アメリカの労働組合と違い、日本の政党と労働組合は極めて強い関係にあります。イデオロギーが絶えず労働組合を振り回した歴史を持ち、日本の経済と政治に多大な影響を与えたシステムです。
■戦後の労働運動
日本の労働組合が最初にできたのは、明治20年代です。アメリカには1886年に結成された職業別労働組合で構成された全国的労働組合連合であるアメリカ労働総同盟(AFL:American Federation of Labor)がありました。1886年に渡米した高野房太郎が、アメリカのALA(Alliance for Labor Action アメリカの労働行動同盟)を学習して日本に帰国。日本でもこうした労働組合を作ろうではないかということで、職工義友会を作った。その辺りから、日本の労働組合の歴史が始まりました。
昭和15年、いわゆる戦時体制では、労働組合はすべて大政翼賛会に属していました。日本は昭和20年(1945)8月15日に敗戦し、8月末にダグラス・マッカーサー元帥が、厚木飛行場に降り立った時から、日本の占領が始まります。日本国家の立法権、行政権、司法権はなくなり、マッカーサーの占領軍(GHQ)が日本を支配することになるので、戦前の労働組合と、戦後の労働組合では、全く異なります。
■米軍占領時代
マッカーサーは日本を弱体化するという政策のため、10月11日に、「マッカーサー5原則」(婦人参政権の賦与、労働組合の結成奨励、学校教育の自由主義化、秘密審問制度と組織の撤廃、経済機構の民主化)を打ち出しました。占領軍は、日本に積極的に労働組合を作らせようと考えたのです。ここで、歴史の壮大なパラドックスが発生します。本来、軍人はウルトラ・ライト(超右翼)ですが、マッカーサーの日本占領政策は、極めてレフティ(左翼的)だからです。
第31代大統領フーバーは反共主義者で、ソ連の国家承認を拒み「日本はアジアにおける防共の砦」と常々口にしていました。1929年、ウォール街の株式の大暴落、世界大恐慌が発生。1933年、アメリカ復興を掲げたフランクリン・ルーズベルトが、大統領選挙を制します。ルーズベルト政権は共和党の反対を押しきってソ連を国家承認しました。古典的な自由主義的経済政策は、経済への政府の介入をできるだけ小さくするというものでしたが、ケインズの理論を取り入れ、不況回復のために一時的に政府を大きくする政策を掲げる。これがニューディール政策といわれる恐慌克服策で、有効需要の拡大のため国家資本を投入し、労働者・農民を救済して生産を軌道に乗せようとするものです。つまり、国家に権力と金を集めて、計画経済を一部導入するということで、ライト(右翼)からは社会主義的と言われ、レフティ(左翼)からは資本家擁護と指摘された修正資本主義といえる国家統制経済でした。「ニューディール支持=親ソ容共=民主党」と「ニューディール反対=反ソ反共=共和党」という二大勢力が対立する構図です。この時期のアメリカの労働運動を象徴するものとして、産業別組織会議(CIO:Congress OfIndustrial Organizations)が先のAFL内に発足し、ニューディール期に拡大しました。
1945年、第二次世界大戦が終わる年の4月に、ルーズベルトが死亡した頃から、アメリカの政策は急速に右旋回します。トルーマンが大統領になり、やがて軍人であるアイゼンハワーが大統領になります。
アメリカは日本と異なり、大統領が変われば、政権交代に伴う政策プランナーは全員が交代します。これをPolitical Appointee (ポリティカル・アポインティー 政策任用)といいます。官僚を政治家が任命する雇用機能です。ルーズベルトの死とともに、ルーズベルトに雇われた社会主義的、共産主義的な考えをした人は、皆、失業しました。ニューディール左派の誕生です。
弁護士であるチャールズ・L・ケイディスは、ルーズベルト政権に入るが、ルーズベルトが亡くなってから、日本にやって来ます。米本国では反共の共和党の目が光っているため、「それじゃ、GHQに入って、理想を日本に作ろう」とするのです。その中心になったのが、GS(Government Section 民生局)です。
1945(昭和20年)年10月9日、親米的でアメリカでの知名度も高く、英語力も抜群であった幣原(しではら)内閣が成立。民生局のトップは、コートニー・ホイットニーでしたが、実質上、民生局次長となったケイディスが、マルクス主義の理想を込め、「マッカーサー5原則」を作成しました。10月11日、マッカーサーは幣原喜重郎首相に「5大改革指令」と「憲法改正」を要求。連合軍総司令部(GHQ)は、1946年2月13日に天皇主権を維持する日本政府の憲法改正案を拒否。同日、法律学位者の2人の先任陸軍将校(ミロ・ラウエル陸軍中佐とコートニー・ホイットニーGHQ民政局長)らによって作成された、象徴天皇と戦争放棄を柱とする独自案を日本側に手渡し、「この憲法の諸規定が受け入れられれば、天皇は安泰」と説明しています。2月22日、閣議はGHQ憲法案の受け入れを決定。3月6日、同案に若干の修正を施したうえ、「憲法改正草案要綱」として発表。4月17日には、「要綱」は条文化され「憲法改正草案」となります。4月22日、幣原内閣総辞職。5月22日、第1次吉田茂内閣が誕生。日本政府は11月3日、新憲法を公布しました。
日本国憲法において、第28条に規定された労働基本権は賃金労働者に対して憲法上認められている基本的権利です。ここで保障された権利は、すべての国民に保障された権利とは異なり、賃金労働者という社会的地位にある者に対して特別に保障された権利なのです。労働基本権である、団結権、団体交渉権、団体行動権の「労働三権」、そして労働組合法、労働基準法、労働関係調整法という「労働三法」が、創られていくのです。世界の「労働法」のなかでも、労働者、労働組合に非常に有利な法律が、この時に作成されています。日本の「労働法」は、経営者にとって極めて不利に作られており、労働者、労働組合にとって極めて有利に作られています。これを「プロ・レイバー」といいます。
このような経緯で、労働組合の結成を奨励しよう、労働組合を日本にどんどん作らせないとダメだ、ということになったのです。GHQは当初、「日本共産党は、日本を民主化する大きな中心的勢力だ」と考えていました。1946年、中国の延安から戦後、帰ってきた野坂参三(後の日本共産党元名誉議長)は、「占領軍は、日本を軍国主義、封建主義から民主主義に解放した解放軍だ」と評価しました。奇しくも、その評価がGHQと一致し、戦争中、投獄されていた共産党の幹部達、例えば、網走刑務所に20年近く入っていた徳田球一(後の日本共産党の代表的活動家。戦後初代の書記長)、宮本顕治(後の日本共産党第2代議長)等をどんどん釈放していきます。そして「共産党を積極的に支援せよ」ということになり、占領軍と合法政党として再建された共産党との蜜月時代がスタートするのです。
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