ない状況下、消費者のニーズを喚起することは困難といえます。デフレの下で企業が存続していくには、必要な経営資源の保有とプロセス・価値基準が変化に対応できるかどうかが鍵になります。

2010/02/11

変化する医師のマジョリティー・パワーと分権型ネットワーク

日本の医療を取り巻く状況では、使命・成果・戦略対応型リーダーなどという聞こえのよいリーダー像に対して、さらにもう1本の補助線を引いてみなければ本当のリーダー像は見えてきません。医師の「マジョリティー・パワー」がその補助線です。

自由開業医体制の現実と医療法、医療行政に通底してきた医療非営利説の虚構の微妙なバランスのうえに成り立ってきた、資本=経営=医療の病医院経営における一体化こそが、世界に冠たる(少なくも成立当初は)国民皆保険制度と、諸外国と比べた場合のマクロ医療経済のパフォーマンスの良さを下支えしてきた下部構造です。このような下部構造を基盤として持つ病医院経営者=医師のリーダーシップは当然、集権的カリスマの性格を帯びやすく、また、それは、混然と一体化された資本=経営=医療を組織原理として持つ病医院においては最も効率の良いリーダーシップ・スタイルでした。このカリスマ型リーダーの類型は、医師のプロフェッショナル・フリーダムと結びつき、なおかつ、医師のマジョリティー・パワーが自由開業医制度のメリットを存分に享受できる時、強固無比のものとなりました。

ところが、その医師のマジョリティー・パワーに大きな変化が表れています。まずは医師の絶対数です。確かに人口10万人当たり150人という必要医師数の設定に問題があり、そもそも医師が足りなかったという説もありますが、新臨床研修制度が引き金になり、医師の偏在化を生じさせたのは否めない事実です。そして、開業よりは勤務医としてのキャリアを選ばざるを得ないような諸々の状況です。医療計画による病床規制もさることながら、都市部では、土地・建物への投資の回収を医業専業で帳尻を合わせていくことは不可能に近い状況です。そもそもも一国一城の診療所や「ビル診」を開設したにせよ、先端高度医療をフォローする設備投資はできないから、行政は供給体制を整備して、専門分化を進めざるをえません。また、都市部の中小病院や診療所は相続・継承条件がネックになり、世代間の継続はますます難しいものになりつつあります。つまり、病医院マネジメントの資本=経営=医療の一体化というシナリオに、必ずしも積極的なメリットを見出しづらい医師が急増しているということです。このマジョリティー・パワーの変化は何を意味するのでしょうか。

まずは、資本、経営、医療をつないでいる鎖が徐々にゆるやかなものとなり、段階的に分離されるようになります。不動産会社等の所有する病医院建物・設備を医療法人や個人医師が賃借するといった「資本」と「経営・医療」の分離は、すでに80年代前半から始まっています。今後は、各種債権の組み合わせなどによる資本調達の多様化や、高度複雑化する組織マネジメントの時代的要請が、いやおうなく職能としての経営と医療をしだいに分離させていくことになります。専門による職能分化です。おのずと医師の医療組織における行動様式は、前述した集権的権威に根ざすものから、診療、医療といった本来の機能組織におけるプロフェッショナリズムに根ざすものへと質的転換が進むことになります。ただし、現行の医療法の医療非営利説と自由開業医制のなかで、スムーズに親世代から医業の継承を図り、オーナー医師として、旧来の集権的カリスマ型パターンを維持できる一部の階層は、今後とも健在です。要は、そのようなカリスマ型リーダーの相対的数が減少し、勤務医に見られるような職能的医師がマジョリティー・パワーとして増加していることです。

集権的権力基盤を持たない勤務医の行動様式は、職能分権型の機動的プロフェッショナリズムを代替的な基盤として位置づけざるを得なくなります。「機動的」とは、組織内部においては、分権型ネットワークでのキー・マンであり、組織外においては、自己の能力、キャリア志向に応じて比較的自由に雇用主を選択できる専門的職業人の性格を指します。

従来のリーダー論は、カリスマ的オーナー医師にみられるような、組織のなかのトップ一人のためのリーダー論がほとんどでした。しかし今日の状況によって求められているのは、医師、看護師、コ・メディカル、事務を問わず、どのような職能であれ、個々の仕事のネットワークのなかで、それぞれがリーダーとなることです。言葉を換えれば、各専門分野でのプロフェッショナルとして、他の専門分野、機能をネットワーク化させることにより、仕事の成果を上げていくことが求められているのです。
このようなリーダーは、固定的なユニットやヒエラルキー組織の組織長といったイメージではなく、主要な課題を中心として臨機応変に結成される「ハブ」のコアメンバーというイメージに近いものです。
医療の現場を振り返ってみれば、「主要な課題」とは、患者一人ひとりのケースであり、そのケースを中心に、医師、看護師、各種コ・メディカル、事務等々の専門職が、機動的に各専門の立場から関与するという仕事のスタイルです。患者を中心にして、仕事を展開する「ハブ」は、関連部門、関連専門職のネットワークを介した、病歴、症状、検査データ、治療、経過、等々のありとあらゆる情報の発信・受信、さらに情報の創造を通して職務を遂行します。その意味で、通常の病医院の組織図には表現されていない、情報をネットワーク型に編集するというのが、情報の流れからみた病医院の仕事の流れといえます。患者中心の機動的なチームづくりの必要性が声高に叫ばれながらも、なかなか「ハブ」が活性化されないのは、本来、情報ネットワークのなかでなされる知的成果志向がきわめて強い専門職の仕事と、職能による固定的なタテ割り組織に呪縛された旧態依然とした病院組織論の大いなる矛盾のためです。

組織図の姿がどうであれ、現場のイノベーションは通常、組織内ネットワークのなかでの相互連鎖的な知的刺激が起爆剤になって起こります。イノベーションと自己変革を目指す組織にとって必要なのは、カリスマ的トップ、組織長ではなく、自律的に動き、関連機能との積極的な情報のやりとりを通して仕事を創造していく、数多くのネットワーク型リーダーの存在なのです。

2010/02/10

医療におけるリーダーシップ

社会保障制度として位置づけられている、医療・介護・福祉業界は制度ビジネスであり、各制度の維持は財源の確保が絶対条件となります。制度ビジネスとは、行政による許認可事業です。したがってルールは行政によって創られます。行政の狙う政策と方向性が合致していれば、極めて健全な運営が可能になります。運営と経営は異なります。経営は成果を上げるためにルールを構築することができますが、運営は既に定められたルールの中で成果を上げることしかできません。なし崩し的に進む医療改革は行政の狙った政策の結果であり、誤った政策による人災です。現在の医療政策には、国家戦略も哲学もないのです。

医療を中心とするサービス組織のリーダーシップにおいて、その状況と状況がリーダーに求めるものをまず整理してみます。

第一に社会保障の機能強化の工程表のもと、政策誘導による医療機関の機能分化は、加速されざるを得なくなってきています。機能の選択にのみ関心が向けられやすいが、機能を云々する前に大切なことは使命です。つまり、安直に「機能」に向かう前に、何が機会で、何がニーズなのかを自問自答し、機会をとらえてニーズに応えていけるだけの能力が備わっているのかを徹底的に洗ってみなければなりません。これらの自問自答の知識成果が信念に裏づけされてはじめて使命(ミッション)たりえます。今日の医療をめぐる状況は機能選択・分化の一大前提条件として、リーダーに明確な使命を求めていると言っても過言ではありません。言い換えれば、時代の兆候を敏感にかぎ分ける知的臭覚と自分なりのコアの部分、すなわち使命を絶えずチェックし、確認しつつも、個別の事態には適宜、柔軟に折り合いをつけていく当事者能力が問われています。

第二に、医療サービス組織も、組織としての成果を問われ、成果により一層注目せざるを得なくなってきています。「機能」は、使命が成果を生み出すための手段として、再定着を迫られています。その意味でリーダーは、経過志向から成果志向にならなければいけません。つまり、「努力や資源の投入に見合った成果を上げたか」、「使命と照らし合わせ公正な成果を上げたか」「限られた人員をどう機能させるか」といったマネジメントの基本を再確認することがリーダーに求められています。

第三に、地域・患者のニーズが変わる、診療報酬制度や医療政策が変わる、疾病構造が変わる、そんな時代の大きな変化のなかで、医療サービス組織も、当然の反応として戦略を持たざるをえなくなってきています。規制のなかでの差異化、独創的な事業展開には体系的な戦略が求められます。事業環境を解読し、組織風土を活性化しつつ、過去・現在の業績に目配りし、使命と機能を通じて成果にリンクさせていく発想の土壌としての戦略の時代に、リーダーは対応しなければなりません。

2010/02/09

リーダーは状況に適合した行動スタイルを持つ

組織論で必ず登場する議論にリーダーシップ論があります。指導力や統率力などと訳されることが多いが、通常、組織全体あるいは組織内の部門のリーダーが発揮する機能、役割というふうに注釈が付けられたりしています。組織は志を達成するための内部体勢の構築です。役割分担として必要なのであり、構成員のためのものではありません。その目的を果たすために混乱が起きて当たり前なのです。組織を上手く機能させ、成果を上げる考え方と行動がマネジメントです。組織という一つの目的意識を持った集団のトップがリーダーならば、組織に変化をもたらすトップの必要性・重要性を追求していくのがリーダーシップ論です。それぞれの技法・手法によって各論は細分化され、融合していきます。

リーダーはさまざまな行動をとります。-将来の方向を定める。配下の部門や部下に指示を与える。教育をする。革新的なアイデアを普及・伝播させる。他の意見を聞く。目標を設定し、フォローする。仕事ぶりを評価し、報酬を与える。褒める。激励する。叱る。組織風土を醸成し、変革させる。危機の到来を予知する。イノベーションを企てる-これら行動のすべてがリーダーシップの発露です。リーダーシップの何たるかについては、組織論、企業行動論によって立つ経営学の枠組みができるはるか以前から、古今東西の賢人により、軍事用兵、哲学、歴史など様々な分野で論じられています。それにもかかわらず、優れたリーダーシップについては、普遍性のある明解な定義が得られていません。「君子危うきに近寄らず」というリーダーシップのとらえ方は、「虎穴に入らずんば虎児を得ず」とするリーダーシップ論とたやすく矛盾してしまいます。また釈尊、キリスト、マホメットのごとく偉大な宗教者によって提示されたリーダーシップと、スターリンや毛沢東やヒットラーによって示されたリーダーシップは根本的に異質です。

さらに、リーダーシップは時代環境によっても影響されます。狩猟期において良きリーダーとは、獲物を狩るグループ活動を上手に調整する人でした。牧畜・農耕期に時代が移ると、野獣を家畜に、野生の穀物を農産物とすることを学んだ人がリーダーとなりました。農耕時代から工業化時代にかけて、富の生産様式が変わり、自身の生存に必要以上の富を造るようになると、専門化と同時に富の分配ルールづくりと管理に長けた人が優れたリーダーとなりました。どの時代においても、平時の生産機能集団と戦時の戦闘機能集団とでは、求めるリーダーシップは違っています。

このようにみてみると、適切なリーダーシップは、リードする集団の特質、集団を取り巻く文化、環境の性質などによっておのずと異り、その普遍的で厳密な定義はないといえます。環境や技術と組織との適合関係は、組織が不確実性にどのように対処するか、という視点から展開されるコンティンジェンシー理論から示唆を受けるものがあるとすれば、「リーダーの行動は状況に適合したスタイルでなければならない」ということに行きつきます。「ケース・バイ・ケース」という、非常に単純明快な命題です。とすると、「状況」が何なのか、が本質的に重要になります。

「適応」と「対応」は異なります。「対応」は「相手に応じて物事をすること」であり、「適応」は「生物が環境に応じて生理的・形態的な特質を変化させること」です。最も大きな相違点は、自らの意思の有無です。「対応」に意思は存在しませんが、「適応」は自らの意思による行為です。時代の変化に「適応」するためには、市場の要請が今どこにあるのか、中長期的な時間軸でウォッチし続けなければなりません。つまり、「適応」はマーケティングの基本といえます。

デフレ現象が続く日本では、漠然とした閉塞感が漂っています。この状況を打破するには、目標を共有することです。何でもいいから、全員が前向きに取り組める目標を作る。何も思い浮かばなければ、何人かで話し合えばいいのです。後は、明るい未来をイメージしてシミュレーションを行い、そのためのプロセスを設計し、目標を具現化していけばいいのです。リーダーのイメージは未来を支配し、行動の積み重ねが組織を変革させていきます。未来に対して前向きなイメージが持てたら、八割方は目標を実現できたも同然です。後は目標に向かって、がんばるだけです。

連山では毎月のイベントが企画されています。イベントは明るい未来への行動であり、メッセージを持っています。イベントへ参加することは、時代の変化に対する適応と生存可能性を高めることになるでしょう。
参考:想月 イベント十二連戦の戦略目標

2010/02/06

デジタル化が促す出版業界再編

日本の出版市場規模は2兆円台割れがいよいよ現実になり始めています。将来の課題ではなく、今日の課題です。2008年の出版市場規模は2兆200億円でした。2009年は雑誌が5%減、書籍が3%減になれば2兆円台を割ります。出版業界は、雑高書低といわれるように雑誌販売の収益で書籍を扱う収益構造です。雑誌は従来から続く販売収入の減少に加え、広告収入は激減、発行する雑誌の半数以上が赤字という出版社も珍しくありません。新聞広告からは上場企業の名が消え、地方新聞にいたっては、一昔前の三流新聞のような広告が紙面を飾っています。来春予定の日本経済新聞の電子新聞版は、出版物の電子化をさらに加速させます。出版業界は、印刷、出版、流通、書店、リサイクルと裾野が広い産業です。メディア環境の変化に対応していくには、異文化と適合せざるをえないのです。

拡大が予想される電子書籍市場で国内での主導権を確保しようと、講談社、小学館、新潮社など国内の出版社21社が、一般社団法人「日本電子書籍出版社協会」(仮称)を2月に発足させる。米国の電子書籍最大手アマゾンから、話題の読書端末「キンドル」日本語版が発売されることを想定した動きだ。携帯電話やパソコン上で読める電子書籍市場で、参加予定の21社が国内で占めるシェアはコミックを除けば9割。大同団結して、デジタル化に向けた規格づくりや著作者・販売サイトとの契約方法のモデル作りなどを進める。

出典 2010年1月13日 電子書籍化へ出版社が大同団結 国内市場の主導権狙い   

情報産業の歴史は4つのステージがあります。最初がアナログのテクノロジーを使った情報の道具です。近代工業では、大量生産が価格を引き下げます。新技術製品は、登場した当初は大量生産ができないので高価格ですが、代替品が無ければ特定の裕福な人々やそれで産業を拡げる企業などが買うので、少しずつ市場は拡大します。それをテコに徐々に生産規模も拡大、価格も低下、これが需要を拡大、一段と大量生産が進むという経路を辿るのが普通です。テレビ、印刷機械、ラジオあるいは電話など、アナログのテクノロジーをベースとした道具が次々に生まれました。次は、この道具を道具として使ってサービスを提供するアナログ情報サービスです。すなわち、一番最初はアナログのテクノロジーを提供する産業、二番目はアナログサービス産業です。三番目にやってきたのがデジタルの道具の産業です。最初にコンピュータを使わないで情報を伝達する道具が生まれて、サービスが生まれました。次にコンピュータを使ったものとしての道具が大いに繁栄する時代がやってきました。いわゆるIT産業です。そして四番目は、現在進行中のこのデジタルの道具を道具として使って、サービスを提供する、デジタル情報サービス産業です。

デジタルビジネスの特徴は、数字で言えば二つの数字で表わせます。一つがゼロです。時間差がゼロ、情報劣化がゼロ、変動比がゼロということであり、さまざまな特徴をゼロで表わすことができます。もう一つは無限大です。無限大のユーザー、無限大の在庫の種類、無限大の情報の深さ・広さ・コミュニティー、無限大のリサーチなどを提供することができます。従来の物理的手法は規模が限られています、従って有限にならざるを得ません。

日本でのケータイ文化を背景に、携帯電話向けの書籍コンテンツの売上が急速に拡大してきました。2007年前後では、ケータイ小説ブームが起こったのは記憶に新しいところです。電子書籍ビジネスは、コミックや写真集が中心となっており、アダルト系のコンテンツが大半を占めています。2008年の市場は推定で464憶円となり、今後も拡大が見込まれる市場です。

出典 離陸する電子書籍ビジネス(4):日本市場の行方

電子書籍は未だ黎明期です。米国でも2008年の時点で 100億円に満たない市場規模です。日本では携帯版の電子書籍が普及している分だけ、米国よりも日本のほうがビジネスの枠組みは出来上がっています。日本の電子書籍ビジネスは出版社との関係を良好に維持した保守的なモデルです。大手の出版社や携帯会社が共同出資をする形で電子書籍会社を立ち上げて、書籍を電子化、コピーができない著作権保護機能などを加えた上で、PC向けの大手ポータルサイトや携帯向けのコンテンツとして有料配信をする業界構造です。世界で最も普及している電子文書のフォーマットは、「PDF(Portable Document Format)」です。PDFは、日本の携帯向け電子書籍として読みやすいページを制作することは不向きであるがゆえ、モバイル端末での閲覧を目的に開発された国産プラットフォームのほうが広く採用されています。国産プラットフォームによる電子書籍の制作環境は、制作ソフトのライセンス料が高額なため、中小の出版社や個人の著者にとっては敷居が高いものになっています。結果として、ケータイ向けの電子書籍ビジネスは大手が有利の構図が出来上がっています。ゆえにガラパゴス化しているのです。

2010/02/05

文化の系譜

検察特捜部は、独特の文化を持っています。2002年に発覚した辻元清美秘書給与流用事件では、辻元清美ら4名は2003年7月18日に逮捕され、2004年2月12日に有罪が確定しました。衆議院選挙で彼女が立候補の動きをみせたことにあると思われても仕方ありません。何故なら彼女とは逆に、立候補を見送った田中眞紀子氏は、不起訴処分となったからです。

2003年4月の統一地方選挙埼玉県議会議員選挙では、「死ぬまで知事をやり続ける」と言っていた土屋義彦・前埼玉県知事が、前日まで「辞めない」と開き直っていたのに、その翌日になって突如として辞任を表明しています。土屋の政治資金管理団体をめぐる問題で土屋の長女市川桃子が逮捕され、土屋氏に逮捕の情報が入ったため、あわてて辞任を決めたと思われます。このような話は数多く存在しています。

アメリカの「司法取引」とは「自白しなければ、刑は5年だが、自白すれば3年半ですむ」というようなものです。議員に対して日本で行われていることは、犯罪そのものを免除してしまうことであり、アメリカの「司法取引」とはまったく意味が違います。辞任すれば犯罪の事実が消えてしまうのは、おかしな話です。

また日本の警察は知事に極めて弱いという事実があります。なぜなら、県警本部は知事の下にあり、知事の裁量で警察の予算が決まるからです。そのため通常、知事を捜査・逮捕するのは検察の役目となっています。

旧大蔵省と検察の癒着も有名です。かって、東京高検検事長の退任が決まると、旧大蔵省から5ヶ所くらい顧問先を紹介してもらえた時代がありました。平成11年、公取委員長には  根來元東京高検検事長、証券取引等監視委員長には水原元名古屋高検検事長、預金保険機構理事長には松田最高検刑事部長、金融監督庁長官には日野前名古屋高検検事長など、天下り先は幅広かったのです。また、金融機関と検察庁幹部が定期的に会食していたことも取り沙汰されています。1998年の接待疑惑をきっかけに、旧大蔵省のスキャンダルが発覚し、旧大蔵省のうち金融部門が独立して金融庁が作られました。その金融監督庁長官には金融のまったく素人である日野前名古屋高検検事長が送り込まれています。

昭和32年の売春汚職事件は、売春防止法を巡り、都宮徳馬氏、福田篤泰、両自民党衆議院議員が、「赤線業者」の組織、全国性病予防自治会(全性)から賄賂を受け取ったと読売新聞が記事にして、両議員から名誉毀損で訴えられた事件です。結局、読売新聞社会部のスター記者、立松和博氏が名誉毀損容疑で逮捕されました。捜査を命じたのは、東京高検検事長岸本義広氏であるが、岸本氏は当時、法務省の事務次官、馬場義続氏と激しく対立していました。そこで、岸本氏は立松記者に情報を流し、馬場事務次官を失脚させようと画策したのです。結局、これは立松記者の誤報であることが明らかになりましたが、その30年後にこの事件の真相が明らかになりました。「ミスター検察」と呼ばれた伊藤栄樹元検事総長が、病死前に事実を告発したのです。読売新聞にリークされる情報が、どれもみな法務省に報告した事項ばかりであったことから、伊藤氏は「ガセネタ」を一つ、法務省に流してみた。すると直ちに読売新聞にこの記事が載った。調べてみると、法務省の「ある人物」が、読売新聞の立松記者に情報を流していることがわかった。その人物こそ、後に東京地検特捜部で「特捜の鬼」といわれた河合信太郎氏といわれています。当時、馬場事務次官の直系で刑事1課長だった河井氏は、岸本東京高検検事長を追い落とすために、読売新聞に情報を流していたということです。

小沢氏の問題では、検察情報を流している現職の検察幹部がいるといわれています。検察は国民を死刑にすることもできる絶対的な立場にあり、検察の公正さは国民の人権にもっとも影響を与えるといっても過言ではありません。その検察の内側に、こうした文化の系譜があると疑われるのは非常に残念なことです。

2010/02/04

書籍市場におけるデジタル・メディアの覇権争い

10数年前、市場の変化の殆どは、ビジネス活動によって推し進められていました。現在は消費者によって推し進められています。IT機器が浸透していくに連 れ、個人の生活と同様に、職場環境も変化していきます。企業は、組織構造とプロセスにIT技術を組み合わせ、生産性を大きく向上させています。ゲームのルー ルを変えてしまうイノベーションが市場の変化にぶつかると、市場の破壊が生じます。市場の変化は、市場がその重要性を認識し、適応する何年も前からすでに 起こっているのです。
米Apple社が2010年1月27日に発表したタブレット型コンピュータ「iPad」は、早くも世界で最も人気のあるタブレット型コンピュータになるといわれているが、果たして本当にそうなのだろうか。従来のタブレット型コンピュータの年間出荷台数は、世界中で200万台未満と見られる、決して大きな市場ではない。ある専門家は、その数は年々減少しているという。一方、電子ブック・リーダーやネットブックの市場はいまだ成長を続けている。

出典 iPadは大ヒットとなるか、中途半端な製品で終わるか 

Amazon、Google、Appleの3社は、それぞれ独自の電子ブック・リーダーや書籍コンテンツを揃えており、デジタル・メディア覇権争いの場は書籍市場にシフトしています。

iPadは装置とサービスのハイブリッドモデルともいえます。アップルが稼ぎ頭としている主力商品は、既にマッキントッシュから携帯端末へと移行しています。音楽のオンライン配信ビジネスでは、iPodを世界中でヒットさせたアップルが音源データの販売市場を掌握しました。携帯プレイヤー「iPod」の普及台数は全世界で1億台を超えており、製品としての売上は鈍化していますが、音楽作品のコンテンツ販売は鈍化を補う形で伸びています。iPodとiTunesのパッケージは、ネットワークベースのサービス・プラットフォームによって成功した優れた事例です。製品を売るだけではなく、電子コンテンツのライセンス料や利用料で稼ぐ方式です。

アマゾンは、電子書籍の分野で世界一の覇権を握る布石としてと、リーダー端末「Kindle」を開発しました。世界で1億人を超す読書家を顧客として抱えていることから、出版社や著者からコンテンツを提供してもらいやすい立場です。「Kindle Store」で購入できる電子書籍のコンテンツは既に30万タイトル以上が揃っています。独自の電子書籍フォーマットを普及させて、その後に電子出版社としての権利を独占する戦略です。Kindle用のコンテンツをiPhoneでも読めるアプリも無料で配布していますが、それでも現在の購読対象者は 100万人前後といわれています。世界のネットユーザーが約10億人いることからすると、電子書籍の市場を掌握しているわけではありません。

電子書籍の形式にはいくつもの種類や規格が存在しています。かってのビデオテープやダウンロード用の音楽ファイル、次世代DVDなど新しい媒体が開発されるたびに複数の規格が登場し、その再生機器を手掛けるメーカーが業界標準の座をかけて熾烈な競争を繰り広げたことが繰り返されています。リーダー端末に拘らないのが、グーグルの電子書籍市場に向けた戦略です。同社が得意とするネット検索の技術を前面に押し出した、「Google Books」です。検索機能を充実させたネットサービスとしての立ち読みです。世界で最も普及している電子文書のフォーマットは、Adobeの「PDF(Portable Document Format)」です。Google Booksは、PDFのプラットフォームをベースにしているので、ローコストで電子化できます。

電子書籍は、「電子書籍より紙書籍のほうが読みやすい」といった論点になることが多かったが、両者の優劣を付けるという考え方は既に古くなっています。これからの電子出版事業は、紙書籍の足りない部分を電子出版が補うという位置付けの元に、紙とデジタルを融合させた出版事業へと変化していくでしょう。音楽や動画の楽しみ方は、IT機器とブロードバンドで大きく変わりました。今度は読書の楽しみ方が大きく変わろうとしています。

2010/02/01

中川一郎、怪死の事実

日本がサハリン資源開発に関わるようになったのは 1973年からです。1973年(昭和48年)10月、田中角栄首相の訪ソをきっかけにして、シベリア資源開発の話が持ち上がります。当時の日本は高度成長期で安定したエネルギーの確保、ソ連は海洋資源開発の資金と技術を望んでおり、両国の思惑が一致したことで、10月10日、日ソ科学技術協力協定調印となりました。日ソ協力事業としてシベリア開発がスタートし、サハリン大陸棚開発はそのひとつとして動き出します。

1973年11月16日、日本政府は石油緊急対策要綱を閣議決定。「総需要抑制策」が執られた結果、日本国内の消費は低迷し、大型公共事業が凍結・縮小された、第一次オイルショックです。中東に大きく依存するエネルギー政策の見直しと、中東地域以外からのエネルギー直接確保が急務となります。

サハリンプロジェクトは、サハリン島北東部の海底での探鉱が進み 77年と79年には2つの鉱床が発見されています(現サハリン1)。採掘へと移行していくはずでしたが、80年代に入ると石油価格は暴落。そのまま90年半ばまで棚上げ状態になってしまいます。

このサハリンの石油に絡んでいたのが、元農林大臣・科学技術庁長官だった中川一郎代議士です。中川氏は総裁選に立候補し、惨敗したあと札幌パークホテルのバスルームで「謎の自殺」を遂げています。これについては、いまだ「他殺説」が絶えません。「新潮45」が2001年3月号より、「中川一郎怪死事件-18年目の真実」という連載を始め、それに鈴木宗男が関わっているのではないかという記事を出した段階で連載が中断されています。一方で、旧ソ連のKGBの対日工作責任者であったイワン・イワノビッチ・コワレンコ氏が、1996年に『対日工作の回想』と題する自伝を発表。その中で、「中川氏を買収して、ソ連のスパイ機関の手先にしたてようとした」「そのため中川氏は、アメリカのCIAに暗殺された」という事実を暴露しています。

今となっては、旧ソ連に近づいた「スパイ中川」をアメリカのCIAが暗殺したかどうかは、もはや歴史の中に封印されているのです。これにはもう一つの説があります。中川氏が三井物産と組み、サハリンの石油利権を得ようとしたことに対し、アメリカのCIA、あるいは石油メジャーの手先が暗殺したのではないか、という説です。いずれにしても、1983年1月9日に亡くなった中川氏の死を、自殺だと信じているものはほとんどいません。